韓国のお辞儀

 

韓国のお辞儀    2019年2月14日


 韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が慰安婦問題の解決には天皇陛下の謝罪が必要との趣旨の発言をした。 文氏は「一言でいい。首相、もしくは近く退位する天皇が元慰安婦のおばあさんらの手を握り、謝罪の言葉を伝えれば(問題は)すっきりと解決する」と語った。 また、天皇陛下について「戦争犯罪の主犯の息子ではないか」とも述べた。
 文氏は慰安婦問題の解決方法について「真心のこもった謝罪だ。被害者の最後の許しの言葉が出るまで謝罪しろということだ」と語った。「(1月に亡くなった元慰安婦の)金福童(キムボクトン)さんは(謝罪の)手紙1枚だけでも送って欲しいと言っていた。(日本は)被害者を優先せずに答弁している」と主張。「亡くなったとき、弔花や弔問が一度でもあれば問題が解決したということだ」とも述べた。
 文氏は「韓日国交正常化を取りやめようとは誰も言っていない。我が国民は(日韓請求権協定について)心情的に反対しているが、無効だとは宣言していない」と述べた。


 

 

 2009年(平成21年)11月17日にオバマ前大統領が初来日した際、天皇皇后両陛下にお会いした時に頭を深々と下げて挨拶をし、アメリカでは炎上騒ぎにまでなった。 この時、アメリカの大統領たるものが他の国の君主に頭を下げるとは何事だと、アメリカ各地で怒りの声が上がった。 神道の『深い敬礼』以上の所作ではあるが、これさえアメリカでは異質に感じるということである。

 しかし別の見方をすれば、アメリカ大統領が批判されるような所作を厭わないほどに、天皇皇后両陛下の威光は眩いものであるということでもある。

 

  2011年「焼肉酒屋えびす」勘坂康弘社長 ユッケ

      2019年 田口淳之介 薬物

 土下座という所作は、日本人の生活意識では、土の上に座って額を地面につける動作が日常の行動から大きく逸脱しているために、それだけ並はずれた恭儉・恐縮の意を含む礼式であると解釈された。江戸期には相手に土下座をして謝ることで、大抵のことは許してもらえる風潮があったが、一方ではこれを大変な恥辱とする考え方もあった。



 翻って、韓国では大統領自らこのざまであり、韓国・中国へ詫び行脚の好きな鳩山も真似事にいそしんでいる。

 よもや文喜相(ムン・ヒサン)は、このような真似事を天皇陛下に求めてはおるまいが、「被害者の最後の許しの言葉が出るまで謝罪しろということだ。」と言いながら、「韓日国交正常化を取りやめようとは誰も言っていない。日韓請求権協定について無効だとは宣言していない。」と寝ぼけないことである。

 日本と朝鮮半島の関わりの歴史における重要人物として、日本側では以下の8名程度は容易に認識できる。

天智天皇 ・・・ 白村江を撤収し、朝鮮進出政策頓挫
北条時宗 ・・・ 蒙古襲来撃退し、国防強化
豊臣秀吉 ・・・ 朝鮮出兵撤収し、朝鮮進出政策頓挫
板垣退助 ・・・ 征韓論で朝鮮出兵を唱え、自由民権運動
西郷隆盛 ・・・ 征韓論で朝鮮交渉を唱え、西南戦争
福沢諭吉 ・・・ 「脱亜論」を著し、慶応義塾創設
伊藤博文 ・・・ 日清戦争遂行し、韓国統監
桂 太郎 ・・・ 日露戦争遂行し、不平等条約解決

しかしながら、朝鮮側では近代に至るまで、朝鮮出兵時の敵将李舜臣程度しか挙がらない。 韓国の歴史書では、微に入った人物名が著名人として並んでいるかは不明だが、少なくとも世界史的に登場する人物の数と知名度において、日韓はおよそ比較にならないということは李明博(イ・ミョンバク)も認めている。 その後、確かに著名な韓国人は出現するのであるが、すべて日清・日露戦後処理の掃除番となっているのが、歴史の証明するところである。

