Location : Home > Contemporary Files > 2001 Title : Violence of mass |
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7月21日の午後8時40分ごろ、兵庫県明石市のJR朝霧駅近くの歩道橋で花火見物に来ていた観客が将棋倒しになり、子どもやお年寄り10名が亡くなり、100名以上が負傷した。
一部には、金髪の集団が「花火が見えない」と叫び、歩道橋で暴れて人を倒したという報道もあるが、本質的に許容量を超えた人数が歩道橋に入ってしまったことによって起きた事故(もし上記の集団が引き起こしたのがきっかけなら「事件」として扱われるべきだが)だといえる。
以前、このコーナーの「監督責任」でも書いたが、こういうとき、マスコミは誰の責任かを問いたがる。数万人規模というのはなかなかないだろうが、イベントの主催者になったことがある人なら、この手の事故の責任を主催者側に問われるというのが酷だと思うのではないだろうか。と言うのは、イベントを主催するときは、その開催場所における人の出入りを考え、出来得る限り動線が交錯しないように通路や出入り口を制限したりロープなどで柵を準備したりするものだ。ホールなどで出入り口にドアマンを配置したりするのもそのため。
野外でのイベントの場合でも、観客の属するエリアをあらかじめ区切っておいて、そのエリア順に出るように(業界的には「ハケる」ように)誘導する。
まずは警備する側がどこまでその配慮・行動をしたのか、それが問われるべきだ。
けれども、「次はCブロックの方、駅の方へ向かってください」と言ったとして、全員がそのように行動するとお思いか? 押し寄せる人間の波など、少数の警備員では制御不可能だ。それこそ暴徒鎮圧用の放水車でも導入しない限り群衆の行動を止めることなどできない。観客はそう簡単には主催者の思う通りに動いてくれない。原因を主催者(この場合明石市)にのみ負わせるのは酷だと思う。
双方向の通路を確保したり、誘導員の数を増やすなどの方策はあるにはあるが、その指示に観客が整然と従わない限りは、同じような悲劇は何度でも起こるだろう。
【補足】2001.08.06
いやあ、その後の報道を見てると、実に主催者側の準備が杜撰。おいおい、お前ら主催する側の責任とかどういうふうに考えてんだ、って言いたくなる。
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Updated : 2001/07/23
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