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郡山城史跡概要

 戦国時代の郡山市域では、「郡山衆」とよばれる土豪たちが館を構えて勢力争いを繰り広げていました。その後、織田信長の支援により大和武士の棟梁となった筒井順慶が筒井城から郡山に入り、郡山城の築城と城下町の整備にとりかかったのが郡山城のはじまりです。

 筒井氏の後、豊臣秀吉の弟秀長が大和・紀伊・和泉で百万石を与えられて郡山に入りました。郡山が大坂城を守るための重要な土地だったこともあり、本格的な近世城郭づくりを進めるとともに箱本制度をはじめ城下町の整備に力をそそぎました。

 郡山は大坂夏の陣で戦火にあい、荒廃した時期もありましたが、元和元年(1615)に水野勝成、ついで元和5年徳川家康の孫松平忠明が郡山に封ぜられ郡山城と城下町の復興に努めました。その後も、徳川一門・譜代の大名である本多氏(第一次)・松平信之・本多氏(第二次)が城主となっています。

 享保9年(1724)には柳澤吉保(よしやす)の子息吉里(よしさと)が甲府から十五万石あまりで国替となり郡山に入りました。以後、柳澤氏が六代にわたって在城し、保申(やすのぶ)の時に明治維新を迎えました。

 郡山城は明治維新後、明治6年(1873)に競売にかけられ解体されました。