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Title : Complimentary for "How can we defend?"
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Contemporary Files #20030313
「武器なき民衆の抵抗」への補遺
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 前回のような文章を書くと、たいてい、戦争に賛成していると受け止められてしまうらしいけれど、それは本意ではないので補足というか要約というか補遺というか、そういうものを書いておく。

【原則1】ダブルスタンダードは採用しない

 つまり、「あのときはこうだったけど、このときはこう」とか、「自分についてだけはこう」とかいうのはおかしいんじゃないか? ということ。であれば、今、合衆国が9.11テロへの報復として行っている/行おうとしている一連の軍事活動を「報復しても苦しむ人が増えるだけで根本的な解決にはならない」と阻止するのであれば、仮に日本に攻撃がなされても同じ論理が作動してしかるべきである。
 逆に、日本に何かあった時に報復する(とは言わないまでも、それなりの軍事行動をとる)つもりなのであれば、より卑近に言えば「自分のところがやられたらやり返す」と言うのであれば、他者がそうするのを止める道理は成り立たない。…とすれば、基本的にはこのどちらかを選択することになるはずなのだが、いろんな掲示板とか見てると、イラク攻撃には反対するのにもしテポドンが日本に落とされたら黙ってないというような意味のことを人がいてて、それって矛盾だろー、と思うってことだ。

【原則2】非暴力を貫くには他人の暴力で自分を守ることを前提にしてはならない

 「対話で解決を」「非暴力で」という言葉を使う人が、例えばガンジーの『私の非暴力』とかをきちんと読んでるのかどうかよくわかんないけど、どうも、読んでなさそうだ。もし日本に何かあったら米軍になんとかしてもらえばいいという言い方をする人がいるけど、それは少なくともガンジーの言う意味での「非暴力」に反することが認識されていないような気がする。あくまで暴力を振るう相手の良心の呵責による改悛を促すのが基本戦略なのだから。それを自分さえ暴力を振舞わなければいいと思っているなら、「非暴力」を十分に履き違えている。

ならば、どのような「防衛戦略」が可能になるかを徹底して考えなければならない

 上記2項目が了承され、かつ、日本を守る意味があるとみなすのなら、じゃあ、どうやって日本を守るんだということを真剣に考えなければならないはずだ。なのに、そういう議論が起こってないのはおかしいね、ということ。
 私は Contemporary Files での表現はともかく考え続けているよ。けっこうリアリスティックな思考をする私よりも、純粋に理想に燃えて「非暴力」を唱える人たちはもっと考えてくれてるんだろうねぇ、といういやみもちょっと入ってるけど。

 というわけで、前回の解説は終了!!

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Updated : 2003/03/13