Location : Home > Contemporary Files > 1999 Title : Conservertisim |
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昨今の政治情勢は、実によく分からない。
まあ、自民党が与党にいて、主張的にさほどかわらない自由党が協力するのは、まあ、わからないこともない。(小沢は嫌いだ、とかいう、子供のけんかみたいなノリは、本人たちにとっては重要なのかも知れないが、とりあえず無視。)
自らは「中道」と宣言し、これまで、どちらかと言えば "Center Left" 的な行動を採ってきた公明党が、右へ急旋回したように見える。逆に自らを「センターレフト」と宣言した民主党が、その宣言ほどには "Center Left" 的な行動が鮮明でない。おまけに共産党までが、国歌や日の丸について、何がなんでも反対ではない、というか、国民の多くに受け入れられているという事実を認める姿勢を示している。
公明党だけが急激に右旋回をしたというよりは、(公明党を含めた)地盤自体が右寄りになってしまったから、そのように見えてしまうという面があるのではないか、という気もする。
今、不用意に「右」と言う言葉を使ってしまったが、どうも、この言葉の指す意味・範囲というのは微妙だ。
最近、「保守」というのがよく分からなくなってしまった。冷戦の終結により共産主義が崩壊して、従来の意味での「革新」勢力の旗色が鮮明でなくなった、、、ということもあるのだが、その、「革新」勢力が倒そうとしてきた、古来の勢力・「保守」とは何かということである。
日本における「保守」とは、どうも、欧米で言われる "conservatism"(いわゆる「コンサバ」)の訳語としての「保守」ではない。もっと、土着の、どろどろした、おそよそ思想とも呼べない、民族の傾向性のことではないのか、という感じがするのだ。
ところが政治のおける、最近の「保守」は、「自己責任」を国民に要求する。おそらく圧倒的大多数の日本国民は、大失敗するかも知れないが、そのかわり大成功する可能性もある、ただしその責任は自分で負えという競争社会よりも、みんなでそこそこがんばって(もしくは同様に手を抜いて)そこそこの暮らしを維持することを望んでいるのではないのか。実はこれは、旧来の体制を(と言って仰々しければ従来の生活を)維持することに他ならない。そして、それに答えようとしている−だいたい、「弱者救済」と言うような言い方をされる−のがリベラルという図式になっている。しかしこれは、もともとの主張とは、互いに逆になっているのではないのか?
国家によるがんじがらめの支配体制を解体し、「市民」の手による政治をもたらすことが「リベラル」な勢力の目標ではなかったか?
この倒錯状況についてはしばらく考察を続けたい。
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Updated : 1999/07/12
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