Location : Home > Contemporary Files > 2003
Title : Xenophobia in Iraq
Site:Felix Logo
Contemporary Files #20031205
攘夷論
/ BBSへGo! /

 幕末の時代にいろいろな政治的スローガンがあった。
 もっともわかりやすいのは倒幕派と佐幕派だろう。もっとも、「倒幕」と書くか「討幕」と書くかで、それを書いた人間の立場が明らかにされるのかも知れない。「倒幕」なら純粋に幕府を倒すことを指すが、「討幕」だと幕府から権力を奪うことに正統性または正当性が与えられていることを意味するが。まあ、それはさておき、この対立軸は、現政権(当時では江戸幕府)から権力を奪うか、現政権の維持を前提としその改革を意図するか、である。
 当時の政治的な対立軸としては、外交政策(?)として開国か鎖国継続かという軸もあった。政権を保持している側が基本的に言葉どおりの保守、つまりそれまでの選択を踏襲するという姿勢であると認識するなら若干奇妙なことに、佐幕派が開国を唱えていたような印象がある。もちろん幕府の中にも大権現以来の鎖国政策を覆すなどもってのほかという勢力も大きかったであろうが、ペリー来航に対し修好条約だの通商条約だのを国家として締結したのだから、政権としての公式な選択は開国である。そして討幕派の攻撃も、当初は鎖国継続…というか、排外主義というべき姿勢から生まれたのではなかったか。(う。ないかも知れん。)

 あと、この時期の思想というか主義というかスローガンにはもうひとつ有名なものがある。尊皇攘夷だ。尊皇といえば天皇を尊重する(ひいては政治の中心に据える)という姿勢であるし、攘夷は外国勢力を排除するという排外主義のことだ。この両者は両立することも可能だが、不可分のものではあるまい。

 おそらく当時はみんな…と言っても、当事者は、日本全国の人口から言えばごく少数の、志士と自称する人々と、それに乗っかる雄藩と、そういう動きに対処せざるを得なかった幕府側の中枢部の人々だろうが…情熱的で、上で挙げた言葉を1つのくくりでしか立場を選別しなかった、しえなかったように見える。すなわち佐幕−開国というくくりと、倒幕−尊皇−攘夷というくくりである。佐幕/倒幕は現政権の維持の可否をめぐる対立軸であるし、開国/鎖国は外交政策をめぐる対立軸である。尊皇・攘夷にいたっては政治上のマターというよりは本当にスローガンだ。これらはいくらでも組み合わせがありうるにもかかわらず、固定した結びつき以外のことを唱えたら裏切ったとか、立場を鮮明にしないずるいやつだとかレッテル貼られたり、場合によっては斬られたりしたのだろう。

 …とまあ、なぜこんなことをつらつらと書いたかというと、最近のイラクの情勢をみていて、ひょっとしたらイラクの人々の心情って、幕末の日本を下敷きにして見たらちょっとは整理できるのではないかと妄想し始めているので。(もちろん、そのまま説明できるとは思ってはいないよ。対立軸が見やすくなるんじゃないかな、と思ってるだけ。)

☆ ☆ ☆

 先月29日にイラク北部のティクリット付近で外務省の職員らが銃撃・殺害された事件に対し、日本人を狙ったテロ説・アメリカ人と間違ったというテロ説・単なる物取り(強盗)説等々といろいろ言われていたんだけれども、もっと簡単な説明が可能かもしれん、と思ったわけだ。それが、「とにかく外国人出て行け!」と思っている人たちによる行動、というもの。
 いや、まあ、根拠はない。ありうる可能性としてちょっと考えてみただけなんだけどね。

