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Title : Grave
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Contemporary Files #19990208
嘆きと怒りと
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 ニューズウィーク日本版(1999/02/10号)には、去る1月25日にコロンビア西部を襲ったマグニチュード6の地震の記事が載っていた。それだけであったなら、既に新聞やテレビで既に知っていることである。ただ、その記事を読んでいた自分の無頓着さが情けなくなった。

 記事によると「少なくとも900人が死亡し、3500人が負傷。25万人が家を失った」とある。
 ふと神戸の震災のことが頭をよぎった。確か死亡者は6000人を超えたし、非難した家族ならもっと多かっただろう、そもそも、マグニチュードももっと大きかっただったはずだ、と。
 あのときー1995年1月17日早朝ー、私の住む奈良でもかなり揺れた。その瞬間では神戸はもっとひどい状況だなどということは知る由もなく、自分の周囲が安全であることを確かめるのがせいぜいだった。
 どうやら最寄りの鉄道(近鉄)も動き出したということで、会社(当時は大阪に勤務してた)に向かった。JRはまだ動いていなかったのでバスで移動。かなり人数は少なかったが、大阪近辺の人は出勤していて、本棚からあふれた本をしまったりして、まだ来ていない同僚に電話をかけて安否を確かめようとした。当然電話は不通なのだが、妙に「ああ、やっぱりこういうときはつながらないだろう」なんて思ってしまった。その認識が甘かったと知ったのは、帰宅してテレビを見たときだった。神戸の灘や長田のあたりが壊滅的になっている光景に驚いてしまった。その時まで、「明日ぐらいにはみんな出てくるだろう」なんて思っていたのだ。

 しょせん、震災にはあっていない者の意識とはその程度のものなのだ。

 「少なくとも900人が死亡」という記事を、「ああ、神戸より少ないな」と感じる感覚。見たことのない、想像の埒外にある国の、おそらくこの先会うこともないだろう人達の被害など、やはり想像の埒外なのだ。

 記事といっしょに、がれきの下敷きになって圧死した少年の死体の写真と、救援物資が届かず商店や赤十字事務所を襲撃する人々の写真が掲載されていた。
 哀しい気持ちがこみあげてくるのに、どうしていいかわからない気持ちの方がすぐに大きくなってしまった。


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Updated : 1999/02/08