肇国・靖国の雲青し

 

肇国・靖国の雲青し    2014年1月30日


 12月26日の安倍総理靖国神社参拝を、朝日新聞を初めとした報道各社は批判中傷しています。

 しかしながら、これ程の深淵な問題を朝刊の片隅で論説しようとするところに無理があります。 このような極端な表現では、右傾・左傾のどちらに偏って解釈されてもいたしかたのない結果となります。

どのような歴史の織成により、今日の日中韓の騒擾を招いているのかを考えます。


1.12月26日の安倍総理靖国神社参拝を、朝日新聞を初めとした報道各社は批判中傷しています。

 内向きな、あまりに内向きな振る舞いの無責任さに、驚くほかはない。 首相は参拝後、「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせる。 それ以外のものでは全くない」と語った。
戦前の靖国神社は、亡くなった軍人らを「神」としてまつる国家神道の中心だった。戦後になっても、戦争を指導し、若者を戦場に追いやったA級戦犯をひそかに合祀した。
戦死者を悼みつつ、永遠の不戦を誓った戦後の日本人の歩みに背を向ける意思表示にほかならない。 「痛恨の極み」。 こんな個人的な思いや、中国や韓国に毅然(きぜん)とした態度を示せという自民党内の圧力から発しているのなら、留飲をさげるだけの行為ではないか。 それにしてはあまりに影響は大きく、あまりに不毛である。



2.中韓の反日行動は、どのような歴史事実をもとに醸成されてきたのかを検証します。                      

                        
1592年 文禄・慶長の役
1609年 日朝通商条約 朝鮮通信使
1689年 鬱陵島を朝鮮領土として承認             ネルチンスク条約
                               第1次産業革命
1840年                 アヘン戦争
1851年                 太平天国の乱 
1856年                 アロー号事件       セポイの乱
1858年                           アイグン条約                            
1875年 江華島事件     第2次産業革命
1876年 日朝修好条規
1894年 東学党の乱(甲午農民戦争)   金玉均暗殺
1895年 閔妃暗殺(10)          日清戦争(3) 下関条約(4)
1897年 大韓帝国に改称

1900年                 義和団の乱        ボーア戦争
1904 年 第一次日韓協約(8)                  日露戦争(2-10)
1905年 第二次日韓協約(日韓保護条約)(11)
1907年 第三次日韓協約 韓国軍解散
1909年 伊藤博文暗殺
1910年 韓国併合ニ関スル条約(韓国併合)x
1911年                 辛亥革命 x
1914年                            第1次世界大戦
1915年                 21か条要求   
1924年 京城帝国大学設立
1932年                 満州事変
1937年                 日華事変
1945年                           ソ連侵攻
1949年                 中共成立
1950年 朝鮮戦争
1951年                         サンフランシスコ条約
1952年 李承晩ライン設定
1965年 日韓基本条約                      ベトナム戦争
1972年                 日中共同声明
                    ニクソン訪中
1992年 中韓国交樹立



 この年表に見るように、19世紀中盤から20世紀後半にかけての100年余の歴史は、産業革命を基盤とした先進欧州諸国の、後進アジア諸国に対する侵略政策と、それを阻止しようとする戦いの歴史です。

 また、アジア諸国の中にも序列が存在し、朝鮮は清へ朝具することで保護を受けた気になるという冊封体制が続き、それに対峙する日本は独立自尊の位置を確保していました。

 その清も、中華思想に固執するあまり開国が遅滞し、工業技術的にも軍事的にも後れを取り、アヘン戦争を契機に列強諸国に侵略され放題の状態となりました。

 1853年に開国した日本は列強諸国に対峙するべく、富国強兵・殖産興業・文明開化路線を疾駆し、朝鮮のように隣国に卑下せず、清のように欧米列強の餌食とならないように刻苦奮励しました。



 この状況を当時のフランス人が風刺したものが上図であり、左図のように朝鮮は日本と清のどちらに依るべしかを伺う「池の魚」として描かれています。 このあたりは、今日の韓国の状況とも酷似しています。

 また右図は英仏独露に寸断される清ですが、陶器美術等に美点があるとはいえ、中国とはいかに欧米から見下された存在であるかを物語っており、同じくそれは今日まで継続しています。



