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Title : "We have N-Bombs."
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Contemporary Files #20030428
核兵器を持つということ
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 朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)が核兵器の保有を宣言した。まず、これが事実であるとしよう。ならば、周辺諸国はどう対処すべきか。まさか多国籍軍を構成して空爆、ということにはなるまい。もしそうなら、インドやパキスタンにも空爆しなければならない。

 私はこのサイトの中で繰り返してきたが、核兵器の恐怖とは、その破壊力そのものというよりは、核兵器を持つ者への不信である、と言える。実際、日本に住む人の多くが、合衆国や英仏の核兵器が自分にむけて飛んでくる、などとは考えていないだろう。ではロシアや中国の核兵器はどうだろうか。まあ、飛んでこないとは思うが、米英仏のものよりもほんの少し自信がなくなってはいないだろうか。じゃあ、インドとパキスタンはどうだろう。もちろん、インド・パキスタンから日本まではミサイルでは届かないという事情はあるんですが、「大丈夫!」と言い切れる自信は中露より少ないのではないか? ではDPRKが本当に持っていたとしたら、「日本は大丈夫だよ」と言い切れる自信はどの程度だろうか。いや、別に私は読者に私の意見への同調を要求しているのではなくて、読者自身の尺度ではどうなのかを考えてもらいたいのだが、おおよそ

米・英・仏 > 露・中 > インド・パキスタン > DPRK

 というような順序にはあまり変化がないのでは? と思うのだ。そしてそれは、読者自身の、これらの国に対する信頼度(の順序)の表明である。

 ところが、だからといって、それはDPRKに(本当に持っていたとして)核兵器を廃棄することを要求する理由にはならない。なぜって? 簡単だ。別にあなたが脅威に思ったからと言って、それを彼の国がそれを慮る筋合いなんてないんだから。それよりも、核兵器を持つと周辺諸国の緊張度が高まって脅威となるか廃棄せよ、というロジックはおそらく核兵器を持つ国(持とうとする国)には通用しない。核兵器を持つ(持ちたがる)のは、持たないと自国が脅威にさらされると思っているからだ。どうも、ヒロシマ・ナガサキ以降、核兵器は「攻める」ための兵器ではなくなったように思う。「核抑止力」の信奉者が、自国を「守る」ために手にしようとする兵器。誰も使うつもりがない、持つことに意義がある兵器。なぜそう言えるのかと言えば、現に手にしたものが即座に使っていないっていう事実が物語っている。核の破壊力は他国を攻撃する分には申し分はないだろう。でも使わない。おそらくこれから先も長期間にわたって使われないだろう。

 私は、『沈黙の艦隊』で海江田が言っていた、“今度核兵器が使われる危険が高まるのは人類が本気で核兵器を捨てようとしたときだ”という見解に基本的に同意する。

 逆に、核兵器の保有が事実でないとしよう。それならばこれは実に巧妙な作戦だ。「本当に持っているなら見せてみろ」と言われたら「じゃあ撃つぞ」と言えばいい。査察を、と言ったところで先般、IAEA(国際原子力機関)の査察官を追い出したところで、査察に入る時期とか方法とかを協議するとことから始まることになる。とするとまた時間が稼げる。そのうちに(本気なら)開発する余地が生まれる。
 それに、現実に核を持った国に対してはそれなりの対処をしなければならない。現に持っているのだから「けしからん」では事態が変わらないので、持っているなら持っているなりの、厳格な管理体制を確保してもらわねば非常にやっかいなことになる。…ということを確立するための援助をよこせという言い分が通用する。

 DPRKの本意は今のところわからない。…が、奥底に、DPRK自身が抱いている(特に体制崩壊の)恐怖があるように思う。それが取り除かれない限り、前向きな展開を、受け入れないだろう。

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Updated : 2003/04/28