20選 | 富本憲吉作品 コレクション |
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為加増令扶助、知行方五百石濃州内五百石江州内千石事、当年者物成応高頭、以納米可被下候、来年御検地之上、被為所定可被仰付候、然者、本知弐千五百拾五石四斗七升、都合 参千五百拾五石四斗七升全可領知候也
天正十八
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豊臣秀吉(1537〜1598)が柘植左京亮に、美濃国内と近江国内で各五百石、計千石の所領を加増した印判状。今年は石高に応じた年貢分の米を支給し、領地は来年検地の上定めることとするが、これによって従来の二千五百十五石四斗七升と合わせ三千五百十五石四斗七升となると書かれている。
柘植左京亮は柘植与一のことと思われる。柘植与一は『織田系図』によると、字(あざな)は与八郎、織田信長(1534〜1582)の家臣で本能寺の変(天正十年=1582年)後秀吉に仕え、慶長14年(1609年)69歳で没した。