北朝鮮核実験

 

北朝鮮核実験    2009年5月8日


 北朝鮮は、テポドン、ノドンなどの弾道ミサイルおよび核兵器を開発し、2006年7月、2009年4月に東方に向けて発射実験しました。
安保理議長声明は、弾道ミサイル関連活動の停止などを求めた06年の対北朝鮮制裁決議(決議1718)に違反した行為であることを明確にしたうえで再発射の自制を要求し、北朝鮮がさらなる挑発的な行動をとらないよう国際社会が強く迫る内容です。
北朝鮮は、ミサイル発射問題をめぐって6者協議からの離脱と核開発の再開を宣言しています。

北朝鮮について考えます。


 漢字が形成された方法の1つに象形文字があります。 例えば、人が木にもたれているところを象形して「休」という文字になっています。ここに「道」という文字があります。 「首」に「しんにゅうへん」となっています。 この「首」は人間の首を、「しんにゅうへん」は細長い場所を表します。 

 秦の始皇帝の時代、都には毎日のように北方から盗賊団が侵入し、財産を略奪していきました。 始皇帝は、討伐部隊を盗賊団の根拠地に派遣し退治しようとしますが、彼らも逃げ足が速く完全制圧は困難です。 討伐部隊が引き上げると、またしても都に来襲するという繰り返しです。

 そこで、討伐部隊の将軍は、「我々が引き上げた後、彼らが都を襲おうとしても、その途中で恐ろしくなって引き返すような方法はないものか」と思案しました。 そして、都に通じる唯一の道の両側に杭を打ち込み、それに切り落とした盗賊の首を刺しました。 何千何万の首が通行者を睨み、夜になると青白く光りました。

 これには盗賊団も恐れをなして、再来は止んだということですが、このように首がずらりと両側に並んだ場所を象形して、「道」の文字になったのです。


 また、近代に至ると、第2次世界大戦前夜が思い出されます。 日本は、満州事変以来中国大陸に侵攻し、また南太平洋で対英米戦に備えるという2正面の戦線を張りつつありました。 当時の日本の経済力・軍事力をもってすれば全く無謀ともいえる状況であり、そのため日本政府も中国戦線については50万人の兵力を圧縮する方法を模索しました。
 
 その1回目は、親日家であった汪兆銘による蒋介石国民政府との仲介交渉です。 日本の関東軍は万里の長城線以北に撤退する代わりに、国民政府は満州国の成立を承認し停戦するという塘沽停戦協定を締結するところまでこぎつけたのですが、その後の日本政府の協定遵守違反により破綻しました。
 
 2回目は、駐中国ドイツ大使トラウトマン工作です。 こちらも満州国の承認と中国全土の非武装中立地帯化という内容で、国民政府の受諾まで及んだのですが、やはり日本政府の決断遅延のため破綻したのです。

 そして3回目は、アメリカ国務長官ハル・ノートです。 これにより、日本はすべての海外権益放棄か戦争か、二者選択の道しか残らなくなったのです。


 さて、北朝鮮です。 弾道ミサイルの実験に続き、核実験も再開される状況が報道されています。 

 私は、将来北朝鮮が、相当の核兵器を開発し弾道ミサイルに搭載しようとした時点で、アメリカあるいは中国がその箇所を先制攻撃するのではないかと懸念します。 中朝国境線の鴨緑江に沿って、上記の「道」の文字の由来となったごとく、無数の北朝鮮兵士の死骸が転がることの無いように、始皇帝の故事が21世紀に再現されることの無いように、北朝鮮の自制を切望します。

 1940年当時の日本とアメリカのGNP比率は、10倍程度の差がありました。 しかし、現在の北朝鮮は500倍以上、日本とでさえ200倍以上の差となっています。

 「勝ち目の無い相手とは、組んだほうが得」という西欧の諺があります。 北朝鮮は、世界文化遺産の高句麗古墳群をはじめ多くの観光資源を有しています。 日本・中国・ロシアの結節点に位置していることもあり、核装備廃棄と平和条約締結を実現すれば大きな経済発展も期待できます。 北朝鮮市民にとっても、その周辺国にとっても平和な地域が構築されるのです。

 私は、半世紀前の日本のごとく、北朝鮮がこれ以上退き時を誤って、破綻への道を進まないでもらいたいと思います。 そして、国際社会の一員として復帰することが案外「カンタン」だと覚醒するように期待したいと思います。