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Title : The Value of lives 2
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Contemporary Files #20030331
生命の重さ(その2)
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 「生命の重さ」と言うタイトルで書き始めたら、以前にも同じタイトルで書いたことあることを思い出してあわてて「その2」をつけた。

 ず〜〜〜〜〜〜っと前から政策系のサイトを構築したいと思ってましてね。これまでの政策系のサイト−政党以外のシンクタンクや政策集団や個人が自らの政策を表明しているサイト、というくらいの意味だけど−は、自分たちの勧めたい/進めたい政策が掲げられているのはいいんだけど、それ以外の考えがなぜだめで、なぜそれ(自分の意見)がいいのかってことに関する論及が少ないように思うのね。それと、政策ばかりが強調されて(って政策系サイトだから仕方ないんだけど)、そもそもなぜその政策が出されたのか、なぜ「問題」なのか、その原因は何か、解決策として他のオプションはどういうのがあって、どういう得失や理念上の問題があるのか、とかとか、そのあたりの議論がすっ飛ばされてるような気がするのだ。例えば経済情勢について「インフレターゲティングをすべきか否か」という議論をしたら、そもそも「インフレにしなきゃならない理由は何か」っていうことを抜きにしてその是非ばかりが論じられたりする。デフレ下で十分に生活していける方途が見つかるのなら(そしてそれを国民が選択したのなら)、別にシャカリキになってインフレにしなくてもいい、というレベルで話が決着するのね。「少子化・高齢化」ってのもね、あれ、結局、日本人の人口の自然増が見込めないという現象から起こるわけだから、「外国人の大量流入を認め人口の社会増を確保する」という回避の仕方もあるんだよね。当然付随する影響もあるよ。だからそういうのをいくつもいくつも考えて、その中でどれがいいかを検討すればいいんだ。要するにさぁ、政策ってのは、その地域(自治体かも知れないし国かも知れないけど)に住む人がハッピーになる(何をもって「ハッピー」とみなすかという大きな大きな問題もあるんだけどね)方策を採ればいいのであって、ある政策が提示されてその是非を論じるって、ちょっと本末転倒だと思うわけ。どっかの誰かがすっごく自分の意見よりも説得力のある議論をしてたら、躊躇せずそれを採用すればいい。政策ってのはね、自分の意見を通すことが目的じゃなくって、その影響を受ける人のハッピーさを確保・向上させることが目的のはずなんだから。んなもんで、時折自説を変更する(それまで賛成してた考えを撤回し、別のに乗り換える)かも知れない。

 けど、いくつか譲らないでおこうと思っている点がある。そのうちの1つは首尾一貫性。つまりダブルスタンダードにならないこと。何かの政策Aを採択する際に用いた基準と矛盾する政策Bは可能な限り採択しない。でもどうしても政策Bを採択したければ、政策Aの捨てるか、双方と矛盾しない基準を考える。けど、世の中そうは完全に無矛盾にはならないだろうから、どうしても矛盾が出るのであれば、涙をのんでそうするけど、そのことを明記し、その止揚・解決を図る。
 それともう1つ。効用の最大化ではなく、犠牲の最小化を目指したい。効用が最大になるけど犠牲もそこそこになる選択肢よりも、犠牲を最小にするような選択肢を推奨するようにしたい。いや、そもそもこういう判断基準に何を採用するか、ということですら検討すべきなのではあるが、とりあえず私の信条としてはそうしたい。

 例えば、飛行機がハイジャックされてどこかの空港に降りたとする。で、よくあるようにハイジャック犯は逮捕されている仲間の釈放を要求しているとする。で、よくあるように、諸外国ではここで釈放なんかせずに、特殊部隊を投入して犯人グループを逮捕または射殺する方法を採る。そのロジックは、「今ここで人質と引き換えに仲間を解放しては、その後に展開される彼らの活動により被害に遭うであろう人数が、現に人質になっている人数を上回る危険性が高い」ということと、一度それを受諾すれば、何度も同じ手を(しかも他の連中も)使うだろうから、より被害が拡大する恐れがあるということである。
 人質になって現実の危険にされされている人の身体・生命と、今ここでハイジャック犯をしとめないことで(潜在的に)危険にさらされることになる人の身体・生命と。一体どちらを重視すべきだろうか。もし2者択一しか許されないのであれば、私なら犯人を今ここでしとめることを選択する。けれども他のオプションも自由に考えることができるのなら−いくつかの条件はつくけれども−「超法規的措置」を選択する。目前の人質を解放させる一方で将来の危険を最小化(ゼロにできれば言うことはないんだが)する方策がなくはない。…が、ここで書くにはあまりにも「余白が小さすぎる」。

 実は、今回のイラクに対するアメリカの態度を善意に(?)解釈すれば、ハイジャック犯に対して強硬手段をとった立場と構造的に似ていると、私は思う。そこに流れている判断基準は「将来における危険を排除するために、今ここでしとめる」だ。「今ここでしとめる」以外の方法で「将来における危険を排除する」ことができればそれでいいはずだ。(そうじゃないなら、単なる戦争屋 war monger だな。)
 ある政策を選択するってことが「是々非々」なんてのは「いきあたりばったり」としか私には思えない。そこに貫く何か一本の筋金が必要なんだと思うぞ。たとえ自分とは相容れない相手であっても、その行動原理がわかってて、それをかたくなに一貫して守るのであれば、人はそうみなしてくれるだろう。信頼ってのは一貫性から生まれると思うんだ。個人だけじゃなく、国もね。

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Updated : 2003/03/31