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Title : The Seasons of Terror (2) / Life Boat
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Contemporary Files #20021020
テロの季節(2)/「救命ボート」
/ BBSへGo! /

 今週は実にいろんなことが起こった。
 ロシアでチェチェン独立を願う集団がモスクワの劇場を占拠し、観客を人質にした事件があったし、このところワシントン近郊の人々を恐怖に陥れていた、連続狙撃犯−当地では Washington Sniper と呼ばれているようだが−の逮捕、日本では民主党の石井紘基議員の刺殺事件があった。
 最初にそれぞれのニュースを耳にした時にはテロの大規模な連携かとも思った。しかしその後の報道によると Washington Sniper は行きずりの連続殺人、石井議員刺殺は(政治的)暗殺ではなく怨恨によるものという性質のものであるようで、必ずしも「テロ」と言いきれない部分もある。だから十把一からげに論じるのは妥当ではないのかも知れない。もし、これらの事件に共通点があるとしたら、被害者側には、被害に遭う納得できる理由−というのも変だが−がないにも関わらず、突然事件に巻き込まれたと思っているが、犯人側はみんな当事者だと見ているという点ではないかと思う。

 つまり、襲われた側に「思い当たるフシ」というのがなく、一方的に被害者にさせられたということだ。ところが襲った側には、それなりの―それがどんなに主観的で他者と共有できないものであったとしても―襲う必然性がある。もちろん「太陽がまぶしかったら殺した」わけではなかろう。
 9.11テロ以降、いろんなテロで犯行声明を出さないものだから、その意図がわからなくなってしまっている。ただぼんやりとした不安が世界に充ちている。誰が「当事者」であり、「関係ない者」とは誰かがわからなくなってしまっているからだ。「オレは関係ない」という言い分が通らない可能性があるということ、つまり、一方的に「お前は当事者だ」と言われて狙われる危険が満ちているのが現代の世界なのだ。それはそれで理不尽なことではあるが、襲う側からすれば、そうせざるを得ない状況こそが理不尽なのだとでも言いたいのではないかという気が、最近していきている。

 結局、ぼくら先進国の住人ってのは、「救命ボート」に先に乗ってしまった連中で、自覚があろうがなかろうが、乗れなかった人から見れば、「お前らなんて乗せてやんねぇよ」よ言ってるように見えてしまうんじゃないかってね。


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Updated : 2002/10/28