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2007/11/19 『<個>からはじめる生命論』 (加藤秀一;NHKブックス) |
Contemporary Files #20071119:死への想像力でも書いたけれども、リアルな死は固有名詞でしか語られない。具体的な誰かが死ぬのだ。それはもはや「想像力」ではない。具体的な喪失感だ。生命一般論として語りにくい面がある。「生命」という抽象名詞にすることで欠落する何かが確かにある。その指摘は正しい。けど、その喪失感をこの本が抉り出してくれている…という感覚があまりしない。これがこのテーマの難しさだと思う。個別の具体的な死はいくらでもそれを説明できる。けれども、それはその個別の死と向き合うことのできる「距離」にいる人にしか通用しない。あとは想像で補うだけだ。かと言って抽象化してしまったのでは、それこそ「地球の裏でたくさん人が死にました」と聞いて「悲しいですね」と弔意を示す以上のことができなくなる。まだ「生命論」には何かが足りない。うまく表現する言葉が足りない。
2007/07/26 『世の中がわかる「○○主義」の基礎知識』 (吉岡友治;PHP新書) |
あー。世の中の「○○主義」が乱立してて何のことだかわからん、と言う人が手始めに読むにはいいかも。ただし内容はかなり捨象してある部分があるので、本気で理解したい人はこれでわかったつもりにならないこと。その意味では「もっと知りたい人に」的なブックリストだの URL リストだのがあったら親切なのではなかろうか。
2007/07/25 『反社会学講座』 (パオロ・マッツアリーノ;ちくま文庫) |
たぶん私のページを見て「おもろい」と思う人は、この人の著作も「おもろい」と感じる人が多いのではなかろうか。
世間でいろいろ言われていること(俗説)をきちんとデータと論理に基づいて考えると、いろいろと矛盾が出てきて…というお話。
これを「反社会学」と言うべきかというと、逆に、学術的な話として展開するには必要な事実確認とロジックの一貫性を追求している点では、ある意味、「原社会学」なのでは、とも思う。
2007/07/04 『「世界征服」は可能か?』 (岡田斗司夫;ちくまプリマー新書) |
筆者はアニメ制作現場にいた人だ。というより、オタキングとして有名か。
よくアニメとかで世界征服をたくらむ悪の秘密結社というのが出てくる。で、制作の現場に居ながら、「なぜ世界征服するのだろう?」という疑問を持ってしまったらしい。つらつら考えるに、世界征服したらしたで大変なのだ、ということが書かれている。だって自分が世界を征服し、独裁できたとして、世界中の人が自分に従うというのはいいとして、世界中で起こる全ての問題について自分が責任を持たなきゃならなくなる。
自分の支配下にある旧アメリカ地域の住民と旧イラン地域の人間が戦争をおっぱじめたらその仲裁に行かねばならない。旧ロシア領土内で天然資源の採掘権をめぐってトラブルが発生したらそれを解決しなきゃいけない。某国の食料品工場で、衛生的にとても人間の口に入れられないようなものを混入したものを製造販売して他の領地で多数死亡者が出てしまったら、「取り締まってくれい!!!」と陳情される。うわ。大変だ。
それと、どうやって征服するかと言う「分析」もこの本で行われており、本気で成功させるには、なかなか難しいこと、はっきり言って世界征服は割りにあわないことを論証している。
というわけで、世界征服を目指すあなた。この本を読んで考え直すように。
2007/03/14 『日本の選択』 (B.エモット&P.タスカ;講談社インターナショナル) |
まあ、ビジネス本とかとよく読んでる人には、この2人の著者の名前を見たらなんとなく内容に察しがつくだろう。この人たちは親日家と言っていいと思うので、日本の将来については基本的には明るいものを想定している。
…けれども正面切って「日本の将来は明るいですか?」と聞かれたら「それは日本人がどうするか、です」と答えている。いやあ、まあ、外国人としてはそうだわな。「どうなるか?」という問いは自然現象でもない限り無意味。社会現象については常に「どうするか?」または「どうしたいか?」と主体者に聞いて、複数の主体者間での駆け引き云々の結果として「どうなったか」を語ることが初めて可能になるわけで。んなわけで、本のタイトルが全てを物語っているのであった。
2007/03/08 『偽装国家』 (勝谷誠彦;扶桑社新書) |
著者があちこちの番組に出てこの手のアブナイことを言っている口調を想像しながら読むと面白い。最近の事件を「偽装」という観点で並べるとこういうふうになるのか、と感じいってしまう。もちろん著者はジャーナリストであるため、問題点を暴くことまでがお仕事で、「じゃあどうすればよいか」ということになるとカゲキな発言となってしまうわけだが。誰かがこの手の人の指摘した問題点を受け止め、その対策を考え、それを実行しないとならんわけだが。。