 やがて朝鮮内政が制御不能となった清は、日清戦争の敗北によりその施政権を日本に譲渡し、義和団の乱・辛亥革命と続く内乱と賠償金支払負担により滅亡しました。

 日本は朝鮮半島支配に触手を伸ばすロシアと結託を図る閔妃を排除し、国家予算の8年分の戦費を投入しながら日露戦争に勝利し、ロシア南下の懸念を一掃してその後の東アジア地域安定のため韓国併合を行いました。 アジア各国が欧米植民地支配排除の夢を日本に託し始めたのも、この時からです。

 伊藤博文は、実は併合反対派でしたが、安重根により暗殺されたために併合するに至ったという経緯や、日本は韓国人を教育するために初の大学を建設したということを考慮しても、上図の「魚」ように日中露のいずれに依ることが韓国ために良かったかは、歴史が証明しています。

 また、中華民国に対して日本は袁世凱自身によって起草され、要求された策略といわれる21か条要求を行い、国家予算の半分を占める日露戦争戦費調達の外債の利払に対処するという戦略をとりました。



 しかしながら、満州事変以降の日中両国の歴史は、まさに産業革命を基盤とした先進欧州諸国の、後進アジア諸国に対する侵略政策と、それを阻止しようとする戦いの歴史を再現します。 後項の村山談話が語ることも、この歴史を前提としています。

 

3.幾多のアジア・アフリカ等への欧米諸国の侵略・植民地政策はどのようなものかを検証します。

 1531年 ピサロは、約180人の手勢と37頭の馬を引き連れ、インカ帝国を滅ぼしクスコを制圧した。 現在のペルー人は、インディオはもちろん、混血であるメスティーソの多くも自らのルーツを「インカ人」ととらえており、「ピサロは先祖が築いたインカ文明を破壊した人物」と認識している。 (資源獲得のため侵略)


 1856年 インドの資源はイギリスに吸い取られ、産業革命を成功させた大量の良質な綿製品がインドに流入したため、極端なインフレ状態になり国内は混乱し土着の綿工業は急激に衰退した。 イギリスは捕虜となった反乱軍兵士への残虐な処刑(大砲の砲口に縛り付け、木製の砲弾を発射して体を四散させる)を見せしめとして行い、恐怖で反乱軍とインド民衆の士気を砕こうとした。  (植民地権益保護のため侵略)


 1900年 金とダイヤモンドの豊富な鉱脈が発見され、これに目をつけたイギリスは侵略した。 英軍司令官のホレイショ・キッチナーは、ゲリラとなったボーア軍支配地域で強制収容所(矯正キャンプ)戦略を展開しはじめ、12万人のボーア人が強制収容所に入れられ、この収容所では2万人が死亡した。 (資源獲得のため侵略)


 1840年 イギリスは産業革命による資本蓄積やアメリカ独立戦争の戦費確保のため、銀の国外流出を抑制する政策をとり、植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺し、三角貿易を整えることとなった。 イギリス本国の庶民院でも、野党保守党のウィリアム・グラッドストン(後に自由党首相)らを中心に「不義の戦争」と批判された。           (貿易権益獲得のため侵略)


 1856年 清の官憲はイギリス船籍を名乗る中国船アロー号に臨検を行い、清人船員12名を拘束したが、広州領事ハリー・パークスは、イギリス(香港)船籍の船に対する清官憲の臨検は不当であると主張した。 英仏連合軍ことに仏軍は円明園で略奪し、略奪品は大英博物館に展示されている。 数え方によれば、ルーブル美術館の一部の展示品の半分以上は中国美術品である。     (貿易権益獲得のため侵略)



 中韓の首脳はどこまでこのような汚辱の歴史事実を理解しているのか、あるいは理解できないのかはわかりません。 しかし真実は、日本が世界史の舞台に登場するはるか以前に、それらが欧州諸国により数多行われていたということです。

 そして最大の被害者は、中韓舎弟同盟そのものでありました。 上図のような風刺画が存在すること自体、中韓の欧米世界に対する怨嗟が根強いものであろうことは理解できます。

 そしていち早く「脱亜入欧」をスローガンとしてGDP世界第2位を達成した日本もまた、中韓からすると悋気の対象となろうことは理解できます。

 確かに日本も「イエローモンキー」と揶揄された時代はありましたが、今では死語となっています。 なぜ日本がそうなったのかは後項のとおりですが、逆になぜ中韓がそうなっていないかという理由の1つが、この歴史事実なのです。