 たとえば、韓国人が近々100周年記念と心待ちにする三・一事件(万歳事件)であるが、それを評価する声は少数あるものの、日本の日露戦争勝利が世界に与えた衝撃と比べれば、大輪花火の片隅にさまよう煙のごとしである。

 日本はペリー提督の求めに応じて1854年に開国し、欧米諸国と結んだ不平等条約をその後53年かけて解決したが、決して植民地となることはなかった。 その理由は諸説あるが、端的に言えば日本民族民度の高さである。

 それに対して、朝鮮半島に南下を狙うロシア、宗主国を自認する清に併呑されるがままの李氏朝鮮を目の前にして、それが露清の植民地と化すれば、わずか海路200Kmを隔てて元寇の近代戦が発生することは必至であり、大日本帝国が到底看過できるような状態ではなかったことも歴史に見るとおりである。

 そして日本が手をこまねいていれば、今日朝鮮半島に朝鮮民族の独立国など存在しえない状態であったのであり、韓国の歴代代表者は「歴史に学べ」と飽きもせず復唱するが、学ぶ内容はまさにこのようなことである。

 日本の元外務審議官なるものさえ、「1894年の日清戦争の主戦場は朝鮮半島です。 なぜ、日本は朝鮮半島で戦争を続けてきたのか。 それは、朝鮮半島が日本の安全保障にとって重要だからです。 そのプロセスで、朝鮮半島の人々に大きな被害を与えたことは紛れもない事実で、日本人はそのことを忘れてはなりません。」との加害者妄想にともすれば陥るようである。

 この認識が曖昧模糊なのであり、日本は日清戦争で1万7千人、日露戦争で9万人の戦死者を出したが、その相手国は露清であり、朝鮮半島の居住者では決してなかった。 事実、日朝戦争などどの歴史書にも存在しない。

 李氏朝鮮は一縷の戦争遂行能力も持たない国であり、それへの露清の併呑を阻止するべく代理戦争となったものであり、その通路と化した朝鮮半島は戦乱の巻き添えとなったことは事実である。

 ただ、そうならず端から露清の植民地化を選んでいたならば、現代に見るチェチェン、チベット、陥落後の南ベトナムのように、そこで生存すること自体幸運とも言えるような居住環境となったであろうことは容易に想像できる。

 文喜相(ムン・ヒサン)の、「被害者の最後の許しの言葉が出るまで謝罪しろ。」と言う「被害者」とは、生き残った従軍慰安婦などは口実であり、1300年の歴史の中で一度も首領となれなかった朝鮮民族の能力欠如と、その競合相手がほぼ日本一国であったことに対する、「悔」と「恨」の結晶体なる韓国民そのものであろう。

 文在寅(ムンジェイン)は、「今年、我々は日帝時代を経てゆがめられた権力機関の影から完全に脱する元年にしないといけない。」と言ったそうだが、今さら語るに落ちることはない。 それは日本の真似事をして今日までこれたという自認であり、それと訣別して生きる決意が必要ということを再確認するに他ならないことである。

 昨今、700万人の韓国人旅行者が来日し、2万人の韓国人求職者が日本企業に就職する。 日帝時代の影から脱する決意も結構だが、韓国民は結局日本に吸い寄せられつつあるという事実を注視するのもまた良しである。

 百家争鳴、評論家諸兄は「韓国放擲論」が多数派となりつつあるが、その昔はドラ息子に灸をすえる如く教化指導した日本も、もはや厭世的にならざるを得ないことは意を同じくする。

前世紀のような武力制圧は無策であるが、

・科学力、軍事力で凌駕し続ける
・韓国との経済関係を太くし、産業のキーを抑え、利潤を吸い上げる
・遡及行為には「目には目を」の対応
・文喜相のような、無能者への集中攻撃と排除活動
・文在寅への弾劾、罷免キャンペーン

のような半平和的手法により、親日政府を樹立し、再度韓国民を教化するしか方法はない。