…でも、「ホワイトカラー・エグゼンプションはまず公務員を対象に導入して、問題がなかったら民間に導入しろ」とか「役人にもトレーサビリティ確保を」とかは一理どころか十理くらいあると思うぞ。
2007/03/05 『法哲学入門』 (長尾龍一;講談社学術文庫) |
どうも今の安倍政権は改憲(少なくともその準備)をしたがっている。でも、それに反対するにしても賛成するにしても、やれ、どの条文が要らないだの、こういう条文も付け加えろだのという小手先の(と私には思える)議論ではなくて、日本が国家としてどういう立場を鮮明にするか(もしくはしないか)が先で、その表現方法はいくらでもありうると思うので、そもそも論(国家にとって憲法って何さ的な、ね)がもっと必要だと思うわけよ。というわけでこの手の本を手にとることが多くなってきた。
いやー、何を言っているのかと言うとだな、『これが憲法だ!』でもあったんだけれども、もし「人権」というものが「生まれながらにして人間に備わっている(天賦の)権利」だというのなら、憲法の条文には「天賦の人権を尊重する」とだけ記述し、その人権の尊重・保護の具体的な手法については一般の法律に任せることも可能だってこと。憲法に書かなきゃ確保されない権利なんて、天賦の権利じゃないだろー。何か他のものから派生して論じられるんじゃないの。
…そんなことを考えるのに何かヒントになるかな、と思ったけど、どうも相性が悪いのかなかなかピンと来なかった。悪い本だとは思えないんだけど。もう少し関連本を読んでからもう1回読めば読めるようになってるかも。
2007/03/05 『本を読む本』 (M. J. アドラー・C. V. ドーレン;講談社学術文庫) |
読書法に関する本、と言えばいいのか。
著者たちが言うには、読書には4つのレベルがあると言う。
1つめはとにかく読む段階。2つめは与えられた時間内にその本の中身を理解しなきゃならないときに概略を把握する点検読書。3つめはきちんと読んでいく分析読書。4つめのレベルは1つの主題について複数の著作を読んでいくシントピカル読書。
…なるほど、と言うほどではなかったなぁ。というのは、ここに書いてあることは既にやっていることだから。ひょっとしたら、これから研究者になろうと決意している学生さんや、受験生に役に立つかも知れない。というのは、既に日常的に大量の本を読んでいる人は多かれ少なかれ、その本の内容や必要度に応じて読み方を変えていると思うので、この手の本は要らないだろうから。逆に「何をどう読んだらいいかわからん」と言う人には有効かなと思ったので。
2007/02/26 『17歳のための世界と日本の見方』 (松岡正剛;春秋社) |
松岡氏にかかれば何でも「編集」にされてしまうのはお約束ということで、それはいいとして。
著者が帝塚山学院大学で教鞭をとっていた時に、学生がなーーーーんにも知らんということに気づいて、せめて高校出たころにはこれくらいは知っておいてほしい、みたいな話をいろいろまとめたものという感じ。講義録といえば講義録なんだけど。
結局ね、著者お得意の「編集」に持ち込むためには、それなりに聞く側の頭の中に材料がないと成立しないわけ。この本の中に「利休はルネサンスで織部はバロックだ」という話があって、それなりに彼らの特徴が頭にあると(同時にルネサンスとバロックの特徴も頭に入ってないとどうしようもないが)「なるほど!」と腑に落ちる。でも元ネタがないとそうはいかない。
日本を含む世界各地の歴史や文化をあっさりと5回の講義に要約するってのもすごい。これがきっかけとなっていろんなことを知った人が再度この本を手にしたときに、この本の真価を感じられるような気がする。
2007/02/23 『気まぐれコンセプトクロニクル』 (ホイチョイプロダクションズ;小学館) |
ビッグコミックスピリッツの最長連載作品であるにもかかわらず、長年単行本化されてこなかった、それこそ待望の1冊。
これ、バブル前から現在に至るまでの、題名どおり「クロニクル(年代記)」となっていると思う。この時期に会社員として過ごした世代には、うなずけるところや、自分がこのときに何をしていたかなど想起しながら読み進められる。逆に言えば、それ以降の世代だと、前半のほうは何を言っているかわからないとこがあるかも知れない。が、当時の風俗(←変な意味ではないつもりだが、このコミックだと変な意味にしか取れないかも)や流行の偉大な記録となるかも知れぬ。
…が、自分で買うのもなんだかなぁ、と思うので、他人に買わせて借りて読もう!
