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Title : Beat the NEET.
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Contemporary Files #20041219
NEETは擁護するな
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 さぁて、今回はわざとカゲキなこと書くよ。

 私の住んでいるところは、奈良市の小1女児誘拐殺害事件の起こったところのすぐ近くで、今でも小学校の通学路では毎朝、親・教師・警察官が要所に立って児童の安全を確保している。こんなご時世で、塾の広告にも「当塾では塾への入退出をご両親にメールでお知らせします」というのが売りになったりしている。
 その広告にあった図式的な表現なのでどこまで客観的なデータなのか確認できないが、最近の成績の分布が2つに分かれ始めているというのだ。

 普通、成績の分布は正規分布(下図左)になることが多いが、最近の成績は、まんなかあたりが低くなり、分布の多いところが成績の上部と下部に分化した、ふたこぶらくだみたいな形状になってきている、と。(下図右)

Normal distribution unNormal distribution

 仮にこの主張が正しいものとしたら、ゆとり教育になったことで全体的に子供が学力が落ちたのではなく、できる子ややる気がある子はよりできるようになりつつあり、できない子ややる気のない子はよりやらなくなって、平均化するとすこし落ちた、という現象が起こっている、ということのようだ。
 学力分布が本当にこうなりつつあるのなら、偏差値ってものを計算する意味がなくなる…計算してもいいが、その数値の妥当性がなくなるという意味だが…と思う。昔むかし、いわゆる「偏差値教育」ってのに反対してた一群の人たちがいたような気がするが、実はその人たちが望んでいた状況にこれでなったのか…と反語的に思うのであった。

 もし、こういうことが数値で表されたのなら、少し前から言われている、「希望格差」が現実味を帯びてくることになる。
 いわゆる「勝ち組」と「負け組」の分化については以前から指摘されているし、おそらくそれが現状なんだろう。そして仮にそれが否定しがたい現実であったのだとしても、「負け組」から「勝ち組」への敗者復活、「勝ち組」から「負け組」への転落が常に行われているなら、逆にそれは…もちろん問題がないわけではないが…社会の活性化と呼んでも悪くはない。やる気の格差が固定化されてしまうと、現実としての格差が埋まりようがない。

 先日、時間つぶしに見てたTV番組で…爆笑問題が司会してて、芸能人の常識力をテストしてたもの…「国民の三大義務は納税・教育とあと一つは?」という問題があった。
 それを見てて、私は即座に「勤労」と答えたのだが、そうなんだよ、勤労って義務なんだな、国民の。
 するとね、職を探しているけど見つからない失業者はともかく、働けるのに働かない、最近はやりの NEET って…まあ、いろんな事情があるんだろうけど…、意識として働こうとせず、現に働いていないってことは、憲法違反の存在だ。
 肉体的・精神的・社会的諸事情で「働けない」のと、それらの条件が整っているのに(整っているが故に?)「働かない」との間には大きな大きな差があると私は思うぞ。
 まあ、NEETの範囲をどこまでにするか(どう定義するか)にもよるけど、私には、「働ける精神的・肉体的状況にあるのに、ええ年して働きも勉強もしてない甘えた輩」でしかない。
 というのは、こういうことだ。働くべき年齢層(生産年齢層)のうち労働人口・フリーター人口・パート人口に含まれる人については、雇用形態が正規社員・職員であるかアルバイト・パートであるかはともかく、とにかく働いている。失業者に分類される人も、現時点では職に就いていないが、職さえあれば働く意思を持っている。だから求職活動しているわけだ。一方、非労働人口に分類される人にしても、学生や専業主婦についてはその果たすべきことを果たしていれば具体的な収入を得る活動をしなくてもよいとみなされるだろう。もちろん時間的・体力的余裕があるなら労働に従事もするだろう。一方、肉体的・精神的に何らかの障害があり、働く意欲があっても働くことができない人たちも現実にはいる。そして、何らかの物理的・制度的補助があれば働けるようになるなら、そのための治療や制度の充実という策を講じることができる。つまり、働こうという意思のある人が、職に就くための方法、もしくはそれを支援する方法ならいくらでもあるし、それが肉体的・精神的に困難であるのならその治療を行う施策を講じることができる。が、NEETはそのどこにも入らないのではないか。

 「NEETが問題だね」って言えてるうちは、まだその社会に余裕があるってことだ。肉体的・精神的な理由で「働けない」のであれば治療すればいいし、そのための社会的支援も可能だろう。そう、働けない理由があるなら、それを取り除くことを考えればいい。
 けれどもNEETに関するいろんな調査結果を見るにつけ、そういう理由ではない、「そんな甘えたこと言うな!」と言いたくなるような情報だけが強化されていく。「人付き合いが下手だから」とか「自分に向いている仕事が見つからない」とかなんて、その逆が満たされて就職できた人間のほうが圧倒的に少ないはずだ。
 社会にまだ余裕があるうちに、NEETに分類される人たちを「憲法違反」の存在として糾弾(!)し、やや強制的にでも…罰則でもいいが…何かさせるか、さもなくば、それこそ「自己責任」として、その人たちが将来朽ち果てても関知しないことを明言すべきではないのか。

 社会人やりながら大学院に通って博士を取得しようなんてことをしている私は、おそらく平均的な社会人よりも意欲的なのだろう。だから意欲の欠如というのが理解できないのかも知れない。みんながみんな同等の「やる気」を出しているというのも不気味な社会ではあるので、そんなことを要求はしないが、自分のやる気のなさを理由に、親に、社会に寄生しないでくれ。
 いつまでも親や社会に…働けない人をなんとか守っていくことはできても…働かない者まで食わせていく余裕があるとでも思っているのか。

 繰り返そう。
 NEETは憲法違反の存在である。
 擁護する必要はない。


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Updated : 2004/12/19