論理的思考力

 

論理的思考力    2010年2月21日


 日本の学校教育で知識習得型の時間を減らし、論理的思考力を育成する時間をもっと増やすべきだということが提案されています。

論理的思考力について考えます。


 私は、提案の趣旨としては賛成しますが、教育の意味と目的に立ち返ってみたいと思います。

 日本は欧米諸国や国連常任理事国と異なり、武器を輸出することは禁じられています。 また、現在でも実質的にドルが基軸通貨のため、世界をリードする金融商品を開発・販売することも成し得ません。 

 現在のところ、民生用の自動車・エレクトロニクス製品等の工業製品を外需依存し、付加価値を稼ぐ以外に、十分に雇用を確保し生存する道はありません。 そのためにも、世界最高の製造技術力とそれを支える人的能力および良好な政治・経済・社会システムが必要です。

1.学校教育と産業との関連性

 日本を初めとして、アジア諸国は安価に規格大量生産を行い販売することで収益を確保する産業構造です。 そのため、中間的、均質的レベルの産業従事者を大量に必要とします。 また、伝統的に民族間、国家間の争いも少ない地域です。

 他方、ヨーロッパ諸国は地続きで他民族と接しています。 そのため、歴史的にも軍需品等、他民族に優る科学力を持ち続けないと、国家の存亡に関わることになります。

 17世紀の植民地時代以降、ヨーロッパ文明がばら撒いた科学力が世界の趨勢を決める基礎となりました。 インターネット・コンピューター等は、すべて軍事用として発明されたものであり、民生用を前提としたものではありません。 

 このように、日本やアジアの産業構造が必要とする教育が、知識習得型の時間を減らし、論理的思考力を育成する教育とどの程度一致しているかの見極めが必要です。

 言い換えれば、新製品創造力と規格品生産力をどのようにバランスさせるかの観点から、時間配分を考えることが必要です。

2.論理的思考力の前提として、知識の習得が必要

国語・・・語彙力、文法力や慣用表現力が必要。 それがなければ、いくら論理的に思考しても自分の意見を表現し、相手を納得させることができない。

数学・・・定理、公式や基礎的問題を理解することが必要。 難問と言われるものでも、結局はそれらの展開であり、論理的に考えるとはそうすることである。

社会・・・年号、固有名詞を暗記するだけでは不十分。 しかし、まずどういう順序でそれらが登場したか、そして何をしたかが理解されなくては、論理的に歴史を考えることなど不可能。

 例えば、中高生は中世に不輸・不入の権という制度が成立した事象を学習します。 地方領主が政府の徴税も調査も拒否することができるという権利で、現在の道州制の議論の基礎に通じます。

 しかし、多くの科目を学習しなければならない、時間的な制約の多い中で、このような論理的思考や議論を中高生が行う余裕があるかどうかが問題です。

 私は、むしろ現在の科目に加えて、自己責任の意味・金銭管理の重要性・生活設計のノウハウ・社会人生活の基礎等を学ぶ教科を充実させる方が、効果的だと思います。

3.教育機関も重大な責任

 タイム誌の世界影響力ベスト100人に、日本の政府関係者は入っていません。 そのキャリアからしても、大学教育の責任は大きいです。 能力育成の例として、

政治的リーダー育成(ディスカッション・政策立案・外交戦略等)
経済的  〃   (ノーベル経済学賞受賞・政策オピニオン等)があげられます。

 大学教育の到達目標が明確になっていないから、規格大量生産型と論理的思考型の区別がつかないのです。

 本当の論理的思考力を育成するとは、そのような人材育成を目標にした教育システムを整備することですが、日本の大学教育自体が、規格大量生産型の教育から脱しきれていないため、成果が上がらないのです。 大学自体が、明確に成否のわかる目標を立てて、教育システムを見直すべきです。

 しかし同時に、大学教育もすべてが論理的思考型では成り立たないことも認識すべきです。

 将来的にも継続するであろう、規格大量生産を踏まえた産業構造と、それを裏付ける産業人育成のための教育システム、および日本やアジアの弱点である政治的・戦略的リーダーの育成を総合バランス的に立案することが高等教育機関の責任です。

 私は、決して論理的思考型でなければならないと偏重しないことが重要であると思います。