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Title : Full of Disasters
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Contemporary Files #19990927
災害のあふれる地球で
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 先月、トルコで大地震があった記憶も薄れぬうちに、今度は21日、台湾で大地震が起こった。日本では23日〜24日にかけて台風18号に襲われ、ここ数年絶えてなかった高潮による被害が出てしまった。
 よく災害が起こった後には、行政は災害対策をきちんとしたのかという批判が出てくるが、自然災害はに関してはある程度防災措置は可能であろうが、その想定範囲を超えて起こってしまった場合は、責任を追及したところで、事態が改善するわけでもなく、復旧が進むわけでもないので、個人的には意味のないものにしか思えない。そういう批判は、災害が起こる前になすべきことなのだ。起こってから、その時にたまたま責任職にある者を非難するのは簡単なことだ。その立場に居た人だって、そんなこと想定もしていないのだから、どうするんだと詰め寄られても、困るだけなのだ、きっと。

 阪神大震災が起こった1995年には各地で震災関連のセミナーがあった。
 私も95年6月27日に大阪で行われた、小川和久氏による『不測の事態にどう対処するか』というセミナーに参加した。今、そのときのメモを読み返しているのだが、災害のときにどのように対処すればいいのかという点については、やはり、事前にいくつものシミュレーションと訓練を行い、可能な限り「不測の事態」(考えたこともない状況)というのを減らすことと、その状況下でも判断・行動ができる体制を作る以外にない。人災なら防止策がいろいろ考えられるし、実際に防止することができるだろう。しかし天災はそうはいかない。起こってしまったものは起こってしまったものとして対処しなければならない。

 災害に強い都市を作るには、ハードの側面から言えば余裕と遡及が、ソフトの側面からは各セクターにおける日常的な危機管理意識の定着が必要といえる。しなしそれは常に物理的にはオーバースペック、論理的には過剰投資を生む危険と隣り合わせである。
 危機対処に限らず、多くの人の生命や財産を守るためには多くの費用が必要である。しかし、現状では自治体などの予算制度では、緊急度を要しなくても単年度で消化しなくてはならない。この点を改善できないものだろうか。災害対策に関する費用の越年制度、平たく言えば基金を設立し、積み立てを可能にはできないものだろうか。毎年少しずつ拠出し、その年に何も起こらない場合や、何か対策を講じて費用が余った場合はそれを積み立てておく。不幸にも災害が起こった場合はそれを利用して再建費用に充てる、というわけだ。単年度の予算で復興の資金を確保しようとするから財政が逼迫し、十分なことができなくなるのでないか?
 この方法は国内だけではなく、地域国家にも適用可能なのではないか?


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Updated : 1999/09/27