しかし、このコミック、4コマ漫画ながら1つずつが重い(ネタは軽いが、内容の練り込みかたはスゴイ)ので、読むのに時間がかかる。フツーのコミックの単行本なら1冊15分もかからない私でも、通勤の往復時間+就寝前の時間+仕事の休み時間を総動員して5日かかった。
2007/02/15 『なぜ日本の政治経済は混迷するのか』 (小島祥一;岩波書店) |
日本の政治経済の混迷をゲーム理論で解き明かした著作! …と思って買ってみたのだが、私としてはちょっと期待はずれだったかな。
日本の、特に戦後の政府のやってきたことは「何も問題はない」→「お茶を濁す」→「知らぬは日本人ばかりなり」→「白旗を揚げて降参」の4段階の繰り返しだ、という指摘はそれなりに正しいとは思うのだけれど、それは過ぎ去ってしまってから(事後的に)そのように評価し、批評することは可能だけれど、その当事者としてその時点で判断できたか、今後そのようにならないために何ができるかという分析ツールにはなりえていないところがキツイかなぁ、と思う。
2007/02/14 『史記の風景』 (宮城谷昌光;新潮文庫) |
直前の連休に司馬遼太郎記念館に行って、ちょっと歴史ものが読みたくなったので、ちょっと読んでみた。
いやー、なんと言うか、作家になるには実にいろんなことを知り、感じなくてはならないとは思っていたが、やはり歴史作家はさらに輪をかけて大変な量の史料を読まねばならないということを痛感した。
2007/02/13 『タバコ有害論に異議あり!』 (名取春彦・上杉正幸;洋泉社) |
職場の同僚(女性)が、旦那にタバコをやめてほしいのだけれども、いろいろへ理屈を言ってやめてくれないと嘆いてる。私もタバコを吸わないので、「吸っている人をやめさせる理由」というのはなかなか思いつかない。(だって、私がそもそも吸いたいと思わないものを吸ってるんだもの、その時点で理解不能。)
それで、喫煙推進派(?)の言い分はどんなかな、と思ってこの本を手にしたのだけれど。
ふむー。
この本の主張は圧縮すると2点。
(1)タバコが体に悪いと言われる論拠になったデータは科学的ではない。
(2)体に悪いのはタバコだけじゃない
…いや、あの。まあ、タバコを吸わない人間から見れば、タバコを擁護したいがための言いがかりに見えてしまうなぁ。(1)については、最初に日本で話題となった調査のまとめ方の不備を指摘している。うん、そうなんでしょう。でも、それをいくら指摘したところで、その人の学術的態度が甘いことはわかっても、タバコが体にいいとかどんどん吸っても悪くないという論拠にはならないっしょ。
(2)についても、だから? それがタバコがいいという説明にはならないでしょ?
