赤ヨイショ 白ヨイショ

 

赤ヨイショ 白ヨイショ    2019年4月30日


 「弱者に優しい社会」は日本人全員を弱者にする。 1つは高齢者問題、もう1つは雇用問題であり、利便性を得たければ学習することだ。 それこそが成熟社会のモデルであるという意見。【第1案】

 弱者を見殺しにする冷たさ、多様性を認めぬ冷たさ、敗者を排除する冷たさ。人と人とのつながりが希薄化する中で、凍り付いていく社会。 今、ここで、大きく舵を切らなければ、日本は氷河期へまっしぐらだという意見。【第2案】

 さて、平成時代30年間を通じて到達した、どちらの意見が正しいのであろうか。


【第1案の要旨】

 基準を「先進」に設定するか、「後進」に設定するか。 社会の進化という意味で、大方の国は「先進」に基準を設定している。 デンマークも中国もIT化がどんどん進み、できない人は容赦なく置いていかれる。 弱者に優しくないと言われたらそこまでだが、弱者に優しくするには、コストがかかることを忘れてはいけない。 そのコストは全社会が負担し、生産性の低下を招き、社会の進化を妨害し、最終的社会全体の弱体化につながる。

 雇用維持を目的に仕事を残し、労働生産性を低下させている。 OECDのなかで、日本の労働生産性は常に下位。 業務の合理化を冷徹にやってしまえば、多くの余剰人員が生まれる。
 
 ドラッカーの言葉「There is nothing so useless as doing efficiently that which should not be done at all.(価値を生み出さない仕事をまじめにやっている、これほど馬鹿馬鹿しいことはない)」。

 後進や弱者に基準を設置する社会は決して強化されない。 残される道は生産性の低下に伴う全員弱化にほかならない。 弱者援助は必要だが、自称弱者でなく本物の弱者を助けることだ。 そのためにも強い共同体が不可欠である。

【第2案の要旨】

 東大祝辞で上野氏は、《世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと……たちがいます。 恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。》と唱えた。

 2007年のアメリカの調査によると「国は貧しい人々の面倒を見るべき」という考えに対し、同意すると答えた人は、イギリス91%、中国90%、韓国87%、アメリカ70%であったのに対し、日本は47カ国中、最低の59%だった。

 「たまたま恵まれた環境と能力と運」によって、分かれ道ができただけであり、離婚、不登校、引きこもり、虐待、介護、死別、病気、事故、加齢など、誰もが、あっという間に「弱者」になるのに、その痛みを分かつ「想像力」を持たない人たちが世界のどの国よりも多くいる。

 「日本の温かさとか紐帯というものは、非常に限られたいわゆるタテ社会に存在するものであって、そこに属していない人に対しては非常に冷たいというか極端に無関心という面を持っているように思われる。 敗者となったものでも、何回かの再挑戦をさせる機会を与えているかいないかが温かい社会と冷たい社会を分けるのであって、その意味では日本の社会は冷たいと言わざるを得ない。」と唱える方もいる。


 カンタンタイムは、立場の偏った、現場から乖離した意見が多いことへの警鐘に立ったものであり、織田信長も、浄土宗と法華宗のどちらが正しいかという安土宗論を行ったように、思考プロセスの偏りというものは不毛の議論へと発展する。

 第1案は、経済学が、人間の欲望は無限であることを前提として効用曲線を描くように、人間の進化も無限であるとした論理構成であるが、いつか進化は頭打ちとなると考えるべきである。

 進化するためのコストは、その成果により回収されなければ経済合理性は成り立たないが、人間が一挙一動しなくとも自動的に運営されるような社会が、人間と共存可能であるという前提に立つのかどうか。

 どんなに効率化を進めても、そのシステム運用主体は一般国民であり、マイナンバーカード取得率が15%であり、ハローワーク用80億円のサーバー利用率が想定の0.1%でしかないのが実態である。

 容赦なく残置した者への社会保障費は社会全体が負うことになり、国民負担率、相対的貧困率もますます増加し、海外諸国同様社会不安化するが、その結果スラム街と共存することが目標か。


 第2案は、まず社会保障制度設計から必要であるが、日本の国民負担率はOECD諸国と比較して相対的に低く、伸びしろはある。 言い換えれば、国債発行により税収不足を補っているのであるが、増税か国債増発かは既にされつくした不毛の議論であり、本題から離反する。

 問題となるのは、「国は貧しい人々の面倒を見るべき」という考えに対し、同意者が上位のイギリスは、過去から社会保障制度の完備した模範的国家であったが、ここにきて移民受け入れの負担拒否によりブレグジットを決議するに至った状況変化である。

 また、その次に位置する中国・韓国は、弱者に冷たいはずの日本に就職希望者が急増し、政治と経済は別物という好都合の自国政府方針に活路を見出そうとするものの、実際は悲惨な結末を迎えていることが日常的に聞かれる。 

 また、弱者になる原因が列挙されているが、それらの多くは、日本のアニメが教唆するように、自己啓発・自己責任・忍耐により克服されるべきものであり、幼少者に対する虐待等は、早くから社会問題化しているが行政対応が後手に回っているものである。

 そして、タテ社会に温かさがあれば、東大卒業の女子社員以下従業員が自死することは起こらない。 すべては、組織の仮面を被った、上位者個人の恣意的判断に依拠する結果である。


 日本が資本主義陣営に属し、自由経済社会を構築して70年が過ぎた今日、個々人の稼得能力に蓄財量も比例することは当初から想定されたことであり、競技と同様にスタートは同じであるがゴールは異なる結果となる。

 少しでも平等均衡を図るべく、累進課税、相続税、各種手当控除等は整備されているが、所得格差を是正することは不可能であり、個々人の運と実力に左右されるものであることは、古来不変である。

 幸運な家系と実力者は祖先への報恩深く、それが正の循環をもたらすことになっていると、そして所得格差の是正は無理でも縮小は可能であると思うしかない。