当世書生語る 平成

 

当世書生語る 平成    2019年4月23日


 1989年に幕を開けた平成は、バブル景気が頂点を迎え、日経平均株価が最高値をつける「金ピカの時代」だが、この時代は、「一億総中流」と言われた戦後社会が「格差社会」へ転換し、「貧困」が日常となる時代でもあった。

 1997年の山一證券の破綻と大手企業の倒産の続発の中で、正社員を含めた大規模なリストラが進行した。 平成は、「格差社会」を通り越し、「階級社会」に入った。

 2008年9月のリーマン・ショックを機に大量の「派遣切り」が起き、2009年9月の民主党政権への交代は、そんなうねりの末に起きた。

 2012年第2次安倍政権は、アベノミクスによるトリクルダウンで格差を縮小するとして、異次元の金融緩和、公共事業、新しい産業の育成の「3本の矢」政策を掲げた。

 その結果、円預金利率は『0%』となり、AI・フィンテック・無人化といった次世代の産業技術が登場し、メガバンク新卒採用数はピーク時の3割という時代を迎えて、平成は閉幕する。

 平成時代30年間の経緯と変化を振り返り、繁栄か衰退か、戦争か平和かの予想もつかない令和時代を迎えるにあたり、個々人は何を基準軸とすればよいのであろうか。


 1.ポジションと稼得能力

 いつの時代にも、一定の労働者数と労働能力は必要であるが、その必要とされる能力から格差が生じている。

 終身雇用制度と年功賃金制度の崩壊が始まって久しいが、それは決してすべてが崩壊したのではない。

 能力開発は一朝一夕にできるものではなく、過去数十年間に蓄積された文物を消化するだけでも長期間を要し、さらに付加価値を積み上げることが求められるのであれば、年功制度という考え方自体は科学的に整合する。

 ところが付加価値を産まなくなった途端、制度から排除するという機能は同期しておらず、「1時間以内に荷物をまとめて」の米系証券屋ごとき処遇システム自体に多くの課題が内在することも否めない。

 したがって、外資系に吸収合併でもされない限り上級職は依然としてそれらの制度に庇護され、駆逐されずに居続けるのであり、ともすれば経営が立ち行かなくなるまでリストラが遅れがちなのもそのためである。

 駆逐されるのは、就職氷河期を初めとしたエアポケット世代の、もともと雇用形態が有期契約である場合、あるいは無期契約であっても社内力学で排除された場合であり、それを潜り抜ければ何とか生き長らえることは可能である。

 以前の労働形態は、人数を要した薄利多売への対応目的であったため、有期無期雇用の区分などなく、それなりの救済がされたのであるが、ここに来てロボットが人間に取って代わり、一部の上級職がそのロボットを管理するという社会構造の転換点を迎えたため、人間自体が機械部品と同様に優劣評価されざるを得なくなった。

 となると今後も必要とされる能力とは、言い古されているが一頭地を抜けた

・問題発見能力 ・・・ 専門知識を駆使し、分析すること
・問題解決能力 ・・・ 率先垂範リードし、協調すること
・忍耐力    ・・・ 営利追及のために、深謀すること

とそのたゆまぬ研鑽であり、さらに社内力学の把握と遊弋に尽きるのであり、それなくしていくら弱者救済を唱え、平等待遇を懇請しようとも、何らの稼得能力向上にはならない。

まず、稼得能力の維持と向上を基準軸とすることである。


2.『0%』利率対策

 日本人の貯蓄率が20%を超えて久しいが、現在は定期預金1,000万円に対し税引後800円/年の利息収入が得られるという、清貧時代を迎えた。 すなわち30年間勤務後、退職金の相当部分を預金すると、1年にコーヒー1杯がもらえる。

 日本円は、通貨投機筋にはリスク回避手段としての使い勝手があるであろうが、価値蓄積・複利手段が日本円のみで、外貨運用など無縁に近い日本人にとって、もはや慨嘆するしかない。

 実際、稼得能力の維持と向上をいくら図ったとしても、退職時までに数千万円の運用原資を蓄積すること自体、限りなく不可能であるという現実はあるものの、65歳からの厚生年金受給額がモデル世帯で22万円/月という現実もまた屹立する。

