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Title : Arrest!
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Contemporary Files #20030710
「犯人」探し
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 今朝のニュースや新聞報道では、長崎で起こった、4歳の男の子を連れ去り、裸にして駐車場から落として殺害した容疑者が12歳の少年であった事件の話題で持ちきりだ。で、たいてい、このような事件が起こると、いつも犯行に至らしめた社会や教育や育てられ方が原因だ、などと取りざたされるのだが、私個人はそれを原因とすることには賛成しかねる。少なくとも主原因ではないと考える。あくまで、その少年については成立することなのかもしれないけれど、同じような状況に置かれた少年の圧倒的大多数が犯行に及んでいないという事実が説明できないからだ。

 新聞(ちなみに今見ているのは日経新聞)を見ていると、識者の意見として、「生きることの意味や楽しさを地域や教育現場で、社会そのものがメッセージを伝えていかねばらない」とか、「直接的な動機のほか、生育歴や家族関係など背景の解明が、少年犯罪の再発防止の重要なカギとなる」と掲げられてたのだけれども、「で?」と言いたくなってきた。

 まず、「生きることの意味や楽しさを社会が伝えていかねばらない」という意見だけれども、この意見に真っ向から反対はしにくいんだけれど−おそらく誰もが賛成する考え方なのだけれど−、まぎれもなくその社会の一員である自分自身は何をすべきかってことについての示唆がないので、さほど建設的な意見ではないんだ。「社会」というものが自発的に「行動」をとることは絶対にありえなくて、その構成員である一般ピープルがそれぞれどのような振る舞いをするかにかかっているのだから、「だから(少なくとも)私はこうする」っていう意見表明が欲しいよなぁと思う。
 私(Felix)自身は、生きることの意味をわかったとは言わないけれど、生きることを十分楽しいと思っているので、それを、必要に応じて、自分が直接かかわることができる人に対して伝えることはできる。けれど、普段の私がどんな言動をして、どういう人柄で、これまでどういう人生を歩んできて、今どういう生活をしていて、これからどうしようとしているかを知っている人にのみ、私の、「生きるってすばらしいよね」的発言は効果を持つと思ってる。それ以外の人にとっては、いきなり見ず知らずの人に「人生ってすばらしいですよね」って話しかけられても、駅前でぼーっと座ってたら「あなたのために祈らせてください」と言われたときの振る舞いのようになるのがオチだろう。よほど特殊な人を除いて、自分の影響力ってのは自分が接する範囲にしか働かない。んなふうに考える私にとっては、実は「社会」を主語にした文章って、実は内実はないと思ってるわけね。繰り返すよ。「社会」は人間じゃないんだから、自発的な意思を持って何かの行動にでることはないんだ。その構成員が何を選択し、どういう行動を採る人が多数を占めるかで、その趨勢が決定される。「社会が伝えていかねばらない」って言われて、ふんふん、とうなづいた人は、それが具体的に−要するに、「じゃあ、私は今からどういう行動にでればそれに適うことになるのかが明らかにわかる」ということ−どういうことか、考えてみてほしい。

 それから、「生育歴や家族関係など背景の解明が、少年犯罪の再発防止の重要なカギとなる」という発想には、ある種の危険さを感じる。ある少年が犯罪にいたった経緯や成育歴、家族関係を知って、それを「再発防止」に生かすとはどういうことなのだろうか。犯罪捜査で、事件現場などから犯人の特性を推理するプロファイリングというのが行われることがあるみたいだけれど、そういうことを意味してるのだろうか。ある事件の容疑者が犯罪にいたった経緯を明らかにするのは、事件の解明という意味からはまっとうな作業だ。
 んで、例えば少年犯罪の犯人・容疑者をプロファイリングをして、ある特性が見られたとする。そうだな、いかにも一般大衆に受け入れられそうな原因として、「親の愛情が少なかった」というのが挙げられたとしようか。じゃあ、その結論を「再発防止」のために使おうとすると、どうなる? 「親の愛情が少なかった」少年を、少年犯罪にいたる危険ありと推定して保護観察するなんてことにしか使えないんじゃないか? 「親の愛情が少なかった」少年なんていくらでもいるだろうし、でも、それがバネとなって人一倍愛情の濃い人に成長した人も数多くいるだろう。もちろん一方で悪の道に突き進んだ人もいるだろう。では、「親の愛情が少なかった」かどうかを、どの時点でどうやって確認するのだろう? 学校の面談とかで判断するのか? 結局、何か問題が起こってから、原因を追究してしていったら「親の愛情が少なかった」とかなんとか原因を見つけ出してくるのがオチじゃないのか?
 私は親になったことをがないし、人を育てたこともないので、まあ、この手の発言にどれだけ説得力を持つのかアヤシイ面はあるが、何も犯罪に至った人物の人物像を知ってそうならないための教育をしようなどとはこれっぽっちも思わない。それってゆがんでるような気がする。マイナスの情報を把握してそれを否定するような教育がプラスの価値を生むんだろうかね。素直に、「いいもの」にいっぱい触れさせてあげるようにしたいよ、自分の子どもには。

 「生育歴や家族関係など背景の解明が、少年犯罪の再発防止の重要なカギとなる」と思う人は、それをどうやって自分の子どもの教育に適用するのかを答えて欲しいね。

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Updated : 2003/07/10