地域コミュニティ

 

地域コミュニティ    2009年6月17日


 公立学校の先生は、子どもたちの学力維持、向上に苦労する一方、都市圏を中心に私立中学への進学率が高まっています。

これに対し、

(1)補習(2)クラブ活動支援(3)PTA活動の機能を併せ持つ、「地域コミュニティー委員会」を公立学校に設置する

という提案がされています。

「地域コミュニティー委員会」について考えます。


 私は、提案の目標とされることには賛成します。 ただ、手段について、懸念する要素も幾多あります。

「地域コミュニティー委員会」なる組織に、過剰な期待をすることは危険です。

(1)「地域コミュニティー委員会」は誰が管理・統制するか

 現在は学校教育と家庭教育の棲み分けが、一応成立しています。 ところが、委員会が新たな活動を開始して、委員会と学校と家庭のそれぞれの方針が異なりだしたら、誰かが調整しないと収拾がつかなくなります。 また、同じ市町村の学校単位の委員会相互でさえ、方針が異なる場合も生じます。

生徒にとっては、ワンマン2ボス方式となりかねません。

(2)「地域コミュニティー委員会」はボランティアか

補修  学校の先生と同等あるいはそれ以上の教育補修を、ボランティアに依存するということが現実的かどうかです。 高校受験はもちろん    のこと、中学受験でも大都市近郊は激烈という事実が既にあります。 ボランティアが補修をしたぐらいでどうなるものでもありませ    ん。

    早晩、委員会はスカウトされた塾講師により受験塾と化すか、誰も相手にしなくなるかのどちらかです。
 
クラブ 選手経験者の先生も多い中で、補修と同様、ボランティアに依存するということが現実的かどうかです。 スカウトされた優秀な指導    者がいれば、越境入学さえ起こりかねず、反対に指導者に恵まれなければ廃部にもなりかねません。
 
    運動能力の面でも、学校間のレベル差が拡大します。

PTA 学校本来のPTAさえ、共働き家庭の増加に伴って充分な活動が行われなくなりつつあります。 関係者全員の意見は反映されにくい    状況です。

    まして、学校に子弟がいない、現場を直接知らない立場の人が、意見を出すことは極めて不自然です。

(3)現役の先生でも手に負えないような教育課題を、大学生やリタイアした高齢者でどのように解決するか

 大学生は、社会人未経験者であり、リタイアした高齢者は世代が大きくずれています。 そのような、指導者として適切とは言えない状態のまま、事故が起きたときの責任所在は誰になるのか不明瞭です。

 以上の懸念事項から考えても、「地域コミュニティー委員会」の守備範囲は、せいぜい夏祭りの世話役程度の無難な範囲でしかありません。本職の先生の片棒を担ぐような、大規模・恒常的な組織を新設することなど、人材的にも財源的にも不透明すぎます。

 また、機能不全の教育委員会を放置しながら、それを補完するシステムを構築すれば、教育官僚の天下り先になるだけで、組織の肥大化という点で行政改革にも逆行します。

 アメリカでは、ハーバード大学と各州立大学とのレベル差を埋めようなどとは誰も考えません。 それぞれに担う役割があるのです。

 私立学校と公立学校との教育格差を埋める、しつけ・社会的参加等は、文部科学省のカリキュラムにありません。 学校のあるべき守備範囲と社会的要求とのギャップが、このような「屋上屋を架す」組織論に発展するのです。

 学校教育の実施と管理は、あくまで学校組織が一体化して、責任を持って取り組むべきです。 部外者が、教育者まがいの介入をするべきではありません。 そのためにも、それらのギャップを充分に考慮した上で、文部科学省のカリキュラムと授業時間の見直し、および先生の絶対数の充足が必要です。 
 
他方、教育委員会の予算を削って学校教育の予算に配分するというように、組織論は常にスクラップアンドビルドを考えるべきです。