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Title : Disparity
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Contemporary Files #20060622
格差
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 えー、みなさん、お久しぶりです。あちこちのサイトの更新をサボっているのでご心配をかけたかも知れませんが、Felixはまだ生きてます。

☆ ☆ ☆

 ちょっと前の話になるけれど、日本経済新聞のマーケット総合面のコラム『大機小機』(2006/06/08付;「格差論議を推理する」)に、要約するとこんなことが書いてあった。

 今年1月の月例経済報告参考資料で「観察される格差の拡大は高齢化と核家族化による見かけ上のもの」と指摘した。このことから格差議論が活発になった。この議論をなぜこの時期に公表したかについて著者(隅田川氏)はこう分析している。

  1. 格差論議はむしろ小泉改革が進んでいることを印象付けることになる。
  2. 格差論議に基づいて小泉改革を批判することは、民主党内で小泉改革を上回る改革を進めようとする人々をも批判することになる。
  3. 格差論議は「ではどうするか」となると、負担の軽減だ、弱者救済だということになり、大きな政府をもたらしやすい。不満を基に格差を議論しているうちはよいが、解決策を求め始めると、「簡素で効率的な政府を」という国民的願望に反することになってしまうのである。

 というわけで「格差論議は一見すると小泉改革を攻撃する有力な材料に見える。しかし、実は小泉改革の進展を浮き彫りにし、ライバルを後退させる役割を果たす。」

 そう。小泉首相を批判する側が、格差の拡大を問題視する議論は、攻める側にとってオウンゴール的な意味合いを持ってしまう。

 「いかなる格差も認めない」と言う立場を考えてみよう。裏の畑で土まみれになって野菜を作るお百姓さんも、小さな町工場で毎日夜遅くまで機械用のネジを作ってるおじさんも、めっちゃ綺麗なおべべ(←もはや死語か。)着てファンションショーに出ているスーパーモデルも、売り出す製品がことごとく当たって大儲けしている会社の社長さんでも、そんな会社の株を売り抜けてベラボーに稼いでいるはずのファンドマネージャーも、そんなファンドに金を出資している資本家も、ぜーーーーーーーーんぶ収入は同じ。ああ、収入だけが同じじゃだめだね。格差を本気でなくすなら、資産も一緒にしなきゃ。というわけで遺産は相続しちゃダメ。誰もが生まれた瞬間からまったく同じスタートで出発する。そうでないと格差が生まれてしまう。
 でも、そんな社会って、マルクスが草葉の陰で泣いて喜びそうな完璧に成功した共産主義社会じゃないの? だから、「格差が生まれたじゃないか」という意味での攻撃は、純然たる共産主義者しか取りえない戦術である。資本主義社会で生きていきたいのであれば、その手の格差全否定論は取りえない。

 もし、私が小泉首相の立場にいるなら、「『格差がダメだ』というのなら、格差が全くない社会を作れと言うのですか?」と反論をするだろうな。たぶん、相手はイエスとは答えられない。そしたら「じゃあ、あなたは格差の存在を認めるんですね。そしたらどの程度の格差なら許容できるのですか?」と畳み掛ける(…というか質問者へのイジメを行う)。格差の是非の問題から程度の問題に持ち込まれたら、攻めるほうは難しいねぇ。だって格差は文字通りの意味ではなくならないんだから。攻めるほうがよく口にしそうな「真面目に働く人が報われる社会を」というお題目の意味することは、そうでない人と格差をつけろということだからね。するとね、「真面目に働かない人」への対応が少々お寒くなることをある程度は覚悟しないとダメになるね。一歩間違うとニート切り捨て論になるよ、この主張は。そこんとこわかって攻撃してるのかなぁ。

 それにねぇ、マスコミでの騒ぎの内容や、一般的な国民意識(←それって何よ、という気もするが)では、格差が拡大してる、と思ってるよねぇ。でも、統計的にはむしろ小泉時代に格差が縮小する傾向を示していたりする。例えば→「家計調査による所得格差の推移」(by 社会実情データ図録)とかで示されているように。もちろん、統計は社会の現実をそのまま表していると強弁するつもりもないし、感覚だけでマスコミだの政治家だのが騒いじゃいけないなぁ。

☆ ☆ ☆

 ただ、すこし気になっていることがあって。
 バブル崩壊以降の不景気な時代から、部分的にではあるけれども景気のよいところが現れて、そこ(いわゆる「勝ち組」)とそうでないところ(いわゆる「負け組」)との差が生じているだけなのであれば、もう少し景気がよくなれば自然とその差が解消していく(少なくとも問題にされなくなっていく)可能性がある。今の状況が、バブったことによる日本経済の足腰の弱体化だけに起因するのなら、みんなが頑張りゃ、多少のまだら模様はあっても、それなりに報われていくようになるんだろう。
 しかし、ちょうどそのころに起こった、冷戦の終結による旧東側諸国や発展途上国の急速な工業化・産業社会化により、安価な労働力に裏打ちされた安価な(でもそれなりの質を持った)製品が出回るようになり、世界はデフレ基調の経済となった。それと並行して、情報化の進展や、流通機構の発展で、フラット化する社会の中にあって、国家や企業だけでなく、個人が、地球の裏側の人と勝負しなきゃならなくなった。何か1つの製品を作るのに1時間かかるとして、目の前にいる時給680円の人と、地球の反対側にいて、そこまでの、作る前の部品と作った後の製品を運ぶ運賃は往復で200円かかるけど時給が80円の人がいたら、企業としてはどっちを雇うかということ。こんなことは近年まで実現し得なかった。通信やロジスティックのインフラが十分に整っていなければできなかった。けれど、今はそれが前提の時代。もちろん、ドメスティックにしか成立しないモノやサービスはいっぱい存在するので、それに従事している人はさほど問題にはならないかもしれない。けれども、世界のどこでも作れそうなものを作っていたり、誰にでもできるようなサービスしか生み出せない場合には、本当に自分しか作れない、自分しか提供できない何かを持たないと、どこかの誰かに仕事を奪われる危険性が常にあるようになった。

 つまりね、仮に日本で「格差」が生まれ、大きくなってきたのが事実だとして、その原因がどこにあるかによってその問題への対処が異なるわけだ。もし、格差ダメダメ論者の言うとおり小泉政権のせいであるならば、代わりに政権を執って是正すればよい。でもそうではなくて、世界的な経済動向が原因−日本一国では対処し得ない大きな流れ−であるならば、格差を飛び越える(格差を「無くす」のではない)本質的な要因が個人の能力に帰着されてしまう危険性を持っている。企業はあくまで経済原理に従って行動する。起業できる人間は熱意をもってがんばってもらうとして、被雇用者は、企業に雇われ続ける価値を十分に示し続けられる人間とそうでない人間へと分化してきているのかも知れない。もしそうなら、経済政策でその格差を埋めることは原理的に不可能だ。

 いつかまとめようと思っているのだけれど、昨今叫ばれている「格差」の問題は、小泉政権が主犯ではないと私は思っている。無罪かと言われると真っ白ではないけど。
 リストラがあちこちで行われていることとか、そのために失業率がなかなか下がらないこととか、ニートの大量発生とかを、日本における就労環境の劣悪化だけに帰着していたらこの問題は解決しないんじゃないか。いや、もし、「格差」の原因が世界の潮流にあるなら、しばらくは格差は拡大していくぞ。それに対応して、それでも持続可能な社会にすることを優先しないと日本からマシな企業が逃げていってさらにヒドイ状況になるかも知れない。


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Updated : 2006/06/22