 

4.第2次世界大戦処理はどのように終了しているのかを検証します。

1965年 日韓基本条約 

 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

 1972年 日中共同声明

 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。 日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。 両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。



 中韓とも、それぞれの時点ですべての請求権を放棄し、解決済みと明文化しています。 少なくとも、この条文しか見ることのできない後世の世代にとっては、そのように解釈するべき表現です。

それが今日、「いやあれは・・」「でもこれは・・」と学識の中枢である裁判所が判決するようでは、もはやまともな文明国家ではありません。 近衛文麿でなくとも、「・・・相手にせず」と放擲しなければなりません。



5.河野談話、村山談話の位置づけを検証します。

1993年 河野談話

 慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。 本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。 政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。


1995年 村山総理大臣談話

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。 私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。 また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。



 首相は参拝後、「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせる。 それ以外のものでは全くない」と語ったとあります。

 まさに河野談話、村山談話と同内容であり、日本は「日韓基本条約」「日中共同声明」の成立後も、お詫びして反省して哀悼の念を捧げてご冥福をお祈りし続けているのです。

 朴槿恵政府は、日本が村山・河野談話を継承することを求めているようですが、日本人がこの日本語を解釈すると、過度に継承し続けています。

 朴槿恵政府が日本語を理解できないのであればいたしかたありません。 再度、まともな文明国家ではないと言うしかありません。



6.日本は、中韓にどのように賠償と経済援助を行なったかを検証します。

 韓国はサンフランシスコ条約の当事国に含まれなかったため、国交は成立しないままとなっていたが、朴正煕政府は、日米など諸外国との関係改善を急ぎ、1965年に日韓請求権協定を締結した。

 この協定により、日本は韓国に対して無償3億ドル・有償2億ドル・民間借款3億ドル以上(当時1ドル=約360円=3000億円。 現在価格では合計4兆5千億円相当。 当時の韓国の国家予算は3億5千万ドル程度)の資金供与及び貸付けを行った。 

 国際協力銀行によると1960年半ばから90年代までにトータル6000億円の円借款が行われ、韓国はこうした資金を元手に「漢江の奇跡」の象徴とも言われる京釜高速道路をはじめとした各種インフラの開発や浦項総合製鉄をはじめとした企業の強化を行った。


 日本が2国間援助の累積総額で最も援助している国は中国であり、2007年度末までに、円借款:約3兆3000億円、無償資金協力:約1500億円、技術協力:約1600億円の資金援助を行っており、2007年度までに日本は中国に多国間援助と合わせて約6兆円のODAを行っている。


 このように過去からの累計簿価ベースで、日本は韓国に6000億円、中国に6兆円の借款・ODAを行っています。

 ちなみに、セポイの乱後植民地から連邦制へと発展したイギリスとインドの2国間援助額は、過去40年間の累計で1兆円です。

 日本は、イギリスのそれと比較すると人口比で韓国に12倍、中国に5倍の援助を行ない、その結果として韓国は世界第15位、中国は第3位のGDPを計上するまでに成長しました。

 ところが、中韓政府有識者はさておき一般国民にはそのような実績が享受されていないという事実があります。 その理由として、

・日本はGDPで世界第2位かつGDP/人で世界第12位という名実ともに経済優良国であるが、GDP/人は韓国は第35位、中国に至っては第88位という歪んだ所得再分配状態で、末端にまで経済成長効果が浸透していない。

・日本も産業黎明期は、欧米の技術を模倣導入することから始まったものの、八八艦隊の建造・零式戦闘機の量産等を通じて欧米を凌駕する独自技術を開発したが、中韓ではそのような独自技術の進展は皆無である。

・中韓の企業は、政府系・財閥系という一部特定の企業に資本が集中しており、民主主義的競争原理が働かない。

というようなことが挙げられます。

 まさに中韓の歴史が示すとおり、美術工芸品・文学作品等人文科学分野には見るべきものはあるものの、イノベーションを惹起させる自然科学、社会制度を充実させる社会科学の分野レベルにおいて、日米欧とは決定的大差があります。

 これが、日本は韓国に6000億円、中国に6兆円という、英連邦も卓抜するような援助を行うにも関わらず、中韓国民はその実態が理解できず、その政府もまた理解させようとしない理由です。



