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Title : BookShelf 2006
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2006/06/29
『首相支配−日本政治の変貌』 (竹中治堅;中公新書)

 細川政権崩壊から現在に至るまでの日本政治史をコンパクトにまとめた本。
 著者はこの時期を「55年体制」が崩壊し、「2001年体制」に移行した時期だとしている。

 今の日本の置かれている情勢を全部小泉首相のせいにしたがる風潮があるけれども、小選挙区制になり選挙時における公認の意味が変わったことと、政党助成金の制度などで首相の権限が極めて強くなったこと、並びに首相が組閣時に派閥に配慮しなくてもよくなったのは、実は小渕政権時あたりに始まった傾向。それに規制緩和を実質的に着手したのは橋本政権下ではなかったか、と思う。そういう認識をしていることもあってContemporary Files #20060622:格差を書いたって一面もある。
 まあ、その立場を是としなくても、この本はここ15年の日本政治の流れをつかむにはいいと思うので一読を勧める。

ISBN4-12-101845-1 / \840- + VAT
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2006/03/09
『UFOとポストモダン』 (木原喜彦;平凡社新書)

 あーっと。これ、「哲学」に分類していいのかな。まあ、いいや。ポストモダンだから。
 この本は別にUFOの真偽を問題にしているのではなくて、「UFOがどのように扱われてきたか」をそれぞれの時点の社会的な背景、思想的な風潮と照らし合わせて論じている。学術的にどうかは知らんが、なかなかこれは面白い着眼点だと思う。UFO信者や「と」系の人からの系統だった反論を見てみたいな。

 昔、UFOに乗って来てた宇宙人は地球人っぽくて、知的で美しくて、地球の水準を遥かに超えた科学を持ってやってきた。やさしく、地球人とコンタクトを取るために。著者はこの時代(1947 - 1973)を「空飛ぶ円盤」神話の時代とし、「近代」がまだ生きていた時代とする。
 ところが合衆国がベトナム戦争に負けたころ、UFOがらみの話は、「オレは宇宙人に会った!」という牧歌的なものから、「キャトル・ミューテーション(家畜の血が抜かれ、生殖器部分が繰りぬかれた)」だの「アブダクション(宇宙人に誘拐された)」だの、ずいぶんと物騒になる。その道では有名な「ロズウェル事件」もこのころだ。そして「政府はUFOや宇宙人に関する資料を隠蔽している」なんてことが言われ始める。以前は「誰々がどこそこでUFOを見たと言っている。」とパロール(話し言葉)が重要だったのに、この時期では「どこの文書でUFOについてこう書いている(または書かれていない)。」とエクリチュール(書き言葉)が重要になってきた、と著者は指摘する。うーん、ポストモダンチック。この時代(1973 - 1995)を「エイリアン時代」と呼ぶ。
 さて、1995年には、これまた、そのスジでは有名な「エイリアン解剖フィルム」が公開(?)される。昔は宇宙人といえば金髪のきれいなオネーサンだったりしたのが、この時代だと肌が灰色で、目が大きく、つりあがった、いわゆる「グレイ」と呼ばれるタイプが主流でしたな。
 で、1995年以降、「政府がUFO情報を隠蔽している」とかいう陰謀論そのものをパロディにするような映画が数多く作られ、UFOネタそのものが消費されてしまうようになっちゃった。まさにポストモダン的状況。

 いやあ、見事な切り口だと思いますです。「と」学会と現代思想が好きで好きでたまらない人は読んでみると面白いかもよ。

ISBN4-582-85309-9 / \720- + VAT
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2006/02/15
『歴史学ってなんだ?』 (小田中直樹;PHP新書)

   この本は社会経済史の専門家による歴史学入門書、と言えばいいのかな。「歴史って何の役に立つの?」っていう問いに真摯に答えようとしている。さて。こいつを「政治」のとこに分類していいものかどうか迷ったんだが。以下に述べる理由でここに分類。

