働くしか才能が

 

働くしか才能が    2009年7月29日


 麻生太郎首相は「(高齢者は)働くことしか才能がない」とした自らの発言について「意図が正しく伝わっていない。 申し上げたいのは・・」と釈明し、河村健夫官房長官は「首相は舌足らずだった。 誤解を招いたことは残念だ。」と述べました。

衆院選に出馬する小泉進次郎氏(28)が対立候補の握手を無視し、「横粂さん本人に対して何も思いはない。 ひんしゅくを買ってしまったとしたら大変残念です。」と語りました。

この発言について、考えます。


 草彅 剛さんが公然わいせつ罪で逮捕されたのを受けて、前総務大臣は、「事実であれば、めちゃくちゃな怒りを感じている。 なんでそんな者をイメージキャラクターに選んだのか。 恥ずかしいし、最低の人間だ。 絶対許さない。」と発言しました。

 この手の発言を繰返す自民党議員は数知れません。 もちろん自民党だけではなく、その他の政党議員にもこのような発言をする人はいます。しかし議員数とその露出度に比例して、圧倒的に自民党しかも世襲制議員に多いように思います。

 現在は衆議院議員選挙戦の最中で、政権与党は最も「矜持を保ち」「襟を正さ」なければならない時です。 しかし、現首相そして元首相の2代目みずから「矜持を保ち」「襟を正し」直さなければならない状態です。

 麻生が言うべきは、「意図が正しく伝わっていない。」ではなく、「わたしは、意図を正しく伝えることができません。」です。 まるで言語媒介者が悪いように聞こえますが、本人の言語発信能力がないのです。 麻生の親が「自分は働くことしか能がない。」とよく話していたので、それが脳裏に浸潤してこのような言語発信に至ったということですが、それは親が本当に能がなかっただけのことです。 国民有権者と何の関係もありません。

 河村が言うべきは、「誤解を招いたことは残念だ。」ではなく「誤解を招いてしまい、まことに申し訳ございません。」です。 この場に及んで、麻生の言語発信能力の欠如をいくら残念がっても、取り返しはつきません。 残念がるべきは、麻生が国民有権者に嫌悪感を撒いたことです。 いさぎよく、謝罪すべきです。

 このように、首相や官房長官たる者、漢字が読めないことも含めて、日本語の構成能力が根底から欠如しています。 見え透いて言い訳がましく、往生際も悪いです。 だから、本番はもとよりその後の釈明も、間違いの上塗りしかできないのです。

 自民党のトップと同じ遺伝子を、その2代目も増幅させて受け継いでいます。

 小泉が言うべきは、「ひんしゅくを買ってしまったとしたら大変残念です。」ではなく、「ひんしゅくを買うことをしてしまい、まことに申し訳ございません。」です。 この2代目に至っては、国民から立振舞い能力の欠如を指摘されて、自分を残念がっています。 28歳の未熟な青二才だからいたしかたないのでしょうが、世間知らずの厚顔横柄さだけは立派なものです。 早くも謝罪することを捨て去っています。 世襲制度のいたすところです。

 私は、自民党の現職幹部や木っ端議員候補が揃って、このような高慢・傲慢・無礼な言動をしでかすのも、すべて自民党が過去54年間政権与党の座から降りたことがなかった、二大政党制という相互牽制機能が働かなかったことに由来すると思います。  
  
 厚い保守利権団体の支持のもとに労せず当選すると、選挙期間中の公約などどこ吹く風、言ったら言いっぱなし、したらしっぱなしの時代が長く続きました。 ろくなマニフェストもそのチェック機能もなく、当選した者勝ちで時間は過ぎました。

 21世紀、これだけインターネットが普及しても、公職選挙法上それはネオンサインやちょうちんと同じ扱いで、選挙期間中は使用禁止となっています。 政党のマニフェストや各議員の活動を報告・管理する、共通ネットシステム構築も遅々として実行されません。

 私は、今回の総選挙で、政権与党を民主党単独過半数で占めてもらいたいと思います。
そして、鳩山代表の掲げる「友愛社会」も手厚い国民生活支援も好ましいところですが、何よりもまず国民の目線で話をすることと、政府、政党活動情報を現在の何倍も開示するオープンシステムを構築することを実行してもらいたいと思います。

 そして、二大政党制を確立し、宿痾の政官業トライアングルを打破した後に、本当の「友愛社会」を実現させ「カンタン」させてもらいたいと思います。