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Title : The 9th article
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Contemporary Files #19990628
憲法第9条
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 中国の戦国時代は、いわゆる「戦国の七雄」が覇権を争っていたが、西方の秦がもっとも強大であった。残りの6国にとっては、秦と対抗するか連合するかが大きな外交戦略の選択肢となっていた。
 まず提唱されたのが、「合従」策である。燕・趙・斉・魏・韓・楚の6国が南北に縦に連合を組み、秦と対抗するという戦略である。これは蘇秦によって説かれ、半ば成立していた。
 これに対し、秦の取った戦略は「連衡」である。秦が他の6国とそれぞれに同盟を結んで、「合従」を切り崩していくという作戦である。これは張儀によって説かれた。
 結果は歴史の教える通り、秦の圧勝である。実に、これは、比較第1位の勢力が、それ以外の連合を抑えて強大に君臨するための基本戦略であるわけだ。

 …と、なぜこんな前フリをしたかというと。
 この秦のとっている連衡策とは、合衆国の対外政策の基本なのではないかと思えるからだ。もちろん合衆国の関わっている国際協定はたくさんあるのだが、他の国に比べて、2国間条約が非常に多い。安全保障条約に限ればその割合はかなり高くなる。例えば東アジアの安全保障についても、日米・米韓と別個の安全保障条約が締結されている。本当にこの地域で有事になれば、共同して動くべきであるのに、である。

 もし合衆国の(軍事的)影響力から逃れたければ、「合従」策を採る必要があるのではないだろうか。日本にとってみれば、アジア全体の安全保障を、アジアの国家で考える、アジア共同安全保障条約及び体制のようなものの構築である。
 沖縄から米軍基地をなくすには、日米安全保障条約を破棄する必要がある。(他にも方法はなくはないが、その場合は沖縄から他の都道府県に移るだけだろう。)
 しかし、その際に、日本を守る手だてを確立しておかねばならない。おそらくその時に選択肢の1つとして考慮すべきものだと考えられる。…が、現行の憲法第9条をそのまま読めば、こんなことは認められないだろう。完全な集団安全保障体制だからである。

☆ ☆ ☆

 今週の『週刊金曜日』(1999.6.25 No.272)には、「憲法第9条と平和を守るために」と題して、土井社会民主党党首と不破日本共産党委員長が対談をしていた。
 その対談の中で、ハーグ平和市民会議(1899年に開催された第1回ハーグ平和会議から100周年を記念したNGOの会議)に土井党首が参加して日本国憲法第9条について講演したことが触れられ、反響がすごかったという話が出ている。
 しかし、この記事には見落としがいくつかあるように感じられた。
 日本国憲法といえば、戦争の放棄とそのための戦力の放棄を謳った平和憲法だと言えるが、このような平和憲法が世界で唯1つだという「誤解」だ。
 「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」は日本の他、アゼルバイジャン・エクアドル・ハンガリー・イタリア・ウズベキスタン・カザフスタン・フィリピンなどが条文として持っているし、実際に常備軍を持っていないスイス・コスタリカという例がある。日本は日本国憲法第9条を持っているというだけでは、誇りにはならないのだ。それを世界に訴えるには、第9条を内実化することが先決である。(が、目下日本は逆行している、と私は思う。)
 もう一つは、日本国第9条を評価する動きが、今回のハーグ平和市民会議で高まったような書き方がされているが、これも、おそらく調査不足である。世界各国の憲法に日本国憲法第9条の条項を盛り込ませようという運動を行っている「第9条の会( The Article 9 Society )」が以前から活動している。(例えば『地球憲法第9条』チャールズ.M.オーバビー;講談社)

☆ ☆ ☆

 おそらく今後の日本では、おおきくこの2つの方向をめぐる論争がおこることになるだろう。憲法第9条を破棄(「修正」と言い換えるかも知れない)して、安全保障体制を固める(それが安全保障を高めるかは別問題。)か、逆に、第9条を堅持し、それを世界に訴えていくか。理想的には後者を採りたいというのが個人的な心情ではあるが、そのためにはリアルで実現可能な−「戦争反対!」と呑気にプラカードを持ってシュプレヒコールするだけではない−安全保障体制を構築することを考えねばならない。


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Updated : 1999/06/28