7.北東アジアの安定が強調されるが、アジア全体を考えると中韓両国の反日行動が突出しており、ASEAN諸国の対日感覚とは異次元といえる状態であるということを検証します。

 某中国人企業家が、靖国神社の問題に関して以下のコメントをしています。

 敗戦した日本兵と子供と婦女を船に載せて日本に返した上、戦争賠償も放棄したのは中国のみでした。 その時、中国政府が我々中国国民を説得したのは「日本国民も犠牲者だ。一握りの戦争犯罪者を罰すればいい」でした。 日本では反日教育というが、正確にいえば反軍国日本軍の教育であり、この「日本国民も被害者」という教育も徹底されてきたのです。 中国人の誰も日本の宗教や犠牲者への追悼に反対している訳がありません。 戦争の罪人を「英霊」として参拝していることに反対しているだけなのです。 天皇陛下も同様な理由で参拝をおやめになった訳です。 これは日本がポツダム宣言などを通じて世界との約束であり、日中和解の基礎でもあるのです。



 ところが、以下は近年中国で発生した反日行動の内容です。

 2005年 日本の国連安保理常任理事国入りの可能性が濃厚になると、中国で反発が高まり、ネットで1000万人を超える反対署名が集められた。 4月9日には北京で日中国交回復以来最大となる1万人の学生が参加した反日デモが発生した。 このデモ隊は一部が日本大使館や日本企業に投石を行うなど暴徒化した。 4月10日には広州で2万人参加のデモが行われた。 デモ隊はいっそう過激化して、日本人が中国人に殴られたり、中国人経営の日本料理店や中国人が乗る日本車に対して攻撃するなどした。


2010年 尖閣諸島中国漁船衝突事件をめぐって中国各地で反日デモが行われた。


2012年 9月10日に日本政府が尖閣諸島を民間から買い上げ国有化することを閣議決定すると、中国の各メディアは大々的に尖閣特番を編制し中国国民の反日感情を煽り連日に渡って反日デモが繰り返されるようになった。 15日には、日中国交正常化以降最大規模の反日デモが中国各地で発生し、日本企業への大規模な襲撃が引き起こされる事態に至った。 日系企業の工場や日系自動車会社の販売店などは徹底的に破壊された後に放火され、事後の操業が困難となった。 また、日系スーパーやコンビニエンスストアは大規模な破壊と略奪行為に晒され、中国人が経営する日本料理店や路上を走行中若しくは駐車中の中国人所有の日本車も破壊された。



 このように、中国人でも有識者階層の方は実に崇高なコメントを発信し、断片的には納得性を有しますが、反日行動の実態は全く異なっています。

2006年8月15日に小泉首相は靖国神社を参拝していますが、それに対する顕著な反日行動は記憶にありません。 むしろ、日本の行動が中国の狭隘な中華思想や領土国益に抵触した場合に激発しています。

 すなわち、中国サイドからいかに有識者らしき高邁な精神論で理由付しようとも、それはことごとく国民の実行動とかけ離れた虚言となっているのです。



 また、幸い韓国では中国程の愚行は発生しておらず、せいぜい日本大使館前で日章旗と人形を燃やして終わりとなっていますが、これは韓国のGDP/人が中国の4倍程度あり、「知足安分」効果が出ているためです。 また、日本軍により被害を受けたという祖先からの伝授が少なく、骨髄に浸みるような怨嗟を持ち合わせていないためです。 すなわち、朴政府が1人で舞い上がっているという状態です。

 これらが、前項の汚辱の歴史・条約文の解釈力・経済支援の分配実態に続いて、中韓首脳が羞恥もなく、告げ口外交を展開しなければならない理由です。



8.ASEAN諸国等の対日感覚を検証します。

ASEAN各国の新聞報道では、

インドネシア コンパス紙は、
(靖国問題で)自らを被害者と位置付ける中韓の主張は一面的な見解だ。

シンガポール ストレーツ・タイムズ紙は、
安倍首相が参拝に踏み切ったのは、これまで摩擦を避けようと終戦記念日や春秋の例大祭で参拝を見送ったにもかかわらず中韓が強硬姿勢を崩さず、冷え切った中韓との関係に改善の見込みは少ないと見切ったためだ。

と分析しています。


 ASEAN各国には、中華思想のようなものは全く存在しません。 日本の戦争行為に対しては懐疑があるものの、日本軍による占領は独立への機会になり、日本は文化、政治、安全保障の面でも優れた模範を提供できるという見解です。

