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Title : Who can take nuke?
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Contemporary Files #20030113
凶器を持っていい人
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 高校の同級生で居合抜きを習っているというシブイ奴がいた。

 そういえば、浄瑠璃の謡を習っているヤツもいたな。

 そいつの説明によると居合い抜きというのは、剣道みたいに刀で切りあう(?)のではなく、型を決めることでその技のスゴさを競うものらしい。そういえば空手にも相手とやりあう組み手のほかに型を競うものがあったと思うが、それみたいなものだと思えばあたらずとも遠からずらしい。で、そいつはそれを習いに行くときは、学校に愛用の(?)刀を持ってきていた。持たせてもらったことはあるが、これが結構重いのだ。実は真剣らしい。時代劇でチャンバラで刀を軽々と振りまわしているが、あんなのは嘘っぱちだ。日本刀っていうのは、上段から振り下ろして相手の胴体を肩口からばっさりやるのに適しているとそのとき直感した。
 で、真剣なんて見る機会がないので見せてくれと頼んだが、だめだ、と言う。これはもったいぶっているのではない。別に封印をしているわけではないのだが、それなりの袋(本当は何か呼び方はあるんだろうが、聞いてないのでしらない)に入っていて、自宅と道場以外の場所でこれをはずして刃を見せるというのは、一言で言えば銃刀法違反になるらしい。だってねぇ、刀だもんね。もともとは殺人の道具であるものを往来で(振り回さなくても)出してるだけで危険って言えば危険だもんな。
 逆に言えば、そういうことを守ることを条件に保有を許されているわけだ。

 日本では銃規制を行っているから、普通の人は拳銃を持っていない。もちろん猟銃携帯許可をもらって保有することは可能だが、これだっていきなり往来でケースから出したらそれだけで捕まえられるんじゃないかな。(銃刀法の条文を確認したわけでじゃないので。誰か教えてくれい。)
 普通の家でも凶器だらけの場所がある。台所(厨房)だ。誰が食事を作っていたとしても、その人がいきなり包丁を振り回して自分を刺しにこないと思ってるから、監視したりしてないだろう、あなたも。
 街中にも凶器だらけの場所がある。病院(医院)だ。刃物も薬物もある。そこでは人の体に金属の突起物を突き刺して薬物を注入することが許されている(ただしこれはふつう「注射」と言うがね)。人を眠らせて体を切り刻んでもよい(これは「手術」と呼ばれる)。けど、まあ、これは限定された場所と条件のもとだ。本人または家族の同意もなく、往来でメスを振り回したらさすがに刑法に抵触するんじゃないかな。
 おおっぴらに拳銃を持ったり撃ったりすることを許されているのは、日本では警官だけだろう。で、基本的には、拳銃を持っているからという理由で警官に近づいたからと言って撃たれるとは思ってない。

 まあ、ひょっとしたら「ヤから始まる3文字の自由業」の方も懐にドスとかチャカを忍ばしているのかも知れないけど、カタギの衆を巻き添えにしないという仁義が守られているうちは、そう簡単には刺されたり撃たれたりはしない(はずだ。)

 では、どうして私たちはあちこちに殺傷能力を持つものが存在し、それを扱う人がいてる社会で平然と生活できるんだろう。「それを使う人がむやみな使い方をしない」という暗黙の了解があるからだ。積極的なものではないにせよ(ルーマンの言う「縮退」の結果であったとしても)そこには、「ヤバイものを扱う人はそれがヤバイと認識し、きちんと扱っているものだ」という「信頼」(仮定かも知れないし、思い込みかも知れないが)があるからだ。
 つまり、この手の恐怖の本質は、ヤバイものそのものの所有ではない。ヤバイものをヤバイ奴が所有すること、だ。

 今、イラクと北朝鮮に対する大量破壊兵器開発疑惑が向けられている。もちろん情報戦略に乗せられている危険性も十分(どころか万分も億分も)あるが、世界の反応の背後にある感覚は、ヤバイものをヤバイ奴がもったらヤバイということに尽きると思う。
 まあ、イラクと北朝鮮を「ヤバイ」と決めているのはアメリカだけどね。

 ん? 違う? じゃあ、あなたは、米軍の核兵器をなぜ恐れない?
 単にヤバイものを持っているというだけでヤバイんだったら、取り上げなきゃ。そう思ってない、または思っててもそのための行動をしてないなら、口でどう主張しようと、心の奥底では結局米軍を信頼してるんだって。
 ああ、ただし例外があるな。その手の危機に対する感覚が鈍感で、「自分の周りにそんなこと起こるはずがない」と思い込んでいる場合、だ。

 あらかじめ注釈しておくけど、「ヤバイもの」を扱うには、それがヤバイものだときちんと認識して、それなりの扱い方で処理してもらわないと、その周囲のものが困るわけだ。「困る」ですまないで滅んでしまうかも知れないんだから。そして、その扱い方をわきまえている(と周囲が「信頼」する)人または集団が扱っている限りにおいて、ギリギリ所有と利用を黙認できるわけだ。(原子力発電所に反対する立場の論理もそこにある。そもそもそういう制御が完璧にできっこないぞという、信頼の欠如だ。それはいいか悪いかじゃなくて、科学技術とかそれを扱う集団の操作技術の水準とか意識とかをどう評価するかってことにかかっている。)
 それができないのに扱おうとする輩が「ヤバイ奴」になるわけだ。もちろん、誰が誰をどういう理由で「ヤバイ奴」と認定するかは、思いっきり恣意的なものだけれどもね。イラクや北朝鮮がその本質において「ヤバイ奴」だとここで主張したいのではない。ただし合衆国を中心とする勢力はそう認定してるってこと、そしてその行動原理はヤバイものをヤバイ奴がもったらヤバイという認識に立ってるということを言いたいわけだな。

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Updated : 2003/01/13