2000万円の自助努力

 

2000万円の自助努力    2019年6月30日


 金融庁の報告書に対する批判として、「2000万円を自助努力で準備しろというのか!」「年金保険料を払わせるだけ払わせておいて、もらえないのは詐欺だ!」といった声があふれている。


 金融庁の「金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書」(6月3日)が炎上しており、その出処は全国紙などの記事、ネットニュース、テレビのワイドショー、そして詐欺だ偽装だと久々に話題を得た中身のない野党である。

1. 普通の日本人家庭の衣食住生活費レベル

・独身者家庭    賃貸住宅家賃4万円程度で、15万円/月の生活費
          持ち家完済なら、11万円/月の生活費

・夫婦同居家庭   賃貸住宅家賃4万円程度で、20万円/月の生活費
          持ち家完済なら、16万円/月の生活費

・ハイソサエティ  賃貸住宅家賃8万円程度で、30万円/月の生活費
          持ち家完済なら、22万円/月の生活費

平均的地方都市では、自家用車の維持費や簡易な外食費等も含め、基本的な衣食住生活費はこの程度である。

 一方で、2人以上世帯に限れば、2018年度貯蓄総額の4割近くが70歳以上の世帯で占められており、60歳以上に区切れば7割近くとなる。

 


 金融庁の、夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では平均受給額が約22万円/月程度、毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円~2000万円になるという話は、上記の「ハイソサエティ賃貸住宅」を前提にしたものである。

 すなわち、家賃8万円以上のマンションに自家用車保有で居住し、子どもにはトップクラスの公立高校合格レベルの教育を施し、家族旅行に複数回は海外パックを組み、大学に行けば下宿させるというような状態を維持し、父親が上場会社か同等の収入がある会社に35年勤続し、厚生年金を65歳から満額受給できるという場合に、その厚生年金では5万円/月以上不足するという警鐘を鳴らしたものである。

 しかし、30万円/月の生活費が掛かるような所帯主は、既に40代から50代の所得ピーク時期にはその数倍の所得があったのであるから、2000万円程度は余程の浪費や冗費がない限り貯蓄して当然であり、実際に統計上もそうなっている。

 また、30万円/月の生活費どころではないセレブになれば、このような年金談義をすること自体が無用である。

 逆に言えば、ハイソサエティとして30万円/月の生活費が掛かるような生活をしなければ、22万円/月の年金受給額でも算術的に合うのであるが、30万円/月レベルの生活を維持しえなかった所帯主は、結果的に報酬比例により22万円/月の受給額に及ばないということも事実である。

 このように、報告書の金額はあくまで平均というよりは「特定階層」の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なるのであり、「入るを量りて出ずるを為す」の精神で人生に立ち向かうしかない。

 公的年金は生命保険と同様に保険であるが、その違いは払込方式にある。 生命保険は自分の意思で将来の準備金を積み立てるものであり、保険商品選択により金額も無制限であるが、公的年金は日本国憲法25条のいう最低限の生活保障が死ぬまで受けられるという国民に賦課されたものであり、金額も制約される。

 ハイソサエティとして30万円/月の生活費が掛かるような生活をしたければ、それなりの準備をすることは必然であり、年金制度を30万円/月の配給制度と「知ってか知らずか」混同しているところが、レベル凋落甚だしい全国紙、ネットニュース、ワイドショー、中身のない野党であり続ける所以である。


2.留意するべき追加費用

 独身者家庭、夫婦同居家庭の衣食住生活費レベルなら22万円/月の年金受給額があれば、算術的には余裕があるのであるが、公的年金制度は払込み年数比例の基礎部分と払込み金額比例の報酬比例部分とで成り立っており、この報酬比例部分は各人により異なり、受給額に占める割合も大きい。 ハイソサエティの不足額より、むしろこちらの問題の方が深刻であるが、これについては金融庁の「金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書」(6月3日)は言及していない。

 また上記の衣食住生活費レベルは、いずれも健康で文化的な最低限度の生活を営んだ場合であり、健康を害した際の医療介護費は想定していない。 一つのケースであるが、夫婦同居家庭の1人が要介護認定される状態になった場合を見る。

 まず考えられる安価な方法が公的施設に入所することであるが、待機人数100人、1000万円以上の資産があれば介護保険施設を利用する際に支払う住居費と食費の軽減不可という状況で、在宅介護も限界点に達した場合は自ずと民営の有料老人ホームに入所することになる。

 有料老人ホームに入居するには、平均的地方都市で最低18万円/月(介護保険1割負担)と優良親族の保証人が必要となるが、そうすると22万円/月の年金受給額があったとしても、1人が介護施設入居、もう1人が自宅居住した場合、自宅に残る生活費は4万円/月であり、5万円はおろか10万円の単位で不足する。

 こちらの問題もまた深刻であるが、これについても金融庁の「金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書」(6月3日)は言及していない。


3.市民の感覚と大きくずれている

 阪急電鉄の掲載した、〈毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか。〉が炎上した。

 税込支給額とすると可処分所得は、毎月50万円の人は40万円、毎月30万円の人は22万円であり、誰に聞いても毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送る人がいいのに決まっている。 しかし、このキャッチコピーが求める答えは、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がない方である。

 毎月50万円を80万円とすればもっと明瞭であったであろうことはさておき、この炎上の原因をまたぞろマスコミは働き方改革がどうのこうのと論評しているが、公的年金相当額を稼ぐことに十分な喜びを見い出せという、戦時配給制のような垂範に市民がイラついただけのことであり、時代遅れの滅私奉公賛美に嫌悪感を募らせただけのことである。