ただね、2人目の著者も少し触れてるけど、第2次世界大戦直後の日本では、人が死ぬ原因が感染症などが多かったのが、だんだん豊かになってきて、生活習慣病などが幅を利かせるようになってきてる。だからたった1つの要因だけを原因にするのは正しくない。たとえばタバコだけが肺ガンの原因とは言えないのは確かだ。確かにフードファディズム(food faddism)ならぬ、ヘルスファディズムとでも言うべき社会になって来ている。その例としてタバコの置かれている立場を書くならもうすこし説得力を持つ展開を描けたのではないかな、と思う。
それに散々、タバコが悪いというのはデータの表示の仕方やそのロジックを批判していながら、最後のほうで、喫煙率の低下と(タバコのに関連する/しないにかかわらない、全体として)死亡率のとの間に明確な相関関係が見出せないことだけをもって「禁煙したって死亡率は下がらない」と主張しているあたり、矛盾が見られる。
ってなわけで、私には説得力を持つ議論には思えない。
2007/02/09 『つっこみ力』 (パオロ・マッツアリーノ;ちくま新書) |
敢えて分類すれば、これはメディアリテラシー批判の本、かな。
著者は知る人ぞ知る、自称イタリア人の戯作者。『反社会学講座』の著者、と言えばわかる人にはわかるかも。
さて、中身の話。
世の中にいろんな議論があるけれど、きちんとした議論って、実は日本人には合わないんじゃないの、と著者は言う。日本にぴったりなのは理路整然とした批判や議論などではなく、愛と勇気とお笑いとに満ちた「つっこみ」が必要なのではないか、と主張する。確かに議論は面白くなくちゃ。
本題からはそれるが、笑いにおける「つっこみ」という存在は日本独自ではないか、という著者の指摘には目から鱗がおちた。
2007/02/08 『「分ける」こと 「わかる」こと』(坂本賢三;講談社学術文庫) 『知の分類史』(久我勝利;中公新書ラクレ) |
この2冊、当然ながら完全に別個に書かれたものではあるけれども、続けて読むと、人間の「分類したい」という衝動の強さをまじまじと感じる。そう、人間はわかりたいのだ。確かカミュだったけな。「人間は、たとえ不合理でも納得させてくれる世界観がほしがる」みたいなことを言ったのは。混沌としてて何がなんだかわからない状況に人間は耐えられないんだな。そこでいろいろと枠を用意して納得したがる。たとえそれが後で間違いだとわかったとしても、そういう枠組みが提示されないことによる不安感のほうを先に解消したいのだな。そういう情動があるにもかかわらず、そんなのを感じてないかのように、整然とした体系を組み立てて説明をしようとしている人間の営みと言うか業を感じるなぁ。
2007/02/05 『佐賀のがばいばあちゃん』 『がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい! 』 『がばいばあちゃんの幸せのトランク』 『かあちゃんに会いたい―がばいばあちゃんスペシャル』 (島田洋七;徳間文庫) |
このばあちゃんには、沖仲士の哲学者と呼ばれたエリック・ホッファーに通じるものを感じる。
ホッファーはドイツ系移民としてアメリカにわたり、生涯孤独で正規の教育も受けないで様々な仕事を転々としていたのだが、独学を続け、晩年にはカリフォルニア大学の政治学教授になった哲学者だ。
世の中で「頭のいい人」に分類される人には、おそらく偉い人と賢い人がいて、勉強するなどで知識を積み重ねれば偉くはなれるのだろうけれども、経験を積み重ねなければなかなか賢くはなれないのではないか。
ばあちゃんやホッファーのような、本質的に賢い人が、かなり社会の最底辺に近いところで生活をし、人間を社会をしっかりと見てきたものを言葉にすると、それは哲学になるんじゃないのかな。そう思ってこの本は哲学に分類。
2007/02/02 『カラヤンとフルトヴェングラー』 (中川右介;幻冬舎新書) |
