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Title : "Killing is cool."
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「殺ってもイケるしイケてるのに」

『なぜ人を殺してはいけないか?』という本がある。
 これは河出書房新社が出している「道徳の系譜」シリーズのうちの1巻で、永井均氏と小泉義之氏という2人の哲学者の対談+書き下ろしだ。このシリーズは毒があってなかなか面白い。(ISBN4-309-24210-3)
 たぶん哲学書のコーナーにあるだろう。クリーム色の表紙で、おそらくシリーズでおいてある。

 しかしながら、哲学者がこの手のタイトルで本を書くと、だいたいろくなことがない。
 というのは、フツーの人が望む−人間は人間を殺してはならない理由−答えなど書いてないからだ。

 だいたいこういうテーマだと、ニーチェが引き合いにだされる。

 善とはなにか。
 生命(=「力への意思」)を肯定すること。だから、ある一瞬でも人生を肯定できる瞬間があるならば、その行為は肯定される、と。それが殺人であっても。この論理では殺(や)りたかったら殺っちまえ、ということになる。

 そう言えば、『The World is Mine』でも犯人の一人が何十人も殺して、ロケット砲をぶっぱなしてこんなこと言っていた。(第3巻 P.13)

「俺は 俺を 肯定する。」

 生きるために生きるものを殺すことは一般には認められている。
 だって普段私たちの口にするものって、要するに植物と動物の死体。

 そしたら、どうして人間を殺してはいけないのか?
 『寄生獣』(岩明均;講談社アフタヌーンKC)の中でも、殺人マニアがこんなことを言う。(第10巻 P.198)

なんでおれ以外の人間はこうガマン強いのかねぇ
人間てなもともとお互いを殺したがってる生き物だろ?
大騒ぎしすぎなんだよ
みんな血に飢えてるくせしやがって

人間はもともととも食いするようにできてるんだよ
何千年もそうしてきたんだ!
それをいきなりやめようとするから50億にも60億にも増えちまう
このままじゃ地球がパンクしちまうぜ

 「肯定せよ」と言うのは実は難しいことではない。問題は言ってしまった後からだ。自分を肯定するだけなら話は簡単だ。要するにわがままであればいい。我慢を知らない幼児は、最強・無敵な暴君なのだ。「人権」という便利で無敵な言葉も乱用すれば、他の「人権」を平気で蹂躙する理由にもなる。

 人間が集団で生きていくためにはそれなりの制約を必要とする。それは「道徳」と呼ばれたりするわけだが、どうも、最近旗色が悪い。
 イライラし、キレてしまい、「なんでダメなんだよー、殺ってもイケるしイケてるのに」なんて言い出すような人間には、道徳は無力だ。フツーの人だって、とりあえず「道徳」を守ってはいるが、だからと言ってそれを心底信じているわけではないだろう。単に、自分が信じているフリをし、他人も信じているフリをすることで、全体として悶着のネタを低減化させるための道具なのだ。
 道徳−正論と言ってもいいが−ばかりを説き、それに従うことを要求する存在は、その主張を否定はできないがやはりうさんくさいし、煙たいと感じる人が多いのではないだろうか。

 それは「道徳」がある意味で嘘・虚構だということが知れ渡っているからだ。

 おそらく様々な宗教で「世の末」「末法時代」と表現し、自分たちの集団以外は穢れ、堕落していると考えるのはこの点を強調したいがためなのではないか。多くの場合、集団を社会から分離してしまうことになるわけだが、それでは、実は誰も救われない。その汚れてしまった社会の中でしか−少なくとも関係を保たない限り−人間は生活していけないからだ。


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Updated : 1999/06/21