 実際に、ASEAN各国の女性と会話しても、白人は横暴だから・・・韓国人はアホだから・・・中国人は下品だから・・・というコメントを耳にすることが多々あります。 その反対に、マイルド・クレバー・ジェントルと見なされるのが日本人であり、実態を正直に言い表しています。



欧米列強は、以下のASEAN各国を植民地として支配していました。

フランス・・・ベトナム、ラオス、カンボジア
オランダ・・・インドネシア、ニューギニア
イギリス・・・マレーシア、シンガポール、ミャンマー
アメリカ・・・フィリピン

 ドイツ、イタリアは枢軸国側であり友好的です。 上記の植民地を日本が解放する機会を提供したという点でASEAN諸国は歓迎的ですが、日本の軍事力による解放過程とアジアの国に敗北したという事実が慙愧に耐えない感はあります。 

 それほどに、日露戦争以降の日本の存在感はすさまじいものがあるのですが、幸い欧米とは地理的に遠隔であり領土問題も存在しません。



9.中韓の対日感覚を検証します。

 これまでの検証により、

・中国は中華思想、韓国はその属国としての小中華思想の染色体を持った中韓舎弟同盟のもとに、鎖国状態で歴史を織りなした。

・しかし1800年代になると、狭隘な中華思想の敗北と近代化の遅れから欧米列強に蹂躙され、日本にも遥かに先行されることとなった。

・脱欧米植民地化への評価が明瞭でなく、戦後処理の条約に対する不理解とも相乗して、日本の経済援助に対する合理的な認識ができない。

・未成熟な政治体制や独裁政党主導のもとに経済規模の拡大のみを続けた結果、所得の再分配も社会保障制度の充実も遅滞した、歪んだ格差社会が出現した。

・その国民不満の矛先をかわす方法は、経済合理性と恩義を黙殺し、過去の歴史と怨讐を投影し、事あるごとに世界中に流布公言する一過性の行脚しかない。

・アジアで中韓に文物ともに優っているのは日本だけという事実であるが、偏狭中華思想のDNAをいまだに有する民族として、これほどの屈辱と憔悴はない。

・少なくとも、ASEAN諸国の日本に対する姿勢は、中韓に対するよりも好意的であり、中韓に同調する国はラオス・ミャンマー程度しか見当たらない。

ということが判明します。



 中国は、毛沢東・周恩来体制まで、あるいはせいぜい鄧小平体制までは、日本と争覇すればこのような実態が露呈するということを理解していました。 GDPを拡大するために、日本からの資本投資と技術移転の増加を目論んでいたからです。

 また韓国では、朴正煕政権は朝鮮史における事大主義と属国性を自覚し、自著『韓民族の進むべき道』で韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、李承晩政権と異なる親日路線を敷きました。

 1970~80年代にかけて、日本と中韓は教科書問題等で喧噪はあるものの、日本のGDPが400兆円を超えており、逆に中韓のGDPが10兆円~50兆円という規模であったため、その時代の施政者は経済合理性を理解した行動をしていたのです。



10.日本と中韓との将来方向性を検証します。

 中韓は、1985年以降、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由に参拝を批判反発しています。 しかし前項のように歴史と現実を鑑みると、それが中韓政府にとって必要に迫られた反日行動の1つに過ぎないということが露見します。


◆靖国神社参拝批判など、焦点をぼやかす行為に過ぎない。 真の問題は、なぜそれを中韓が問題にするのかという点である。

 靖国神社とは、日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」として祀る社です。 A級戦犯14名は合祀されていますが、他に中国が汚辱とする日清戦争に従軍した英霊が、13,619柱祀られているのです。 数でいえば、A級戦犯の比ではありません。 事の本旨がすでに違っています。

 また、村山談話の「遠くない過去の一時期、国策を誤った」その責任者は、決してA級戦犯14名のみではありません。 各部隊の指揮官にいたるまで、全員が連帯責任を負うのが日本の古来伝統です。 近隣の野蛮国のごとく、数名に罪を被せて銃殺して指導者はとんずらして終わりというほど、日本は軽佻浮薄な国ではありません。