この本を読むまで、私はてっきり、ベルリンフィルの主席指揮者の席はフルトヴェングラーからカラヤンにごくごく普通に譲り渡されたものだと思い込んでいた。細かく言えばいろいろと違う点はあるけれども、2人が指揮した曲の特徴って似てると思っているから、師匠−弟子の関係かな、とも思っていた。…それが、第2次世界大戦前後という時代背景もあって様々な政治勢力の代理戦争に使われたり、彼ら自身の駆け引き、権謀術数がからみあって、最終的にカラヤンが帝国を築いていくさまを描いている。
音楽は純粋に音楽を楽しめばいい、という立場もあるし、こういう背景を知らなくても(知らないほうが?)楽しめるが、これはこれで面白い。
2007/02/01 『これが憲法だ!』 (長谷部恭男・杉田敦;朝日新書) |
「憲法改正に賛成ですか? 反対ですか?」
…この質問のナンセンスさ、この質問が正しい問いになっていないということに気づかない人には、この本は重いかも知れない。憲法のどの条文をどのように「改正」するのかをきちんと選択肢として挙げないと賛成も反対も考えようがないじゃないか。つまり、憲法第9条第2項を強化して「(前項の目的を達するため、)陸海空軍その他の自衛のための戦力も含めいかなる軍事力も、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と変更するのも「改正」で、いわゆる「護憲論者」はこの「改正」に反対できないだろう。
おそらく著者らの立場は、生粋の「護憲論者」には嫌われるような気がする。かなり問題の立て方が根本的だ。でも私はこの手の議論構築が好きなので、けっこう喜んで読んだ。憲法のどの条文をどう変えるとか、こういう権利を付け加えろとか、そんな議論に陥りがちな昨今の改憲論を、「そもそもなー」みたいな感じで片付けて(?)いる。要するに憲法って、その国家を規定する原理の主張なわけで、どういう原理を採用するか、みたいな議論が必要なのであって、それをどう表現するかは、その後の話なのだな。
もちろん、著者らの意見に全て賛同する必要はないが、憲法を論じたいなら一読を。
2007/01/26 『日本という方法』 (松岡正剛;NHKブックス) |
大学受験に失敗して浪人して予備校に通い始めたころ、その授業の明快さに、「何で高校のときにこういう風にわかりやすく教えてくれなかったんだよー!!」と憤慨した覚えがある。でも、しばらくしてそれは無理だということに気がついた。それは高校の教師と予備校の教師の力量の差ではない。目の前の生徒の知識量の差を前提とした本質的な役割の差があるのだ。
高校では、中学校までで習ったことを前提に、新たなことを教えることが要求される。でも、予備校では既に教わっている(であろう)高校で習うべきことは習っていることを前提に授業ができる。この差は大きい。道具の存在を伝え、その道具の使い方を説明する段階と、そういう道具をある程度使えることを前提に、どういう局面でどういう風に使えば効果的かを伝える段階では、やはり後者のほうが(教えられる側にとっては)「目から鱗」感が違うのだ。
既に「ある」ものを、見方を変えて提示する−これが「編集」だ。
けど松岡氏にかかれば、何でも「編集」にされてしまうよなー。
2007/01/25 『墨攻』 (酒見賢一;新潮文庫) |
えー、これは映画『墨攻』の原作ということになるのかなぁ。映画は、この『墨攻』を基にしたコミックを基に制作されているので、原作の原作ということになるのかなぁ。まあ、いいや。それはともかく。
実は、昨年から墨子関連のものを読んでいましてね、、、、と言っても、実はいろんなことがわかってないのよね、墨子及びその後継者たちのことについては。
中国の戦国時代の末期に「非攻」を唱え、専守防衛に徹する思想を説くだけでなく、各地に墨子の思想を体現した人たちが散らばって城を守りきったりしてたらしい。単に「戦争ダメダメ!」と叫ぶだけじゃなく、実力で攻めれこられたのを撃退しちゃう。でも絶対に攻めに行かない。文字通りの専守防衛。この守りかたがすごかったってんで、「墨守」という言葉が生まれた、、、とされてる。
ひょっとしたら、日本の自衛隊のあり方って突き詰めたらこんなことになるのかも知れんなぁ、と漠然と考えて『墨子』を読んでたら、それをネタに映画をやるって言うので急遽読んだ(薄いので東京の日帰り出張の往復だけで読めた)。結構おもしろいよ。
