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Title : Legislation to deal with emergencies (5) / Can you do it?
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Contemporary Files #20020701
徹底的に本気で考えたらどうなるのか
/ BBSへGo! /

 Contemporary Files #20020528:「守るべきもの(2)」で、こんなことを書いた。

緊急事態においては「一人一人を救うこと」よりも「一人でも多く救うこと」を優先せざるを得ないと考えていること。そしてそのためには、人権や人間の尊厳の確保よりも人命の救助が優先する。

 さて、これが残酷と思った人は次のような場合を考えてみよう。
 あなたは医師で、緊急病院に勤めているとする。何日かに一度は当直で、救急車で運ばれてくる患者の対応をすることになっている。実際には初期処置は救急車の中で行い、実際の治療は担当の専門医が行うので、とりあえずは患者を受け入れ、確認し、必要な処置ができる場所へと誘導することが当直時の業務であるとする。
 そんなあなたが当直の日、よりによって病院の近くで大事故が発生、多数の重傷者が同時に運ばれてきた。手のあいている医師はもちろん、連絡のつくすべての医師に呼び出しがかかり、総動員体制となったが、当直で受け入れ担当をしているあなたは、患者の治療優先順位を決める役目をするよう要請された。ではあなたはどのような患者から治療をするよう指示を出すだろうか。専門的にはこれをトリアージ(triage)と言う。
 命に別状のない怪我の患者は応急措置だけ施して後回ししてもよいというのはあまり異論はないだろう。けれども最優先で治療すべきは最も重態な(容態が危機的な)患者だろうか? 現実の答えはNoだ。利用できる医療資源が限られていて、それでも人を救わねばならない場合、まずは一人でも多くの人を助けるという原則が働く。もう手の施しようのない患者は、そのまま「見送る」のだ。そしてまだ助かる見こみのある患者を治療していく。無駄だから見殺しにするのではない。1人を助けるのに時間をかけすぎることは、その時間で救えたはずの患者を見捨てることになるという認識に立っているわけだ。
 もちろん違う考えも成り立つ。「とにかく運ばれてきた目の前の一人を救う」という方針も可能だ。が、それは最終的に救える患者の数を低減させる−ということはそれだけの人が死ぬ−危険をはらんでいる。
 まあ、実際にはそんな場面は戦場や大規模な事故・自然災害の現場でしか起こり得ないではあろうが。

 話替わって。
 最近、難民の扱いについていろいろと問題になっている。アフガニスタンの難民を受け入れよとか中国の日本大使館への駆け込みへの対処がなってないとか。日本はどの国とも陸続きで国境を接していないためもあってか、なかなか入国を認めない。それを厳しく指摘することも為されている。そしてその指摘は正しい。
 しかしその反面、こういうことも思ったりするのだ。
 実はその論理は難民が少数である場合にだけ成立するのではないか、と。数家族だったら、支援を受けながらも日本のどこかで生活をしていくことも可能だろう。では、その数が一挙に10,000人とか、100,000人だったらどうするのか。「人道的」に受け入れるのか。そもそもそれだけの人数を一挙に受け入れる施設なり体制なりがない以上、食事や熱場所も十分に与えることが出来ないだろう。そして長期的には彼らを(母国への送還も第3国への移送もしないのなら)日本社会へ定着させることが−衣食住の場所だけでなく仕事や地域社会との文化的摩擦の調停なども−必要だろう。その余裕が日本社会(「政府」とか「国」じゃないよ)にあるのだろうか。
 それとも「難民施設への収容人員は○○までなので」と、定員オーバーになったらそれ以降の難民は見捨てて強制送還するのだろうか。

 さて、次に、あなたが乗っていた船が沈没し、救命ボートに乗ったとしよう。あなたを含め、今のところなんとか余裕はある。仮に10人乗りのボートとして7人既に乗っているとしよう。当然あと3人乗れるわけだが、しばらく漂流していると「ボートに乗せてくれ!」と20名ほどが近づいてくる。さて、あなたはどうするか。全員を乗せたらボートは沈む。では3人だけ乗せるのか。そうだとしてどの3人を乗せるのか。逆に誰も乗せないのか。
 これは倫理学の世界では有名な「救命ボート問題」という問題であるが、あなたはどう考えるだろうか。
 「そんな状況、私には関係ない」と言うのだろうか。いやいや、そんなことはない。もしあなたが「地球にやさしい行動をしたい」と思っているなら、さっさと先進国の生活をやめ、開発途上国で移住すべきである。一次エネルギーの消費量で言えば、日本人1人が一年間に使う量はアフリカの人9人分の量だ。二酸化炭素の輩出量だと8人分。じゃあ、アフリカの国々が日本なみのエネルギー消費をすることもCOを排出する事も、「地球環境を守るため」と、先進国側は認めたがらないだろうし、先進国の国民も現在のエネルギー消費水準を急激に低下させるつもりなんてさらさらないだろう。それは「救命ボート」に近寄ってくる人に「みんな乗ったら全員が助からないじゃないか、あっち行け!」と言ってることと大差はない。

 美しい理念を掲げる場合、それが内包する倫理的矛盾(論理的ではないぞ)をどう乗り越え、決断して実行可能な手段を提案できるかが重要なキーになるはずだ。理想主義を掲げ、その実現を真に望むなら、徹底した現実主義的な思考が必要だと私は思うのだが。


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Updated : 2002/07/01