 逆に、毎日生き甲斐のない生活を送る毎月50万円もらう人は誰もイラつかず、公的年金の問題にとどまらずすべての世代に亘り、労働サービスと稼得収入とのバランスギャップの多寡そのものに、イラついているのである。


4.実際の公的年金支給状況

 国連経済社会局は、65歳以上の人口に対する25~64歳の人口の比率を示す「潜在扶養率」が、2019年には日本が世界最低の1.8を記録したとの統計を発表した。 少子高齢化の影響で、年金加入者である生産年齢層の負担が増している現状が浮き彫りになった。

 身近な例であるが、

・80歳代の厚生年金・遺族年金・3号年金受給者は、17万円/人/月以上の給付を受けている。 過去の既得権者は、現在の夫婦で22万 円/月どころか、はるかに高い給付水準である。

・現役世代は、50万円/月の収入に対し、厚生年金保険料5万円、健康保険料3万円(会社と折半)、税金3万円の合計11万円/月を負担 している。

 高齢者数に対する現役世代数は1.8かもしれないが、特定階層の高齢者1人に対する給付負担率は0.6に満たない。 現役世代2人で高齢者1人分を負担しているのが現状である。

 尤も、厚生年金・遺族年金・3号年金受給権があり、17万円/人/月以上の給付を受ける高齢者はそれほど多くなく、またその生活費は持ち家完済なら、11万円/月であるから5万円/月以上の余剰が生じており、それを遺産相続等により現役世代に還流することで、現役世代の負担をキャンセルする効果はある。

 すなわち、現役世代が拠出した厚生年金保険料は一旦厚生年金というフィルターを通して高齢者世代の厚生年金給付に回り、それが再度還流するだけのゼロサムゲームとなっており、この取引のどこにも真水として外部流出する消費の機会はない。


5.将来的な解決策

 新元号「令和」が始まったが、日本の将来は決して明るいとは言えない。 金融政策は成功したといっていいが、問題なのは財務省による緊縮財政に尽きる。 日本再生の第一歩として、「反緊縮」が必要不可欠だ。 日本再生のためにはこれを食い止め、過剰な自由競争を強いる代わりに、自由主義経済体制を基調としつつも、それぞれの地域産業や地域社会、文化を適切に保護し、かつ様々な主体の間の「連携」を奨励していくことが必要だ。 すなわち、反グローバル化・反構造改革を通した「保護・連携」の強化が必要だ。そして、対米自立を起点とした「自律・独立の確保」が必要なのである。

 このような、70年代の教科書のような提案が安倍内閣のブレーンとして内閣官房参与を務めた人物から表れたりもするが、これまで見たように

・2人以上世帯に限れば、2018年度貯蓄総額の4割近くが70歳以上の世帯で占められており、60歳以上に区切れば7割近くなること。

・金融庁の、夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では平均受給額が約22万円/月程度、毎月の不足額の平均は約5万円であ り、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円~2000万円になること。

・公的年金制度は払込み年数比例の基礎部分と払込み金額比例の報酬比例部分とで成り立っており、この報酬比例部分は各人により異なり、受 給額に占める割合も大きいこと。

を考慮すると、金融庁の報告書は一体どの階層、範囲をターゲットとして書かれているものか曖昧である。 少なくとも公的年金受給層である60代以降は、平均的には貯蓄の準備はできている。


 歴史を顧みると1930年代は、生産過剰による不況対策のため、植民地政策とブロック経済が進展し、その延長線上には世界大戦という帰結があった。 

 現在はその教訓からダンピングと高率関税賦課、生産力削減と雇用調整、少子化と高齢者雇用延長といった、冷めた焦土が広がりつつある。 
 かつて人類は、飢饉・疫病・戦争により人口の膨張抑制を行ってきたのであるが、科学・医療技術の発達、戦争回避システムの充実により、その調節機能は作動しなくなっている。 代わりに台頭してきた人口抑制システムが、生活基盤の破綻不安から生じる少子高齢化である。

 70年代の高度経済成長も手伝って、国民皆保険制度を構築し、その運営に賦課方式を導入し続けた結果、保険料拠出額よりも給付額がはるかに多い合法的フリーライダー国民を多数抱えるという、前例のない幻想的福祉国家が誕生した。

 「年金保険料を払わせるだけ払わせておいて、もらえないのは詐欺だ!」というのはある面正解であるが、開始後30年が経過するとどのような制度も形骸化し、その時期が近い将来来るということであり、誰の責任と限定するものではない。

 徳川幕府経済は、総人口の7%のフリーライダーである士族階層への給付維持負担により260年で崩壊したのであるが、その何倍もの社会保障負担を抱える状況となっては、ケインズ経済学も貨幣理論も解決策とはならない。

 一旦、現行公的年金制度の手直しによる給付の削減で持ちこたえるだけ持たせ、NISA枠の拡大により国民の貯蓄を投資に振り向けさせ、株式投資バブルを起こすことにより600兆円の株式時価を1.5倍に上昇させることで、法人税・消費税100兆円程度の税収増となる。 正に徳川幕府時代の後半に頻発した貨幣改鋳政策である。

 そして、相続税を海外諸国と同様‘0’にして、上記に生じた親世代の剰余資産を無理なく子世代が相続することで、子世代の早婚・多産・多消費意欲を活性化することができる。

このような荒療治をしながら、公的年金給付対象者の減少を待つ以外、劇的な解決策はない。