 日本人は、春夏秋冬の歳時にあわせて神社仏閣を参詣し、煩悩即菩提・平和と安寧を祈願するという、聖徳太子以来の習いを有します。 この1400年の秀逸な歴史が、日本の世界文化遺産の基盤を成しているということを中韓が理解できないことは、如何ともし難いです。



 中国外務省の秦剛報道局長は「安重根をたたえる記念館がテロリスト礼賛なら、日本の指導者がA級戦犯を参拝する行為は何に当たるのか」と述べています。 要するに、前項のとおり、日本人と中韓民族とはDNA・精神構造・思考回路が異なります。

 それは、同じ行為をもってしても(自衛隊の四川地震救済活動およびフィリピン台風30号救済活動)両国民の反応が全く異なることで明白です。 中韓は相手の行為に対する評価ができないのです。 日本に限らず、何国であれ中韓の近隣に存在すれば、このような喧擾関係になることは宿命なのです。

 すなわち、今後日本が軍備拡張し中韓を圧倒しようとも、あるいは靖国不参拝を宣誓し戦後処理を系統しようとも、中韓の姿勢は何ら変わることなどないのです。

 

◆朝鮮戦争に対する検証。

 北朝鮮側には中国人民解放軍が加わり、直接参戦しないソ連は武器調達や訓練などの形で支援した。 民間人の犠牲者の数は400万人~500万人という説もある。 大多数が一般市民だったが、民間人に対する惨劇の最悪の実行者は、韓国警察による子供を含む虐殺、強盗、たかりなどであった。

 韓国軍は慰安婦を制度化して、軍隊が慰安所を直接経営することもあった。

 現在、日本に3万人、アメリカ・オーストラリアに各1万人の韓国人娼婦が「就労」している。



 これらはすべて情報ベースのため、その真偽の程は不明です。 ただ明白であることは、韓国はなりふり構わず再び中国と舎弟関係になりたがっていること、今昔とも慰安所を運営する人材供給力が豊富であること、前後周囲の包括的な評価ができないことです。

 

◆韓国は裁判所そのものが無法地帯。

 長崎県の対馬から韓国人窃盗団に盗まれた国の重要文化財の銅造如来立像をめぐり、韓国の僧侶で文化財関連の市民団体代表の慧門(ヘムン)氏が日本への即時返還を韓国政府に求める訴訟をソウル行政裁に起こしました。

 慧門(ヘムン)氏が何処の馬の骨かはさておき、民間人が裁判所よりも遵法的行動をするという点で、韓国は世界的に珍奇です。

 日本には、大津事件で児島大審院長が明治政府要人の被告人死罪要求圧力から司法権の独立を擁護したという光輝たる歴史がありますが、韓国では民間人が狂痴の裁判所から遵法精神を擁護しなければならないという、奇妙奇態となっています。



◆靖国神社参拝以前のアンケート結果でも同じであり、3国が相和したことは一度もない。

韓国   見習うべき国  1位 日本
     嫌いな国    1位 日本  2位 中国
中国   好きな国           2位 日本
     嫌いな国    1位 韓国  2位 日本

日本   嫌いな国    1位 韓国  2位 特になし


 現在はもちろん過去においても、日中韓が外交的に同盟関係であったことは1度もありません。

 近世においては、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商+アメリカ・日本というパワーバランスにより第1次世界大戦となり、それが変形し日独伊三国同盟と、連合国のそれにより第2次世界大戦となりました。

 このような世界情勢の中で、日本はイギリスとは日英同盟、ドイツ・イタリアとは三国同盟、アメリカとは安保条約、旧ソ連とは中立条約を締結したように、100年以前から欧米列強とは比肩以上の国家でありました。

 ところが、中韓は欧米諸国とこのような対等の同盟を結んだことが一度もなく、「露清密約」等、すべてが無知蒙昧のなす不平等条約に甘んじなければならなかったということが歴史の示すところです。

 このように、欧米を基準点として考えた場合、日本は欧米と比肩するも中韓はそれができないのであれば、政治・経済分野における日中韓の同盟関係が成立するということは不可能と言うしかなく、せいぜい「日韓通貨スワップ」程度でしかありません。

 英仏両国は100年戦争を発端として、十数回の英仏戦争を経て、なおかつ相互に最嫌国と放言することはありません。 日本と中韓では政治・経済・文化のすべてにおいて国威のレベルが違い過ぎ、共通の敵に対処することがなかったために、過去からも未来においても同盟を構成するということができないのです。