 長期にわたって権力を保持してきた勢力があって、それに対抗し打倒しようと目論んでいた勢力があった。江戸幕府に対しては佐幕派と倒幕派なわけだけれど、これを無理やりイラクに当てはめると佐サダム派と倒サダム派。(倒サダム派に分類される中にも、クルド系の民族主義的な主張から、単なる権力闘争で跳ね飛ばされた人たちまでいろいろいるだろうから、これはこれで乱暴な議論であることは承知の上。)
 で、幕末の時代にも佐幕派と倒幕派のそれぞれに諸外国勢力がいろいろ干渉してきてたわけだよな。兵器もそれぞれから買ってたりして。なんだろーな。たぶん、今イラクに充満している兵器ってイラク国内では作ってないんじゃないか? 以前は作ってたかも知れないけど、生産基盤がぼろぼろだろうから少なくとも今はどっからか入手してるんだろう。どんなにイラク国粋主義でも「外国製の武器なんぞ使わん!」とはならないで、性能がよくて安いのを使ってるんだろう。そのへん、幕末の日本もよく似た状況だったんだじゃないかな。なんだかんだ言ったって、長州征伐が失敗したのも新式銃を大量に購入して勝っちまったわけで、当初は尊王攘夷と叫んでたわりに不徹底でやんの。幕末の日本ではいろいろと諸外国の事情もあって、外国の軍隊が直接日本に攻め寄せては来なかったが、イラクの場合は合衆国が攻めていったわけだな。これに対し、倒サダム派は一応、喜んだんだろう。とりあえず表舞台からはサダムは消えたんだから。

 が、その後だ。倒した後の政権構想ってのが倒した側になかったんじゃないのか?
 日本の場合、倒幕勢力の中に、船中八策を初めとする政権構想を出すアイデアマンがいてた。たぶん坂本竜馬がいてなかったら倒幕後の日本は征夷大将軍が徳川から島津か毛利になっただけかも知れん。ま、とにかく、幕末時の内戦(と諸外国には見えたはずだ)の勝者側に当事者能力があったことと、それを敗北した側が基本的には是認し、さほど抵抗しなかった(というと会津藩の末裔の方や五陵郭で戦った人のファンに焼き討ちに合いそうだが)のが後の歴史にまともな結果を残した。

 さて、ここで考えてみよう。倒サダム派に、倒サダム後の政権構想があった/ある/今後ありうるのだろうか? そしてそれを背負えるだけの当事者能力があるんだろうか?
 そんなことを考え出すと、日本がイラクに手を出すべきか否かを考える道筋にこれまでテレビや新聞で騒がれているのとは違う側面が生まれると思うのだな。

 今後のイラクの政権は、諸外国(特に欧米諸国)とうまく連携してやっていくべきなんだろうか。そしてそのために民主化を大いに進めるべきなんだろうか。それとも周辺のアラブ諸国との連携を最重要と見なすべきなんだろうか。そして東隣のイランみたいな宗教主導の政権や、西隣のシリアみたいな軍部主導の政権、サウジアラビアみたいな王国ってな感じという選択肢もなくはない。それとも「イラクのことはイラクでやるわい!」と孤立無援でがんばるべきなんだろうか。
 イラクの民衆(というのがどの範囲の人を指すのか、というところ自体が問題なのかも知れないが)が、そのどれを望んでいるのか、実はぜんぜんよくわからんのだ。もちろんニュースで流れてくる情報とか、「イラク暫定なんたら評議会」に席を連ねるお歴々な方々はそれなりに欧米協調路線なんだろうけど、一般ピープルがどう思ってるの? ってのがわからない。

 もし、ね、イラク国民の大多数が(佐サダム・倒サダムに関係なく)攘夷論(外国人は出てけ!)に立ってたらどうすんのかね。で、イラク国内にまともな当事者能力を持つ集団があるのなら、全ての外国勢力の撤退という選択肢はありだ。と言うか、議論の出発点はここじゃないのかと思うんだが。
 仮にイラク国内に当事者能力を持つ勢力があるなら、そこの判断に任せる。
 イラク国内に当事者能力を持つ勢力がなく、イラク国民も諸外国の援助を望んでいるなら、せっせと援助をすればよい。
 イラク国内に当事者能力を持つ勢力がないにもかかわらず、イラク国民は「外国人は出て行け!」と望んでいるなら、初めて、「人道的介入」すべきかどうかで日本の国是をかけた議論が成立する。

 さて、どうなんだろう。

[Previous] : 2003/11/11 : 議席の力
[Next] : 2003/12/30 : イラクに公共投資を
[Theme index] : 国際
Site:Felix Logo
Updated : 2003/12/05