 この本の中でも触れられているんだけれども、1970年代にリオタールが「大きな物語は終わった」みたいな発言をしたことがあったし、1990年代にもフクシマが「歴史の終焉」を述べたりして、もう大きな歴史の傾向を描けない、みたいな風潮が渦巻きつつある状況ってのがある。もし、それが事実なら、もう歴史家のやることがググッと減ってしまって歴史家は困ってしまう。…でもそれは単一の「物語」を描けないだけで、複数の(往々にして背反な)物語が乱立してしまう状況でもあるわけで。

 (そんなに「大きく」なくても)何か共通の「物語」を必要とするのは、その「物語」に関係する集団が、その「物語」を共有することで、集団としての目標・アイデンティティ・使命…とかとか、そういったものを確保して集団の求心力を高める時ではないのか。その「集団」が「(国民)国家」であれば、「(国家の)歴史」と呼ばれ、教団であれば神話であったりするのではないか。「物語」を一貫性のあるものとして提示しようとする努力の背景には、何らかの現在からの視点が必ず必要であり、その視点によってしか過去の各個の事実を整理することもできない。そしてその視点を選択する基準については、必ずしも論理的な正しさを確保することはできない。そこには何らかの「政治的」な判断が必要になってくるわけだ。

 タイムマシンでも発明されない限り、いや、仮に発明されたとしてもどの立場からその時代を覗くかで見え方が変わってしまうだろうから、万人にとって「正しい歴史認識」なんてものは確立しようもないだろう。(そもそもタイムマシンは原理的に発明し得ない、と私は考えているんだけれど。)
 それなら、複数の「正しい歴史認識」間でどう調整し、よりましな歴史解釈が可能かを模索して努力を続けるしかないのではなかろうかな、と思う。

ISBN4-569-63269-6 / \680- + VAT
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2006/01/25
『「ニート」って言うな!』 (本田由紀・内藤朝雄・後藤和智;光文社新書)

 一言で言えば、現在日本に流行している「ニート論」の論じられ方に疑問を投げかけている本だ。
 現在の日本におけるニート論が発祥の地であるイギリスにおける定義とは異なる意味づけがなされ、かつ、“ニート”に分類される人びとのやる気のなさとそれを許す親の甘さに原因を帰着している点を指弾している。

 第1部に展開される、「“ニート”のうち働く意欲はあるが求職活動を行っていない層と失業者とフリーターは安定した就業機会の不足という状況から生まれた層であってこの3層は行き来することが多く、第1のものだけを“ニート”に分類し他の2つと分けるのはおかしい」と言う主張は間違ってはいないと思うが、それなら定義を変えて範囲を限定するなり拡張するなりして現実と言葉を合わせればいいように思う。
 …でも、どんなに定義し直しても、個別の事情を勘案したら完璧に分類できるとは限らないし、分類自体を問題にしたところで、結局、問題は解決しない。“ニート”の分類を厳密にしたら“ニート”が働きだすならいいけどね。そうじゃないでしょ。
 んなわけで、実は第1部にはあまり賛同できない。
 ただ、“ニート”問題が“ニート”に分類される側のやる気にのみ原因を求めるのは、まだまだ厳しい就職・就労環境の問題を棚上げにしてしまう危険があるという指摘については、認めるべきかなと思う。

 第2部は、まあ、思いっきり圧縮すると、“ニート”への対策が「教育」の名の許にエゲツナイ方向に向かってはいないか、と警告してる。
 第2部の著者が言うには、よくある“ニート”対策が「合宿してみんなでガンバロー!」みたいな感じの「若者自立塾」に行き着いているのは、それを進めようとする人たちの“ニート”感を表してる、と。なんだかわけのわからん連中がうじゃうじゃ出てきたのでは自分たちの持つ社会観を崩壊させかねず、そうならないように連中を矯正…もとい、教育してあげるのだ、と。正直なところ、これは今まで私が考えてなかった切り口なので、少し脱帽。

 第3部は、マスコミとかにおける“ニート”の取り上げられ方を問題にしている。
 けど、マスコミでの問題の取り上げ方なんて、恣意的だし、先にも書いたけど、それを糾弾したところで“ニート”が減るわけでもないだろうに。

