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Title : The Age of Nuclear
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核の世紀

  1. 「アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である。」(1999/07/26)
  2. 核爆撃への決断(1999/07/26)
  3. 核を裁け(1999/08/09)

1.「アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である。」

 文化と呼ばれるもの、それも伝統的なものであったとしても、もはや物象化され、中性化され、「アウラ」をもたなくなった。それに応じて精神までもが物象化していき、物象化から逃れようとする活動自体が、物象化の虜になること、であったりする。アドルノはこの状況をこう言いまわす。

アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である。
(「文化批判と社会」;『プリズメン』所収)

 20世紀は、すべてが物象化した時代なのだ。人の生命、でさえも。それはアウシュビッツ−そしてヒロシマ*1以降、如実になる。1945年8月15日−この日を境に人類のありようは根本的に変化したのだ。この日を紀元とする、AH(After Hiroshima)という暦の導入を提案するケストラーは正しい。

 核兵器がもたらしたもの、それは、死の死である。

 死は、比喩的な表現を除いて、1人称で語ることはできない。少なくとも、「私は死ぬ」とは言えても、「私は死んだ」とは言えない。死は、常に2人称・3人称で語られる。死を語ることができるのは、常に他者の死についてである。逆に、自分が死んだことを認識してくれる他者がいなければ、死んだことにはならない。死んでいるのに気づいてもらえないという状況は、それに気づいていない側にとっては、単に、「いなくなった」という認識か、もしくは、「いる」という認識が消え去っているかである。
 注意しよう。上記のことが成り立つのは、多数のうちの1人が死んだときだけだ。関係者も含めて、人間も都市も社会も、一切合切が一斉に破壊、滅亡するとしたら、一体誰が、死を看取るのか。
 核兵器では、物理的に消滅することはできても、「死ぬ」ことはできない。
 もちろん、兵器とは人を殺す、少なくとも戦闘能力を奪うことを目的に作られるもののはずであるが、この兵器は異質である。死の状態をも破壊する。そして、何よりもまず、そういうとんでもない代物を作ろうという発想をする時点で、精神が荒廃しているのだ。

 たとえば憎い奴を殺す。これは許されないが、理解できないことではない。殺す奴と殺される奴の生々しい関係が透けて見える。けれども、この手の大量破壊兵器は違う。死ぬのは憎い奴でもなんでもない。死ぬのは「ひと」だ。顔の思い浮かぶ「人間」ではない。抽象化し、物象化された「ひと」なのだ。*2
 投下ボタンを押した者でさえ、被害者の死体を見ることはない。見えたのは、閃光とキノコ曇だけのはずだ。人を殺す「手応え」すらない、死につきもののグロテスクさも生々しさもない、殺伐とした風景しか、そこにはない。

 殺す側、殺せと命じる側、殺される側。その誰もが「死」に直面し苦悩することなく、それでも大量に殺害されていく。核兵器とはそのような兵器なのだ。

☆ ☆ ☆

Footnotes

1:ヒロシマ

 人類初の原爆被災地たる広島県広島市周辺のことを「広島」と表記すれば、それは地名としての広島でしかない。これを「ヒロシマ」もしくは"Hiroshima"と書くとき、その無機質さとともに、背景にある原爆の破壊性を込めた意味を帯びる。(本文に戻る

2:大量破壊兵器の目標

 原爆を落とす決断をしたとき、本当にその目標となる都市の住民を「人間」とみなしていたかについては、疑義をはさむ議論もある。民族的な蔑視がそこには無かったか? という問いである。(本文に戻る

References

  • テオドール・W・アドルノ 『プリズメン』 ちくま学術文庫
  • ヴァルター・ベンヤミン 『複製技術時代の芸術』 晶文社
  • アーサー・ケストラー 『ホロン革命』 工作舎
  • 西谷修 『戦争論』 岩波書店
  • 西谷修 『夜の鼓動に触れる』 東京大学出版会
  • 西谷修 『不死のワンダーランド』 講談社学術文庫

