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Title : Japan as she is
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Contemporary Files #19990308
日本
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 広島県にある世羅高校の校長先生が自殺した。卒業式での日の丸掲揚・国歌斉唱について教職員と折り合いがつかなかったためだと報じられている。
 これに対し、文部省や教育委員会は日の丸掲揚・国歌斉唱を行うように「指導を強化」したようで、余計に教職員組合は反発しているらしい。

 私の生まれ育った奈良県では、そのような話は聞かない。私は小学校・中学校は地元の町立、高校は県立だったが、何かの式の際には、「一同礼」と「国歌斉唱」「校歌斉唱」がワンセットになっていたような記憶がある。私はしっかり歌っていたようの思う。それはうまく洗脳されてしまったのだ、と指摘されてしまえば身も蓋もないが、戦争を想起させる、なんて言われても、それは戦争を体験した世代の言葉でしかないように思える。
 国歌(の扱いを受けている歌)を、儀式上歌うことになっているから歌う、ただそれだけであって、それに意義を持たせたがるというのがよくわからない。そもそも卒業式だの入学式だの、その手の格式ばった儀式をありがたく思っているから、そこでのふるまいとか進め方で躍起になるのではないか。
 どうも不毛な議論に思えてならないのだ。

 日の丸掲揚・国歌斉唱しなくなればこの世から戦争がなくなる、少なくとも日本近郊で戦争がなくなるというのなら即刻やめればよい。「日の丸」「君が世」がよくないというのなら、代替案を出すべきだろう。ただし、「コンセンサス」とやらをとって、だ。
 「日の丸」「君が世」でしかヤダとは言わないが、他になくって既に流通しているんだから記号として使ってしまえばいいじゃないか、などと私は考えてしまう。
 「日の丸」「君が世」に反対する人々は、「赤地に、鎌とハンマーの代わりに車とゲーム機を染め抜いた旗」に「インターナショナルの歌」にでもしたいのだろうか。
 私自身はこだわりがないので、「白地に3つの丸を串ざしにした旗」と「ダンゴ3兄弟」の組み合わせでも、法律で決まるんだったら、それに従いますですよ。ハイ。


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Updated : 1999/03/08