東日本大震災と希望 2012年3月11日
2011年3月11日、東北地方に過去千年間で未曽有の規模の東日本大震災が発生しました。 被災した方々に心からお見舞いを申し上げます。
私は、震災地域の復興をどう支援すればいいかを考えたものの迂遠に過ぎず、思惑するも潰乱し、傷悴尽き果て、再開するまでに1年間のブランクとなりました。
その間に湧出した、未来への希望について考えます。
どうすれば? という言葉は、行動を生み出す。
どうしよう という言葉は、何も生み出さない。
△△だったらどうしよう・・・ ではなく、 ○○するにはどうすればいいか?
と常に考えていれば、あなたは常に行動にフォーカスしている事になる。
これは、私があるブログで見たフレーズです。 このフレーズに督励され、克己することで得た未来への希望を2つ紹介します。
私は、学生時代を去ること30年、もうすっかりベテラン社会人となり、ほとんど日常的に印象づくこともなく過ごしてきました。 しかし、2010年9月に「尖閣諸島事件」が発生し、「結局、過去の政権政党は何の解決施策も実行できず、国民もこれほど将来の禍根となる課題があることを何一つ理解していなかった」 ということが判明しました。
おそらく、「尖閣諸島事件」は「竹島」「北方領土」と並んで、今後の日本の針路を決定し、将来を方向付ける21世紀初期の最大課題となります。 この課題については、2010年10月以来適宜に対応方法を提起しておりますが、再度別枠をもって詳細に述べます。
その直後、3月11日の「東日本大震災」が発生し、自分も何か行動しないといけない、しかしどうするか思いつかないと逡巡していました。
1.2010年当時、子どもが中学生だったので、「子ども手当」なるものが家計に振り込まれました。
私は以前から、「子ども手当」は日本国憲法の精神に反するのではないかと考えておりました。 憲法には倫理規定ながら、教育・勤労・納税という国民の3大義務が定められており、誰かの納税を原資にして誰かの教育費用負担をキャンセルすることは平等に反するのではないかと思います。
そのため、何とか直接役立てられる方法はないものかと考えあぐんでいたところ、年末年始にかけ、全国の児童相談所にランドセル等が贈られるという、いわゆる「伊達直人現象」が起きました。
私もさっそく奈良県の児童相談所に問い合わせたところ、小学校にあがる子どもが4人いるということだったので、持っていきました。 ちなみに、私は「科学忍者隊ガッチャマン」を名乗りました。
小学1年生が未来への希望をどのくらい認識できるかはわかりませんが、少なくとも明日へ続く梯に若い世代を乗せられたことは、先達としての大きな喜びです。
2.2月に、JASP(http://watalucky.com/jasp/)主催の「たすきリレー」という、『福島に全国の想いを届ける』というテーマで、全国から福島への温かいメッセージを送り、福島の復興への励みとするという催しがあり参加しました。
募集が急だったのであまり人数が集まらず、私が3区間を引き受けたりしながら、小学生からシルバーの方まで全員走りきることができました。
私は、その時に、これまでですごいと思った人は誰ですか? というテーマで、一緒に行動した奈良大学の学生の皆さんと会話しました。
私は、何であれ最初の一歩を踏み出して行動する人が一番すごいと思います。 未来への希望を持ち続けているからです。 「伊達直人現象」「たすきリレー」を企画・開始された人に感謝しますという話をしました。
私は、このように一人でも小さなことからでも活動に参加することにより、それが実際に貢献を積上げることになると再認識しました。 また、長い時を超えて、学生の皆さんと真剣に討議する機会も持ちました。
21世紀はますます風雲急を告げますが、何物にも負けることなく、どうすれば? と考え続けることが、未来への希望に「カンタン」に繋がる工程であると思います。