Location : Home > Contemporary Files > 2002 Title : The Seasons of Terror (3) / Playing Old Maid |
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実は11月の初頭の連休の最後の方でちょっと雨に打たれたこともあって、風邪をひいてしまっい、久しぶりに有給休暇をとって会社を休んでしまった。動けないこともなかったが、頭が−痛いというわけではないのだが−ぼんやりして、出社しても脳細胞が活躍しそうになかったので。それでも昼過ぎには、身体が少々だるいのを除けば、なんとかマシになった。
そんなこんなで、起き出して、先週録画したままの番組をいくつか見ていた。その中の1つが、今、ハリウッドでリメイクされて全米で大ヒット中の『リング』の日本版(というか早い話がオリジナルの映画)だった。
ホラーというか、心理的スリラーものなので、昼間のうちに見ることにした。ははは。自慢じゃないが、わたしゃ臆病なのだよ。(確かに自慢じゃないな。)
まあ、何年も前の映画だからストーリーをここで書いても問題ないだろう。
最初は高校生の噂話から始まる。ある奇妙なビデオがあって、それを見た者は、見た日からきっかり7日後に原因不明の死を迎えるというものだ。その噂を取材していた記者(女性)もそのビデオを見ることになる。まあ、最初は、昔はやった「口避け女」とかの都市伝説の一種だとたかをくくってたわけだけれども、実は最近亡くなった自分の姪もそのビデオを見ていたことを知り、恐ろしくなり、次の日にそのビデオをダビングして元夫(しかもちょっと霊能力者)に見せ、その謎の解明に取り組むという話だ。
いろいろと紆余曲折があって、40年前に伊豆で殺された女性の怨念が原因であったと突き止め、その死体が投げ込まれていた井戸を発見、遺体も見つけて、その記者は7日経っても死なず、一件落着かと思いきや、次の日にその元夫は変死してしまう。その記者は自分がやって、元夫がやっていないことを必死に考える。実は原因を突き止めている7日の間に、2人の間の子どももそのビデオを見てしまったからだ。子どもを救いたい一心で必死に考えた。そして思いついたのだ。自分がやって、元夫がやっていないこと、それは「その呪いのビデオをダビングして他人に見せること」だ。そして自分の子どもを救うために、他の人に見せに行く…というところで映画は終わる。
このストーリーの恐さであり、後味の悪さは「自分が助かる(自分に振りかかった呪いを払う)ためには、他人を巻き込む(呪いをそちらに向ける)こと」という、死の「ババ抜き」というオチにある。
どうも、昨今の合衆国の行動の後味の悪さはこれと同根のような気がしてならない。
「テロとの戦争」においては、「敵」はどこにいるのかわからず、状況に応じていつでも名指しされる。ブッシュはウサマを「テロリスト」と名指しするし、シャロンはアラファトを名指しする。それだけじゃない。なんだかわけのわからない、無差別的殺人はすべて「テロリスト」の仕業にされてしまう。いや、そもそもどこかの国(ただし合衆国の友好国に限る、とすべきだ)の体制に武力で歯向かう人物や組織は全て「テロリスト」「テロ集団」とされてしまいそうだ。
合衆国は、恐怖(terror)の体現者としての「テロリスト terrorist」を名指しし、排除することで迫り来る恐怖から逃れようとしている。
…それで、まつわりついた呪いは解けたのか?
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Updated : 2002/11/07
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