日本の英語教育

 

日本の英語教育    2012年10月10日


 学校での英語教育は読み書き中心で、コミュニケーションのための英語になっていません。 単語と文法中心の学習から、会話や文化学習など、もっと実務に即した学習に変える方が、より本質的な英語教育になるのではないでしょうか。
という提案がされています。

英語教育について考えます。


 1.一概に英語力というのではなく、レベル区分が必要

 一概に英語が話せる話せないといいますが、まずレベルの区分をしなければならないことを認識する必要があります。

 すなわち、どのレベルの英語力を必要とするのか、案内の為、旅行ガイドの為、ビジネス商談の為、あるいは学術会議プレゼンテーションの為なのかということです。 一般の方なら、案内や自己紹介の10分間程度の会話で済む場合がほとんどです。

 また、案内や日常会話を逐一文書にする人はいません。 ビジネス英語のレベルになって初めて文書化する必要が生じます。 しかしそのように英語を使用する方は、せいぜい全体の10%程度ではないかと思います。

 一般的な日本人が英会話で躓くのは、案内・自己紹介・日常会話程度の内容がスムースに話せないためです。 その場で、日本人同士が会話するような調子でネイティブと会話ができないため、挫折感に陥ってしまうのです。


2.レベル範囲をマスターするために、創意工夫が必要

 日本人の英会話アレルギーを克服する課題は、ヒアリング力です。 日本人が英会話アレルギーになるのは、相手の第一声がヒアリングできないからです。 それをいかに掴んで返答を準備できるかに尽きるのです。

 なぜヒアリングできないのか? その練習が足りないからです。 なぜ練習が足りないのか? 日常的に英会話をする機会がほとんど無いからです。 なぜ無いのか? 自分が話そうと思うことを英語だとどう話すのかを、反復トライアルしないからです。 自分の内面に、いつ英語で話しかけられても受け止められる反応回路が構築できていないからです。

 英会話の練習は、決してネイティブの方がいないとできないものではなく、有意の日本人同士で十分です。 2人以上で、簡単なテーマでいつでも英会話を繰り返すことが、上達する最短方法です。 日本人同士でテニスを練習し、ネイティブ同士で柔道を練習するのと同じです。
  
(1)会話を展開するパターンを考える。
(2)普段から自分の考えをまとめておく。
(3)自分のペースで会話を主導する。
(4)自分で作文をする単語力・文法力を持つ。

というような創意工夫が必要です。


3.基礎的な学校英語教育は必要だが、改善も必要

 英語力もスポーツと同じで、できないことをできるようにするには練習するしかないのです。 何の準備もしないでいきなり自分が知らない話題や単語を言われても、日本語であっても答えられません。 まして、言語が英語なら当然です。

 重要なのは、まず単語力・文法力であり、少なくとも中学校レベルのそれを習得することが必要です。 そして、それをいかした中学校レベルの読解力も必要です。 そしてそれができると、後はヒアリングとスピーキングの練習という順序です。

 したがって、幼少期の英語教材など、日本人が英会話を習得するためにはまったく役に立ちません。 まず、日本語の起承転結がきっちりと理解でき習得できない限り、会話の軸が定まらないのです。

 日本語と英語という言語が異なるだけで話す内容は同じなので、日本語で伝えられないものは決して英語でも伝えられないのです。

 日本人が日本語を習得する場合でも、小学校のころから作文・漢字練習・読書等相当の練習と努力を重ねているのと同じです。

 ただし、高等教育課程になると課題もあります。

[イリノイ州刑法より]
The maximum punishment for a Class 3 felony is imprisonment for a term of not less than two years and not more than five years.
「3等級の罪に対する最高刑は、2年以上5年以下の懲役である(少なくとも2年、多くとも5年の懲役である)」

 このように、現地では法令文書等にしか使われないような文法や、「クジラの構文」のようにそもそも日本語の語法と反っているものが高等学校の教科書には混在しており、英語アレルギーを増幅しています。 受験英語の弊害ですが、このあたりは実務に即した学習に見直す必要があると思います。