Date : 1999/07/26

2.核爆撃への決断

(1)1通の書簡

 不幸は、1通の書簡から始まった。
 1939年8月2日付の、核兵器開発を示唆した、「アインシュタイン書簡」である。

 この新しい現象*1はまた爆弾の製造にも通じるでしょう。しかも、非常に強力な新型爆弾が作られることも考えられます−これはあまり確実ではありませんが。この爆弾を船で運び港を爆発させれば、1つで周囲の地域もろとも港をそっくり破壊しつくしてしまうかもしれません。

 もっとも、正しくはアインシュタインが書いたのではなく、シラードが起草し、アインシュタインが署名した書簡であり、同年10月11日にルーズベルト大統領(当時)の手に渡ったと記録されている。同22日、原爆開発の可能性を検討するウラニウム諮問委員会が設置され、1941年8月13日にはマンハッタン計画が開始、本格的な開発に入った。
 1942年5月3日 マンハッタン計画軍事政策委員会で対日原爆使用を検討。
 1944年9月18日 合衆国とイギリスは、原爆の存在と対日使用をソ連に秘密にすることを確認。(いわゆる「ハイドパーク協定」)
 そして1945年。5月にドイツが降伏した後、日本を降伏させる動きが本格的になってきた。

(2)投下候補地の選定

 当初、原爆の候補地としては京都・広島・横浜・小倉・新潟が挙げられていた模様である。さらに同年5月12日にロスアラモスで開催されていた、投下地検討委員会では、皇居(Emperor's palace)も検討の対象に入っていたことがうかがえる。(See : Minutes of the second meeting of the Target Committee Los Alamos, May 10-11, 1945

 京都が最有力候補に上がっているのは、ここを攻撃することで、精神的なダメージが大きいだろうと推測しているようである。その他は軍事的に重要な拠点といえる。結果的に京都をはずしたことで、軍事目標主義に適っているという主張がなされている。
 が、実際に投下されたのはヒロシマにしてもナガサキにしても、軍事施設そのものではなく、市街地の中心部である。実際に広島や長崎を訪れ、その原爆資料館に行って当時の地図を見た*2ことのある方ならわかるだろう。

 第2次世界大戦以前でも、非人道的な戦闘行為を制限する条約や議定書がいくつか成立しており、戦列から離れた人に必要以上の苦痛を与えることを禁止している。例えばセント・ピータースブルグ宣言やハーグ議定書と呼ばれる一連の条約群などがそうである。原爆投下以前にも、攻撃するのは軍事施設に限るという軍事目標主義は、戦争履行上の常識であった。これは守られたとは言えないのではないか。

☆ ☆ ☆

Footnotes

1:この新しい現象

E = mc2 の式に基づく、核分裂の質量欠損による大量のエネルギー解放のこと。(本文に戻る

2:当時の地図

 広島も長崎も爆心地には記念碑が建てられており、その地点に建つことができる。現在では本当に市街地の中心にあることが分かるが、これは数十年経って復興した後の姿であるので、投下時点でどうであったかは、やはり地図や模型を見るのがわかりやすい。(本文に戻る

References

  • L.シラード 『シラードの証言 核開発の回想と資料』 みすず書房
  • 三野正洋&深川孝行 『データベース 戦争の研究』 光人社
  • Gene Dannen Atmic Bomb : Decision

Date : 1999/07/26

3.核を裁け

(1)当時の戦時法の観点から

 第2次世界大戦前に成立していた国際法の観点からは、一般住民を巻き込む形の大量破壊兵器は合法であるのかを見てみよう。

 戦争の目的は、あくまで相手国の戦争継続能力を削減し、当方の意志に従わせることにあるのであり、相手国の国民を必要以上に殺傷することが目的ではないはずである。この観点からいくつかの条約が締結されていた。

  • セント・ピータースブルグ宣言(1868)
  • ダムダム弾の禁止に関するハーグ条約(1899)
  • 毒ガスの禁止に関するハーグ条約(1899)
  • 陸戦の法規慣例に関する条約(1907)

などがあげられる。これらは「非人道的な兵器」の使用を禁止する条約と考えてよい。
 また、攻撃対象の都市を限定する条約も締結されていた。

  • 陸戦の法規慣例に関する条約(1907)
  • 航空戦に関する条約(未発効)

