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Title : The value of lives
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Contemporary Files #20020930
生命の重さ
/ BBSへGo! /

 まあ、だいたい、こんなタイトルにすると「ほら、また、お説教じみた、お涙頂戴的な話をする」と思われそうだが、そうはいかないのが Felix の文章の真骨頂(!)なのである。

 先週も、ずっと朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)の拉致問題に関するニュースが多かった。マス=コミは、どちらかと言うと、「ヒドイことしやがって」という風潮である。いや、もちろん、拉致(強制的な連行)は一般にヒドイことだと言っていいだろう。そしてその被害者及びその親族はどんなに怒りを露にしてもかまわないと思う。けれども当事者でない者がヒステリックにこの問題にのみ怒りを表明するのは、なにか偏ったものを感じてしまう。

 「拉致(強制的な連行)は一般にヒドイことだと言っていいだろう。」と持って回ったいいかたをしてることを疑問に思った人もいるかも知れないね。けど、「拉致」が「本人の意図に反して強制的に他者がある場所に連れ去ること」だとしても、それってよくあることだから。子供を医者に連れていったり、犯罪者が逮捕されて連行されたりとか。そういうのは「ヒドイ」ことではないので、ちょっと注意深く表現しただけのこと。DPRKの拉致を弁護するつもりはさらさらない。

 「同胞が他国からの一方的な暴力の被害に遭わされるなんて許せない!」のなら、昨年9.11の犠牲となった日本人の方々についても同様の怒りを、その犯人に向けるべきではないのか。すくなくともマス=コミにおける扱いには大きな差がある。拉致の被害者の生命と9.11テロの被害者の生命の重さに差があるとでも言うのか。時と共に風化するというのなら、事件発生時点で言えば9.11テロの方が最近ではないのか。そういう扱いをしているマス=コミの論調に、あなたはとりこまれていないだろうか? もうちょっと具体的に言うと、9.11の1周年の追悼行事を、「アメリカの儀式」だと思っていないだろうか。そもそも日本人犠牲者がいた(ビルに激突した飛行機にも搭乗されていたし、ビルでも犠牲者もいた)ことを忘れてはいないだろうか。
 「知らなかった」のなら仕方がない。けれど、もしあなたがどちらの当事者でもなくて、かつ、「忘れていた」というのなら、あなたの、他人の生命の重さに関する感度はその程度だということだ。もしあなたが普段から「生命(の重さ)は平等だ」と主張している(つもり)なのなら、それは矛盾である。さあ、どうする? どうする?

 いじわるついでに、さらに突っ付いておこう。話をDPRKに限ったとして、むこうがこんなこと言ってきたらどう反論する? 

「国外の勢力によって強制的に人々を連れ去り、ある業務を強制することが許されないことなら、日本が20世紀初頭に朝鮮半島の我々の同胞にしたことは何だ?」

 え? 困った? それとも、「そんな昔のことどうでもいいじゃん!」と突っぱねる? そんなこと言ったら、同じことを言い返されるよ。「もう20年も前のことじゃないか」ってね。

 逆に昔のことだってどうでもよくない! と言い出したら、元寇の時に元の軍隊と一緒に攻めてきたじゃないか! なんて言いだしかねない人もいるだろうし、そんなこと言ってたら、白村江の戦いの話までひっぱりだされたりして、もう大変なことになるはずだ。

 さて。そろそろ、なぜ私が先週のCFで「それでも赦すと言おう」と言ったか、なんとなくわかってきてもらえたかな?


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Updated : 2002/09/30