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Title : Strawberry Testament, again
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『いちご白書をもう一度』

♪ いつか 君と行った 映画がまた来る
  授業を抜け出して 2人で出かけた ♪

 …と歌われた映画・『いちご白書』を、私は見たことはない。が、原作の翻訳は角川文庫から出版されており、こちらは読んだ。その中で1つだけ、とても気になってしかたがない言葉がある。それはこういうものだ。

「人々はひとりぼっちではない。しかし、そのかわり孤独である。」

 これとよく似た意味のことをH.アーレントが『全体主義の起源』の中で触れている。

「全体主義でない世界で人びとに全体主義の支配を準備するもの、それはかつては老齢のような、ある種のマージナルな社会状況において生じる極限的な体験だった孤立感が、20世紀には絶えず増えつづける大衆の日常的な体験となったという事実である。全体主義が大衆を駆り立て、組織化する過酷な過程は、この現実からの自殺的な逃避であるように見える。」

 単語の用法としては逆なのだが、独りでいるという意味での孤独(solitude)と、大勢の中にいるのに(いるからこそ)感じる孤立感(lonliness)を区別し、後者が日常化してしまうと言う状況。そして、その状態になった大衆を掠め取って行く全体主義の影。

 「孤立(感)」とは、周囲に人がいっぱいいるのにその誰もが自分の心を満たさないという感覚である。「孤独」とは特にそういう感じのない、単に「独りでいる」ということ。そして「寂しさ」は、本来そばにいるべき人、いて当然の人がそばにいないことによって起こる。


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Updated : 2001/01/15