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Title : Outerspace will drive out democracy
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Contemporary Files #20030203
宇宙には全体主義がよく似合う
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 よくSFとか未来ものの話では、いつの間にか人類が増えすぎた人口を宇宙空間や地球以外の惑星・衛星に住ませていたりする。それは基本的には「明るい未来」として描かれている。つまり先進的な人々から順に宇宙に飛び立っていくというような設定だ。けれども私は、もしそのような時代が来たとしたら、一部のSF作品であるように地球に住めるのはエリートで、その他の人間は圧倒的な権力差をもって明示的に支配される側の存在が宇宙空間に住むことになるのだろうと思う。

 話は単純、宇宙空間は人類の住める場所ではないからだ。そこへ人類を住めるようにするためには、何よりも空気の確保が必要だ。そのためには何よりも居住空間の気密性は絶対的に確保されなければならない。次に(太陽系内でうろちょろするとして)、太陽からの強い宇宙線をまともに浴びないことが必要だ。のんきに日光浴なんてしていられない。だから居住空間でそれを乱したり破壊したりするような存在は断固として排除されなければならない。たった一人の身勝手な(無謀な)行動によって、そこに住む全ての人を抹殺してしまうからだ。宇宙空間では空気を汚染するような行為は断固として許されるべきでないので喫煙の自由などない。
 もし居住地域に緊急事態が発生、気密が保たれなくなり、ある居住ブロックを閉鎖・分離しなければならなくなったときには、そこに住人が生きたまま残っていようと、制限時間内に安全地域に移動できなければ隔壁を閉じるべきだし、そのことについて(反感をいだくのは別として)異論を唱えることは事実上許されない。そうしないと残りのブロックまで空気がなくなり、全滅してしまうからだ。壁ひとつ向こうは「死の世界」なのだから、緊急時にはのんきに相談して「民主的」に決定してなどいられない。誰かが責任をもって決断し、実行するしかないのだ。
 いま、「ないのだ」と言い切ってしまったけれど、他の選択肢もあるだろう。私ならそのような場所でそのような事態の時には、「一人を救う」ことよりも「一人でも多くの人を救う」ことを優先する。多くの人の安全を確保した後で、その残りを救うことを考える。「一人を救うこと」を実践するために残り全員を危険にさらすのは、そののこり全員がそのことに同意した場合のみだ。「がんばったけどだめでした」では済まされないからだ。「だめでした」というのは全員がだめになることを意味するからだ。

 「でも、それは非常時の場合だろ?」という人もいるだろう。
 確かにそうだ…とは言い切れない。先に述べたように、そもそも宇宙空間は裸の人間が生きていける場所ではない。だから、常にその居住空間の環境を維持管理する必要がある。これが地球上なら、ちょっと設定に失敗しても、「ちょっと寒いんだけど」「外に出たほうが涼しい」なんてことが言えるが、宇宙空間ではそれは致命的なことになりかねない。その環境を維持管理している者(またはその人に命令を与える人)に、生殺与奪の権限を握られていることを意味する。ボタンひとつで大量破壊兵器を使わずに、居住区全体の人間を殺すことができるのだ。そして、その居住区だけですべての食糧やエネルギーが自給できるとも思えないのでどうしても外部との接触を余儀なくされる。つまり、その居住区の中の人間は、周囲を「死の空間」に囲まれた有限な閉鎖空間に生きているがゆえに、生殺与奪を他人に握られてしまうのだ。
 それゆえに、宇宙空間に生きる者同士は、互いの生存のために互いの行動を規定する厳しいルールに従う必要がある。そしてそれに合意できない者はそこに居住することは許されない。そんな人間がいては危険なのだ。こうして宇宙における居住空間では、これまで一度も存立することのなかった、純粋に「社会契約論」に基づいた社会が構築されることになろう。そして、おそらくJ.J.ルソーが望んだであろう世界が現出する。

 ルソーは『社会契約論』の中でこんなことを言っている。

「彼らが国家にささげた生命そのものも、国家によってたえず保護される。そして、彼らが国家を守るために生命をかける場合、彼らは国家からもらったものを国家に返すにすぎないのではないか?」
「市民は法によって危険に身をさらすことを求められたとき、その危険について云々することはできない。そして統治者が市民に向かって『お前の死ぬことが国家の役に立つのだ』というとき、市民は死なねばならぬ。」

 この「国家」を適当に読み替えてもらったら、私が前述したことの意味がわかってもらえるだろう。ルソーの主張は(全部ではないが)結構全体主義的な要素を含んでいる。

 先日、スペースシャトルのコロンビア号が着陸直前で大破した。それでも人類は宇宙に行くことをやめないだろう。でも、一度、きちんと考えてみるべきではないのか? 本当にそうまでして人類は宇宙に行かねばならないのか? 行って何をするのか? と。


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Updated : 2003/02/03