Location : Home > Contemporary Files > 2003 Title : Election |
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あ〜ぁ。また前回の更新から随分日が経っちゃったよ。何でだろうなぁ。ここ最近、ニュースに対する感受性が鈍っているような気がする。もちろん情報は毎日浴びるように受け取っているんだが、なかなか脳細胞を刺激するってなかなかないんだぁ。
さて。衆議院が解散されたらしい。でもどうして解散せにゃならんのか、私ぁ、いまいつつくらいわからない。それをあまり問題にされてないことも輪をかけてわからない。
そもそも内閣が衆議院を解散できるのは、衆議院が内閣を気に入らない時か、内閣が衆議院を気に入らない時だ。
前者は、日本国憲法第69条にあるように不信任案が可決されるか信任案が否決されるかしながら総辞職しない場合。いわゆる「69条解散」。で、前者は第7条(天皇の国事行為)にある、「内閣の助言と承認によ」る解散。
このいわゆる「7条解散」って憲法上正しいの? っていう説もあるらしい。69条解散のほうは、議会が「こんな頭(かしら)のもとでやってられっかい!」と啖呵を切った時に、「ああ、そうかい、辞めてやるよ!」とは言わずに「おめぇらがタコなんだよ!」と付き返すことで成立するので、ある意味わかりやすい。だけれども、7条にある衆議院の解散は、単に天皇の国事行為を定めただけの条文で、その発議が内閣の自発的(=不信任案の可決または信任案の否決というトリガーがなくても可能)な判断でできるものなのかは、憲法の条文だけを眺めていただけでは論理的には導き出せないぞ、ということだ。
憲法の条文−特に3権の関係にかかわる条文−が、まどろっこしいとか、「なんでそんな風になってんの?」とか言われるものがいくつかあるよね。よく耳にするのは、第50条の不逮捕特権の件だけど。こういうのって、平時には「なんだよ、それ」ってことになるんだけどね。たぶん、この手の条文は、民主主義の危機が迫ったときに効果を発揮するようにしてあるんだな。まあ、有無も言わさずいきなり武力で全土を制圧されて憲法停止なんてことになったらどうしようもないけど、あくまで「法の支配」に則って国を乗っ取るのであれば、この手の規定はある程度の歯止めになる。乗っ取りたい側にとって都合の悪い議員をいろいろと難癖をつけたり陥れたりして逮捕させ、議会に出れないようにする、というのをさせにくいようにすることができるからだ。
もし衆議院解散の法的根拠を厳密に69条に限る−言い換えれば、衆議院の解散は任期満了と内閣不信任案の可決(信任案の否決)との2つの場合に限定する−と、例えば会期中に国会議事堂に某国の旅客機が激突して議員の大半が欠けた場合(トム・クランシーの『日米開戦』の終わりと『合衆国崩壊』の冒頭の部分のような状況)の時に、とっても困る。ま、そんなことはめったにない−絶対にないと言い切れない時代になってるあたりが怖い−のだが、そういう事態にも対応できるようにってことなんだろうか。
いやあ、もちろんねぇ、選挙の争点は何か? ということを探せばいくらでも見つかるんだけど、野党側が内閣不信任案を提出して可決されたわけでもなく、与党側が具体的に何かについて「国民の信を問う」と宣言したわけでもなく、国民の怨嗟に満ちた不信の世論が押し寄せているわけでもなく、(背後のいろんな思惑はあるにせよ)、ただただ解散する「流れ」だけが喧伝されて、具体的な衆議院解散のトリガーとなるべき事象が見当たらないような気がするのだな。
つまり、争点があるから選挙を行うのではなくて、選挙をするから争点を探している、みたいな気がして、それって逆じゃないのかと思ってるわけ。
新聞とかの報道を見てても、解散が既定事実であったかのように書かれていて釈然としないんだけど、こんなことを感じているのは私だけなんでしょうかね。
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Updated : 2003/10/10
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