墨子のネタを読んだことがある人にはなお面白いかも。
『墨子』そのものについては、Bookshelf Classics でそのうち触れたいけど。
2007/01/17 『ハンナ・アーレント』 (杉浦敏子 ;現代書館 フォー・ビギナーズ シリーズ) |
久しぶりに読んだなぁ、フォー・ビギナーズ シリーズ。まあ、秀逸とは言わないが、ある社会問題や人物に対してとっかかりにはいいかと。
それはともかく。
彼女の名を世界的に高めたのは『全体主義の起源』という著作なんだけれども、これも含めて、彼女の著作は再度、精密に読むべき作品であると感じてることなので。
ただし、21世紀の全体主義…今は「帝国」主義と呼ばれているのかも知れないが…は、それを意識的に主導している個人もしくは集団がいるのではなくて(そう考えるのは「陰謀主義」だ)、それぞれの主体が別個に行動しているはずなのにどうも全体の流れがそっちに向いてしまっているという点で、20世紀のそれよりも性が悪いんじゃなかろうか。
2007/01/13 『信玄の戦争』 (海上知明;ベスト新書) |
今年のNHKの大河ドラマが武田信玄関連だから(正確にはその軍師の山本勘助が主人公だけれども)っていうので、信玄関連本が書店にはならんでいる。まあ、たぶんこれまであまりメジャーな存在ではなかった山本勘助の説明に終始しているのも多いんだけれども。
この本は、信玄によるいくつかの戦争を『孫子』における戦略と照らして説明している本。
正直な感想を言えば、信玄の行動原則みたいなものを一貫性をもった説明をしている点は評価できるんだけれども、何かあると説明が全て「これは『孫子』の○○の項に当たる」みたいな記述になってて、やや天下り的な感じがする。もちろん私も『孫子』は読んだことあるけどそんなに精通しているわけじゃないので、著者の説明が間違ってるなんてことを言いたいわけではないんだけれど。
つまりね、『孫子』に限らずいろんな戦略に関する本って、1つ1つの項目を読めばもちろん納得できることが書いてあるんだけれども、項目同士の関係は必ずしも整合性がない。それは現実に置かれた状況(地勢的な環境、天候、自軍・敵軍の兵力や士気などなど)によって、「今はこの策が最適」という判断がなされるからで、著作として矛盾がある、ということではない。すると、戦略本を基に、ある状況下で採るべき方策を云々するのであれば、その状況下で考えられる選択肢を挙げた上で、その中でこういう視点からコレが最適と(結果から遡って判断するというズルはなし、ね)いう思考過程が示されないと、説得力に乏しい。ひょっとしたら著者はそういう思考過程を経たのだけれど、紙幅の関係で記述を端折ったのかも知れないけどね。
ただ、序章・1章・4章は一読すると、戦国時代の各大名の行動の見方が少し変わるかも。
2007/01/10 『右翼と左翼』 (浅羽通明;幻冬舎新書) |
確かに「右−左」の軸にそった分類をしにくくなった時代だと思う。この本は「右翼」「左翼」の発生から現在に至るまでの歴史的経緯をわかりやすくまとめている。これって、十分に学術論文足りえる内容なんじゃないのかな。こんなのが新書で読めるのはありがたいと思う。
そもそも「右−左」というのは、フランス革命時代に議長席から見てどっち側に過激な連中が座ってたかで名前がついたのだけれども、フランス革命の時期に限っても、その位置づけがどんどん替わっていっている。それ以降の歴史の変遷は如何に況や。でも、著者はそれを「自由−平等」と「ナショナル−インターナショナル」という軸でうまく説明している。で、最終章ではさらに軸が増えていくわけだけれども、それを是ととして現状の理解で納得するか、さらに自分で別の軸を想定して今後を見通す視野を自分で手に入れるかは、自由だ〜。
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Updated : 2007/11/19
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