2番目に、『0%』利率対策を基準軸とすることである。


3.いつかは終着駅

 「65歳以上のいる世帯」の相対的貧困率は27%、生活保護世帯の45%が65歳以上。 20万~30万円/月払えるなら民間有料老人ホームに入れるが、お金がなければ公的な特別養護老人ホーム(特養)などにしか入れず、特養は満杯で一施設平均117人もが入居待ちの列をなす。

 金融業界を初めとして、人生100年時代というフレーズが目立ち始めているが、その背面はこのような実態である。

 現状言えることは、経済的にはすでに補完しようのない格差が存在し、いくら稼得能力の維持と向上、『0%』利率対策を図ろうにも、その基盤さえ成立しないまま現役時代から退出する人数が相当数にのぼっている。

 トラジェディーであるが、ダーウィンが教唆するように生活の隅々まで社会の福利厚生サービスに浸り、自主独立の気概を欠いた状態を改善する間もなく、昭和-平成-令和時代の変化に追随できなかった結果である。

3番目に、いつどのような状態で現役時代からの退出を迎えるかを基準軸とすることである。


4.基準軸への解決策はあるか

 このように、

・稼得能力の維持と向上
・『0%』利率対策
・いつどのような状態で現役時代からの退出を迎えるか

ということを基準軸として、生活設計をしなければならなくなったのが、平成時代以降の特徴である。

 逆に言えば、以前はそれらを基準軸とせずとも普通に生活しておれば、すべて勤務先と金融機関と社会制度がまかなってくれたのであるが、いずれの余裕もなくなったということであり、それへの対応はどうすることが求められるかである。

・先手必勝
・知は力なり逆もまた真実すなわち無知は無力なり
・偉きものは歴史に学び 愚かなものは経験に学ぶ
・やって見せ言って聞かせてさせてみて 褒めてやらねば人は動かじ

のような精神論的訓示は縷々普遍しているが、結局は社会保障から自己責任に責任負担が移っただけであり、解決策などは存在しない。

 それに乗じた、組織論だ、資産運用だ、老後の準備だと実に百花繚乱コメントかまびすしいが、このような状況も、どの理論を選択するのが正しいかから始まる自己責任でしかなくなったことの証である。


5.相続財産があれば

 「65歳以上のいる世帯」の相対的貧困率は27%、生活保護世帯の45%が65歳以上、『0%』利率対策というネガティブな状況は避けられないが、これも逆に言えば、高齢者世帯の半数以上は通常かそれ以上の生活水準を保っていることになり、統計的にも金融資産の60%以上は高齢者が所有している。

 高齢者は、モデル世帯で18万円/人/月以上の厚生年金が支給される世代であり、それに持ち家の条件が重なると年金余裕から貯金することが可能であり、言い換えれば子孫世代が納付した厚生年金保険料を特定の高齢者は蓄財しているということになる。

 また、そのような世帯は得てして金融資産も蓄財可能であり、動産・不動産ともに特定の世帯に集中することになる。

 冒頭の、平成は、「格差社会」を通り越し、「階級社会」に入ったとあるのは、決して平成時代に生きる世代の現象だけではなく、平成時代に退出を迎えた親世代も含む、もはや2世代に亘る現象である。

 運も実力の内と言われるが、蓄財豊かな特定の世帯とその子孫はまず運がよく、さらに稼得能力の実力を備えれば鬼に金棒と言える。

 蓄財乏しい世帯とその子孫は運がなく、実力のみで生き抜かなければならない。

まして、実力も備わらない場合は、生活水準をそれなりにするしかない。


6.祖先報恩

 日本が資本主義陣営に属し、自由経済社会を構築して70年が過ぎた今日、個々人の稼得能力に蓄財量も比例することは当初から想定されたことであり、競技と同様にスタートは同じであるがゴールは異なる結果となる。

 少しでも平等均衡を図るべく、累進課税、相続税、各種手当控除等は整備されているが、所得格差を是正することは不可能であり、個々人の運と実力に左右されるものであることは、古来不変である。

 幸運な家系と実力者は祖先への報恩深く、それが正の循環をもたらすことになっていると、そして所得格差の是正は無理でも縮小は可能であると思うしかない。