◆救いは過去の日中友好時代。

                                  
 周恩来首相は、以下の名言を語っておられます。

 中国には『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』という言葉があります。

 日清戦争以来、日本は我が国を侵略し、人民を傷つけ苦しめてきました。 我々にはその深い恨みがあるのです。 恨みがあるといえども、中国と日本には2000年にわたる『友好の歴史』があります。 戦争による不幸な歴史は、わずか数十年に過ぎないのです。 我々は恨みを忘れようと努力しています。 これからは中日が力を合わせて、アジアを良くしていこうではありませんか。



 前項の某中国人企業家の即興コメントなど足下にも及ばず、重厚慧眼に満ちています。

 日本は満州事変以降の侵略に対し、「日韓基本条約」「日中共同声明」の成立後も、お詫びして反省して哀悼の念を捧げてご冥福をお祈りし続けています。 そして、中韓がGDP第3位、第15位となるまで、世界にも例のない経済支援を続けています。

 現在の中韓政府が少しでも周恩来イズムが理解できるのであれば、そして靖国参拝について口角泡を吹く暇があれば、そろそろ『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を思い出す』時期が来ています。 



 安倍総理靖国神社参拝を、朝日新聞を初めとした報道各社は批判中傷し、「内向きな、あまりに内向きな振る舞い」と表現しています。 

 しかし各歴史観を幾度も反芻すれば、参拝のどのあたりが内向きなのか、中韓政府こそ自分たちが及ぶべくもない偉大な先人の箴言に覚醒し、恩義を再認識するべきではないかという結論に帰着します。

 橋下徹大阪市長、籾井勝人NHK会長は、従軍慰安婦は「どこの国にもあった」と述べ、李登輝元台湾総統は、日清戦争・日露戦争で日本が中国・ロシアを破り、日本が強い国として彼らの目に映ったからこそ日韓併合を呑み、貧富の格差が広がって暴動が頻発している状況で、人民を束ねていくには仮想敵が必要であるとコメントしています。

 彼らは中韓と交易取引をする利害関係者ではなく、経団連のように臆面を有することがないため、真実を物申すことができています。 

 無理ではありますが、日本の新聞各紙も報道姿勢を自虐趣味から解脱し、オピニオンリーダーたる歴史観を世界に発信してしかるべきです。



◆経済力と科学力と軍事力。

 数多の観点から検証をしたように、中韓は中華思想と事大主義という遺物と化したコンセプトから出発しました。 しかしそれらは何の効力も持たず、国威発揚に有効なものは経済力・科学力・軍事力であることに、やっと近年になり覚醒したのです。

 しかし、経済力では中国元も韓国ウォンもアジアの決済通貨にすらなれず、デファクトスタンダードといえば風土料理しかなく、いまだ日本の経済支援と資本投資の恩恵を頼るという状態です。

 科学力では、ノーベル賞自然科学分野でアジア人受賞者24名中16名が日本人、中韓は「0名」という、破天荒の由来にも及ばない状態です。

 残るは軍事力に頼るしかないということになりますが、中国は膨張する軍事支出額のGDPに対する比率を少なく見せるために、虚偽のGDP統計数値を作成し世界第2位と嬉しがっている状態です。

 また韓国は、GDPが伸長しなくなったために、混乱に乗じて実効支配中の竹島にしがみつき、虚空の反日キャンペーンを続けるしか存在を示す場がないという状態です。


 中韓が日本と融和する方法は唯1つしかありません。 中華思想を捨て去り、正しい歴史経済評価を行い、将来に向かって1950年以降をリセットすることです。

 韓国の本当の脅威は、今後も中国と北朝鮮とロシアであることを再認識することです。 日本が北方領土問題を解決すれば残るは尖閣諸島と竹島だけになり、日米安保条約と地政学を考えればその終着点は明白です。

 北朝鮮は、張成沢元国防副委員長の処刑を受け同氏関係者を粛清するという、19世紀の残滓です。 中国は、平和的な手段で憲政の実現などを訴える「新公民運動」の中心的人物、許志永氏に実刑判決を下し徹底して抑え込むという、20世紀の絞滓です。

 中韓は、経済力・科学力・軍事力のバランスを再考し、貪婪を解消するよう政府の在り方を見直す、そのための時間は多くないということを認識するべきです。