憲法改正論議

 

憲法改正論議    2015年1月6日


 その前文には、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と謳われているとおり、日本国憲法は日本国の立ち位置を決定するものです。

 ところが、改憲を唱えるならば右派、護憲ならば左派というように、これまでの憲法改正論議は所詮教科書的なイデオロギーの論争でしかありません。 それは、戦後の日本に、真の2大政党政治が実現できないことと、原因を同じくします。

 日本の未熟性の1つである、戦後70年間における世界の政治経済環境の変化に対応し、人的・物的に相応の国際貢献をするという、思考回路が成立していないためです。

 憲法改正論議の主題は、ほとんどが第9条の解釈についてですが、その他第44条以下の衆議院・参議院の2院制に関する論議についても、改憲に関わってきます。


 憲法改正論議において重要なことは、以下のとおりです。

1.戦前の教訓を生かすこと

 東アジア初の近代憲法である大日本帝国憲法は、一度も改正されることはありませんでした。 その一度も改正されない結果が、どのような災厄を招いたのかは歴史が示すとおりです。

 戦前の日本は憲法上「内閣も首相も存在しない国」として、内閣総辞職以外に各大臣を更迭することができず、軍をはじめとする各省の暴走を止められませんでした。 「不磨の大典」というイデオロギーにより、条文の改正は不可能であったためです。

 ポーランドは、ヨーロッパ最初の成文憲法である5月3日憲法を生みだしましたが、守旧派の貴族たちによる反改革連盟に、国王スタニスワフ・アウグストも参加するような状態で、ロシア帝国とプロイセンにより分割され消滅しました。

 どのようなすぐれた憲法も、それを順守する民度と周辺環境への適応が伴わないと、一片の紙切れにしか過ぎないという例です。

2.戦後の周辺環境変化を直視すること

 日本の周辺環境において、将来的にも大きな脅威であり続けるものは、中国とロシアに起するものであると考えられます。

 経済的に見ても、過去20年間で韓国のGDPは4倍、中国のそれは13倍に膨張しました。 当然のことながら余裕資金の使途は、軍備増強とそれによる威嚇的外交政策です。

 もはや日本単独で中国とロシアに相対することは、軍事力はもとより経済力でも困難な状況になりつつあると認識するべきです。
  

 このように歴史と周辺環境を直視すれば、いつまで20世紀的なイデオロギー論議を繰り返すことが得策であるのか、明白です。 自公政権が3分の2を超えた現在、まずは憲法改正の動議を行うべきであり、それがなければこれまでと同様、時間を空費するだけです。

 現在は情報環境も、戦前とは大きく異なっています。 ネットやSNS上でいくらでも論議は可能であり、言論統制そのものが日本国憲法に反することになります。

私は、憲法改正論議を行う環境は各方面十分に整備されているという点からも、集団的自衛権の問題を先頭に開始するべきと思います。