Location : Home > Contemporary Files > 1999 Title : OKINAWA |
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23日から25日の間、2泊3日で沖縄に行ってきた。日頃の行いがいいので(!)天気はよかった。
主に戦跡や資料館を見て回ったので、ほとんど日焼けしていないので、休み明けに会社に行くと、「本当に沖縄に行ってきたのか?」と疑惑の目で見られてしまった。沖縄土産を差し出して黙らせることにした。
大阪の伊丹空港から那覇空港まで2時間弱といったところか。宿泊先の沖縄都ホテルまでタクシーで向かい、チェックインした。
地図を見ると、ホテルから少し東方へ歩くと首里城があるようなので、さっそく外出した。。。。が、坂道ばかりで、思ったよりも遠い。。。でもタクシーを使う距離でもない。。。しかたなく歩いているうちに到着した。
本州の人間である私としては、「城」と言えば城壁があって、その城壁は白く、ところどころに鉄砲で撃つための穴があいていたり、とにかく、戦争用に出来上がっているのを想定してしまう。
が、沖縄の城や、やはりどこか違う。城壁はもちろんあるが、切り出した岩だ。万里の長城の感じ。(と言いつつ、行ったことはない。。。)
それから建物の色が原色なのだ。本州だと、白黒+茶色と言う感じの色しか見ない。観光用の脚色分を差し引いても、やはり、ここは琉球なのだ、という感じがした。
実は、沖縄に行く前に、「有名なものでなくていいから、墓を見てくるように」と言ってくれた人がいた。ご存知の方も多いだろうが、沖縄の墓は亀甲墓と言って、山の斜面を少し切り開いたところに、全体として丸みを帯びた墓である。名称は「亀の甲羅のような墓」なわけだし、確かに、明日香地方の亀石を彷彿とさせる。(という譬えは私が奈良県民だから成立するものだが。)
特に選んだわけではないのだが、沖縄に行った時期は、ちょうど沖縄の「お盆」の時期らしい。今、「お盆」という言い方をしたが、これはあくまで仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を前提とした表現だ。おそらくこちらでは、中国や台湾経由で仏教の影響は入っているであろうが、やはり独特な風習がある。
いろんな風景や風習を見聞するたびに、やはりここは「日本」とは別の文化の地域・琉球なのだという印象を強めることとなった。
1945年3月26日、アメリカ軍は沖縄本島のすぐ近くの慶良間諸島を占領。そしてそこを拠点に、4月1日、沖縄本島中央部の西海岸(読谷・嘉手納周辺)への上陸を開始した。沖縄守備軍は上陸地点で反撃する作戦を採らず、「南へ転進」した。今から何を論じても結果論でしかないのだが、やはり、これが、大きな悲劇を生む原因となった。
大規模な物量作戦で攻めてくるアメリカ軍に対し、1つの島で持久戦を行うなど、やはり自殺行為である。本州からの補給線はこのころ既に機能していなかったはずで、それは、大本営がなんと言おうと、現実に物資が届かなくなりつつあったことでわかったはずではないのか。
資料館の展示や、様々な資料を見る限り、こういう気持ちが強くなる−当時の軍は、沖縄を守ったのでもなく、国を守ったのでもなく、ましてや国民を守ったのでもない。軍を、軍人を、いや、軍の威光を利用して自分を守ろうとしたのではなかったか−。
沖縄滞在最終日の25日は、沖縄にとっての「送り盆」(と表現していいのかわからないが、家に帰ってきている先祖の魂が、あの世に帰っていくのを送る日)で、家督を継ぐものが順に親戚を挨拶回りする日らしい。というわけで、それまで案内していただいた方も、用事ができてしまった。
とは言うものの、帰りの飛行機にはまだ少し時間があるので、ホテルに止まっていたタクシーで沖縄一の繁華街・国際通りに向かった。が、ものの見事に店は閉まっている。
いやぁ、どうしよう、と言っていると、タクシーの運ちゃんがあれこれと勧めてくれて(っと、実は「営業」だったのかも知れないが)、近くの海辺へ行くことにした。グラスボートに乗り、海中の色鮮やかな生き物を見たあと、玉泉洞に行った。まあ、ここまではお約束の「観光」だ。さて、昼食をどうしようかという話になったときに、タクシーの運ちゃんは、アメリカ海軍の食堂に入るパスを持っているので、よければ行きますが、と言う。
タクシー会社がそういう契約しているのかと思ったら、そうでもないらしい。以前、軍の施設で働いていて、その功績を認められて、個人的に終身の通行パスを与えられたらしい。もちろんどこでも入れるというわけではないが、食堂くいらいだと、入り口でサインするだけで入れる。
おお。メニューが英語だ。注文も英語でするものらしい。飲み物も全部アメリカのものだ。$25くらいのステーキのコンビネーション(通常、ステーキ2切れのところ、1つをエビに代えたもの)を頼んだ。が、量が尋常ではない。小食のほうではないが、その量に絶句。肉はアメリカから輸送機で運んできている上質のものらしく、柔らかくておいしい。が、やはりでかい。こんなのをぺろりと食べるのか、、、と妙に感心してしまった。トイレも便器がアメリカ人用に大きく、高めに作ってあったり。
まあ、それはそれとして。
沖縄の各地に行ったり、現地の人と話をしていると、直接被害に遭われた方は別として、思ったほどは嫌米感情が見受けられない。もちろん、一介の観光客(にしか見えないだろう、きっと)に本心を語るとも考えにくいが、アメリカ軍がいることが生活の中に組み込まれている、という感じがするのだ。もちろん、現実に軍を相手にビジネスをしている人もいるだろうが、家の外見的な造りは(沖縄の伝統的な家ではなく)軍の住宅を模した洋風のものが多いし、国際結婚も少なくないらしい。
沖縄は、行政的には日本の一部である。しかし、何かが微妙に違う。
日本(というか、本州の勢力)が入ってくる以前からの文化を持った地域であり、戦後はアメリカの影響を良くも悪くも受け、それとどう付き合うかという問題に格闘してきた地域である。
沖縄とは何なのか。
そういう質問を考えざるを得なくしている日本とは何なのか。
そういう宿題を持って帰ってきた沖縄訪問であった。
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Updated : 1999/08/30
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