 まあ、『「ニート」って言うな!』と言うことなら、それでもいい。働けるのに働かない連中のことは、その生態に従ってきちんと「寄生虫」と呼べばいい。だって、原因が彼ら自身にあろうが、周囲の環境にあろうが、彼らが働いていないのは現実であって、誰かが食わさなきゃならんという現実には変わりはないから。

 あー、そうそう。それから、護憲の立場を堅持する政党及びその支持者の皆さん。あなた方は「ニート」を支援しちゃダメですよ。論理的に矛盾するから。「ニート」は憲法に明確に規定されている勤労の義務に、自発的に違反しているんだから。非自発的に勤労していないのは心身に障害等があって保護や支援が必要な人であったり、失業者であったりするわけで。憲法への違反度は自衛隊はほとんど真っ黒なグレーだけど、こっちは明確な違反だよん。^o^
 このへんに関する私の考えについては、「余裕の無くなった社会」とか「NEETは擁護するな」をどうぞ。

ISBN4-334-03337-7 / \800- + VAT
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2006/01/25
『戦国大名県別国盗り物語』 (八幡和郎;PHP新書)

 おや。買ったときは気がつかなかったが、下の本と著者が一緒だ。
 下の本がヨーロッパ各国の成立史を概括している本だとすれば、これは戦国時代(室町時代末期)における大名の勝ち残りを都道府県別にまとめたものだ。私は奈良県出身・奈良県在住なので、奈良県の歴史に限っては調べた(と言っても『奈良県の歴史』を読んだくらいかな)ので、奈良県に関しては新しい情報はなかったけれども、他の都道府県についてそれをやろうとは今まで思ったことすらなかったので、単純に著者に感服。
 歴史好きでなくてもヒマなときにパラパラと読んでいけると思う。1都道府県単位の記述はそんなに長くないので楽。けど、全都道府県分を読むのは興味ない人にはツライかも。

ISBN4-569-64780-4 / \880- + VAT
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2006/01/24
『アメリカもアジアも欧州には敵わない』 (八幡和郎;祥伝社新書)

 この本は、題名だけ見ると下に挙げた『国家の品格』と逆の主張をしているように見えるけど、実質的な発想は同種なのだろう。持ち上げる対象が日本から欧州になっただけ。結局、長い歴史と、それに裏打ちされた文化の持つ力みたいなものを筆者が評価しているというのはわかるし、まあ、アメリカは国家が成立してから200年かそこらってのは確かなんだけれども、歴史の長さから言えばアジアやアフリカのほうが長いわけだし、それが他の文明とか文化を圧倒してこなかった(圧倒するように外部への拡大を目指さなかった)ってだけで、別に優れてるなんてことは言い切れないと思うし。

ISBN4-396-11030-8 / \680- + VAT
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2006/01/24
『国家の品格』 (藤原正彦;新潮新書)

 この本は最近かなり売れているみたいである。私はいわゆるベストセラー本は買わない人間だけれども、著者の別の著作(『世にも美しい数学入門』;ちくまプリマー新書)を読んだことがあって、それなりに面白かったので(ちなみに私は大学での専攻は数学だったので)、どんなもんかいな、と思って買ってみたわけだ。
 もしこの本を分類せよと言われれば、国家論ではなくて、回顧録なのではないかという気がする。近年の急激なグローバリズム化の波に対し違和感を持つ人たちが主張しがちな内容で、その意味では別段目新しいところは感じなかった。逆に、この本を「すばらしい!」と評価するかどうかで、その人の右傾度を測れるかも知れない。
 もちろん、私は日本の持つ伝統文化のもつ細やかな美しさを否定するつもりはない。一方で、だからと言って西洋的なものをバッサリ、ってのも、なぁ。

 …もちろんこの本はどうやら講演を基にまとめられたようで、論理的に正しい展開を目指したというよりは、聞いていてわかりやすい展開にしてあるようで、そのあたりは若干割りびいて評価すべきかも知れないが。

ISBN4-10-610141-6 / \680- + VAT
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Updated : 2006/06/29