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Title : Supervisor's responsibility
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Contemporary Files #20010204
監督責任
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 さて、今週、新聞やテレビをにぎわせていたのは、JR新大久保駅で、泥酔して線路に落ちた人を助けようと降りた2人までもが列車にはねられて、3人とも亡くなった事故と、日航機どうしのニア・ミスである。で、だいたい、こういう事故が起こると、事故原因の究明って話になるんだけど、それが、なぜだか、監督責任に話がすりかえられてしまうことが多い。

 いま、「話がすりかえられてしまう」と書いたけど、それは事故の第1の責任はやはり当事者にあると私は考えているからだ。もちろん、事故の当事者に事故を誘発しかねない状況を作らないことや、そういう人がその場所に来ても事故は起きないようにしておくというしくみも重要なのはわかっている。それでも、ミスを犯した本人に、最初の責任がある。
 例えば、新大久保駅での事故だけども、(こういうことを書くと顰蹙なのだろうけど)酔っ払って何らかの事故に遭うのは、その現場の環境を維持する者の責任よりも、まずは、その人の責任ではないのか。普通の人が普通の状態にしてたら事故にならない場所で、自分の行動の結果として意識が朦朧となって起こした状況って、やっぱり、一番の責任はその人にあると思うんだけど(酔っ払ってたら責任を問われないなら、飲酒運転を取り締まっちゃいけない)。仮に線路に人が落ちたことを認識する落下感知装置があり、きちんと作動したところで、ほんの数m先に転落されたら、列車の運転手がいくら急ブレーキをかけたところで間に合わない。
 もし本気で駅の側で安全対策を講じるなら、ホームに柵(または壁)を作り、列車が入ってドアが開くまで列車に近づけないようにする(ちょうど新幹線のいくつかの駅でしているような設備にする)ことだ。これを全ての駅に設置するのはどう考えても現実的ではない。根本的な解決は、柵を作ることではなくて、泥酔者をホームに行かせないことだ。アブナイと駅員が判断した(もしくは他の乗客によって通報された)人を拘束する権限を駅員に与えることだ。こんなこと書くと「酔っ払いは列車に乗るなって言うのか」と言われそうだが、答えはYES。公共の空間で人に迷惑をかけたり不快感を与えるのは、(軽いとは言え)十分に犯罪である。
 もちろん、事故の再発防止のためには各電鉄会社には安全対策を強化して欲しいが、まず第1に、乗客の側が酔っ払って乗らないことである。

 航空機のニアミスのほうでは、航空管制官の激務が取り上げられているが、それでも、(これまでの報道で得られる情報の範囲内では)管制官のミスが原因である。極めて危機的な状況になった時にパニックに陥るか否かは、システムがどうこうという話ではなくて、個人的な資質というか器量というか、そういうものに依存する部分が大きい。もちろん訓練や場数を踏むことでパニックに陥らずになるとは思うが。

 何か事件・事故があったときに、すぐ「監督責任」を問うのはマス=コミとか国会議員の常套手段だ。責任があるとしたら道義的なものであって、それ以上のものではない。仮に私が自分の担当業務でミスをしたら、それは私の責任であって、社長がその点において非を問われる筋合いのものではないと思うのだ。人間なのだから完璧ということは無理だろう。だからフォールト・トレラントな仕組みが必要である。それをどう構築していくかが検討されるべきで、そのために何をするかを追求すればいいのに、起こってしまった事故に対して「誰が悪い」って探すのってナンセンスだ。

 話は単純。事故は(それをしくんだ者がいない限りは)当事者の責任(結果に対する責任=responsibility)。再発を防ぐのが、その組織の上層部の責任(職責=duty)。


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Updated : 2001/02/04