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Title : Complimentary for The Value of lives 2
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Contemporary Files #20030402
「生命の重さ(その2)」への補遺
/ BBSへGo! /

 今回もよ〜く読んでもらわないと、確実に誤解されるので。

 イラクへの武力行使に対する反対のロジックとして、「無辜のイラク国民が犠牲になるから」という理由をよく耳にする。が、実は、私はこの言い方に若干の違和感を持っている。いや、「イラク国民はフセインを放逐せずに支持しているのだから『無辜』とは言えない」とかそういうことを言いたいのではない。
 「〜が犠牲になるからだめ」というロジックの背景には、「人間の生命は理不尽に奪われてはならない」という原則があるはずだ。そしてその原則はどの人間にも同等に適用されるべきだろう。…とすると、反対するための理由は「人が死ぬから」でいいはずなのだ。
 へ? という読者の顔が見えるような気がする。ちょいと説明しよう。

 さて。

 これはいいよね? 「いや、だめだ」って言うのなら自分で考えてくれい。
 「理不尽に」と書いたけど、実はこれ、厄介な条件かも知れない。この世ではまだ死んだことがないので、実際に死ぬときに自分が理不尽と感じるのかは知らないけど、死の理不尽さというものは、その人の死の理由を周囲の人が受容できるかって要素が大きいと思う。老衰で大往生とか病死ってのは、つらいけど納得できるというか、まあ、「仕方ない」で済む面があるだろう。じゃあ事故死はどうだ。これにしても過失(ミスや失敗による結果)なのか未必の故意(もしそれをすればそういう結果になるだろうとわかってて止めなかった)なのかによっても異なるだろう。じゃあ悪意があった場合はどうなのか。それは殺人だ。殺人の場合でも、明らかに怨恨の場合−恨まれるようなことに身に覚えがある場合−には、まあ、納得とはいかないまでも、それなりの「仕方ない」という心理が働く余地がある。が、加害者側の一方的な思い込みによる犯行とか、通り魔的犯行とかだったらどうだろう。理不尽さはぐっと増すのではないだろうか。じゃあテロはどうだ。たまたま市場に行っただけなのに自爆テロに巻き込まれたのだとしたら。理不尽だよね、とっても。
 じゃあ、戦争はどうだろう。非戦闘員が攻撃の巻き添えで死んだら。これは理不尽だ。じゃあ、兵士が戦場で死ぬのは?

 兵士が戦場で死ぬのは仕方ないこと、なのだろうか。上部から命令に従っただけではないのか。もちろん「敵を殺せ」とか「死んで来い」という命令はないにしても、少なくとも「死んで当然」ではないだろう。
 だから、戦争に反対する理由は、「兵士でない人も死ぬから」ではなくて、「(兵士を含め)人が死ぬから」で十分なはずなんだ。

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Updated : 2003/04/02