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Title : Until somebody is damaged
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Contemporary Files #19990802
人身御供
/ BBSへGo! /

 今週のTVは、例のハイジャック事件の顛末についてだらけだった。
 しかも、その切り口はだいたい似かよっている。おおおそこんなところだ。

  1. なぜ犯人は犯行に及んだか?
  2. なぜ犯人を操縦室に入れたのか?
  3. なぜ凶器を持ち込めたか?

 第1点めについてはこれから明らかにされていく部分も多いだろうが、犯人がフライトシミュレータにのめり込んでいて、ヴァーチャルなせ世界と現実の世界の境目がついていなかったからだとか、パイロット試験におちて、航空機と航空業界に根を持っていたとか、指摘した警備上の問題を無視された形になっているのを起こったとか、様々に報道されている。
 しかし、毎回、このような報道に接して思うのだが、犯人の生い立ちだの、性向だのを知って、「ああ、そういう状況でそういう犯行に及んだのか」と知ることは、裁判での情状酌量の余地が働くのかも知れないが、一般人には何の影響もないのでないか?
 それとも、犯人と同じような生い立ち、同じような趣味・性向の人間は同じような犯行に及ぶ危険が高いからその行動を監視せよ、ということなのだろうか。
 正直なところ、どうでもいいようなことだ。

 2点目は、もっとナンセンスである。
 この問いを平然と発することができるのは、部外者が後から安全な場所での話だ。人質がいる(刃物を向けられている人が目の前にいる)状態で、その言うことを聞かないということは、人質なんてどうなってもよいということだ。人命が地球より重いこの国では、やはりその状況では、要求を飲む(フリをする)ことはやむを得ないことではないのか。
 中にはコメンテーターと称する人たちが、「海外ではアテンダントに女性だけでなく、男性が乗務しているのが普通だが、日本では経費節減などで守られていない」などと言っていたが、そう言うなら、もし男性乗務員(昔ならスチュワードと言うところだが)、人質が傷つこうが、刃物を振るうハイジャッカーに襲いかかってでも取り押さえるべきだったと言いたいのか。
 もちろん、そういう考えもありうる。ハイジャックに対して毅然と取り組む(断固としてテロには力で対向する)政府も多い。そして突撃隊などが突撃して乗務員・乗客に被害が出ても、それはより大きな被害を食い止めるための、どうしようもないことだったという認識があるていど確立している。が、そういうコンセンサスは今の日本にはない。

 再発を防ぐには、暴力は断固として力で押え込むのか。
 それとも、とりあえずその場の暴力を抑えることを最優先するのか。

 このどちらを選ぶかで対処が異なるはずだ。この点をじっくりと議論する必要がある。
 話を単純化すれば、非常事態には自体沈静化のために少数の犠牲は容認されるか?ということ。そこまで踏み込んでのコメントはないように思う。

 3点目。これが今後のためには重要だ。
 犯行はともかく、犯人が指摘した、保安上の欠点があったこと及び指摘されて以降、早急に対処されていないという事実は極めて憂慮されるべきことである。そして世のコメンテーターとやらもそれを指摘している。が、微妙なのは、日本の(組織の)リスク管理(の費用)への考え方にあるのではないだろうか。
 いつも日本では、大惨事になってから「これは防げなかったのか」と責任者探しが始まる。しかし、ならば考えらるすべての危険に対して完璧な防備体制をひいていたら、「厳重すぎて時間がかかり、サービスが悪い」とか「過剰投資で無駄遣いをしている」という指摘がされるのは目に見えている。
 ある事柄が起こる確率と、それによる影響の大きさ、防備するための費用と復興するための費用、そういうものを勘案して、現時点での対処を考え、資源を充当するというリスク管理が十分でないということではないのか。

 1995年以降、どうも日本は急速に「普通の国」になりつつある。他の国でしか考えられなかった危険なことがどんどん起こるようになってきている。これをどう防ぎ、場合によっては、ある確率で発生することを覚悟の上で、いろんな行動を決定していく必要があるのではないだろうか。


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Updated : 1999/08/02