 もちろんこれらの条約に「核兵器の使用を禁止する」という条文はない。だから国際法違反ではない、と主張すること*1は法理論上可能かもしれない。が、これで納得する人はいないのではないだろうか。
 実際、1950年代に被爆者グループが、原爆を落とした合衆国のかわりに、日本国政府を相手取って損害賠償を請求するという裁判(いわゆる「下田事件」)を起こした際、東京地方裁判所は、原爆投下について、「日本に落とされた原爆は、国際法に背くと言わざるを得ない」とした。(1963/12/07;東京地方裁判所判決)

(2)裁かれる核

 第2次世界大戦後、世界で核に反対する運動が無かったわけではない。国際連合でもいくつかの決議が採択されている。例えば次のようなものだ。

  • 総会決議第1653号「核・熱核兵器の使用禁止に関する宣言」(1961/11/24)
  • 総会決議36/100 「核の惨禍に防止に関する宣言」(1981/12/09)

 この他にもいくつか決議が存在するが、おおよそ中ソが賛成、米英仏が反対している。そして採択はされるのだが、総会決議は法的な拘束力を持たず、ただ決議するだけ、に終わっている。

 そんななか、1994年12月19日、オランダのハーグにある、国際司法裁判所に1通の提訴状が持ち込まれた。

核兵器の威嚇と使用は、いかなる状況の下で国際法上許されるのか。国際司法裁判所の勧告的意見を緊急に求める。

というものだ。
 この、史上初めて、国際的な体系で、核を裁くまでに至った経緯は、NHKの衛星放送での特集番組であった『核兵器裁判』やそのノベライズである『核兵器裁判』(NHK広島 核平和プロジェクト;NHK出版)に詳しい。
 結果(「判決」ではなく、「勧告的意見」であるが。)

項目賛成反対
1.勧告的意見の要請に応じることを決定する。131
2.国連総会で提示された問題に対して次のように答える。
 A:核兵器の威嚇・使用を具体的に認めるような慣習的国際法は存在しない。140
 B:核兵器の威嚇・使用を普遍的・包括的に禁止する慣習的国際法は存在しない。113
 C:国連憲章第2条第4項(威嚇・侵略の自制)に反し、第51条(自衛権)の必要条件を満たさないような、核兵器による武力の行使または威嚇は違法である。140
 D:核兵器の威嚇または使用は、武力紛争に適用される国際法に求められる用件、とくに国際人道法の原則に合致しなければならない。140
 E:核兵器による威嚇・使用は武力紛争に関する国際法、とくに国際人道法に一般的に違反する。しかしながら、国際法の現状から見て、国家の存亡がかかる自衛のための極限状況では、核兵器による威嚇・使用が合法か違法かについて判断を下せない。77
 F:すべての国家には、核軍縮につながるような交渉を誠意をもって行い、完了させる義務がある。140

 結論は、核兵器全般を否定したものとは言えない。特にE項にそれが顕著に表れている。「国家の存亡がかかる」場合には、核兵器の使用・威嚇を制限できるとは断言できないと半数の判事が考えたということである。
 法律上はそうかもしれないが、どう考えても、現在の核保有国をそこまで追い込める国があるのかというと、現実的ではない。

 この国際司法裁判所による勧告的意見は、直接的に核保有国の行動を縛るものではない。
 が、世界中の、国が、市民が、核の廃絶を願って、国際舞台へと訴えるまでに運動が盛り上がっているという事実は認識したであろう。
 そして、その一方で、核の廃絶を望む側も、さらに次の現実的な手段を考えなくてはならない。

☆ ☆ ☆

Footnotes

1:国際法違反ではないという主張

「法で禁止されていない行為を、違法かどうかを判断できない」という原則に立てば、明文化されていないこと及び条約の遡及的適用が認められないことから、「違反していない」と言えなくもない、ということ。(本文に戻る

References

  • E.St.ジョン 『アメリカは有罪だった』 朝日新聞社
  • 朝日新聞大阪本社「核」取材班 『裁かれる核』 朝日新聞社
  • NHK広島 核平和プロジェクト 『核兵器裁判』 NHK出版

Date : 1999/08/09

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Updated : 1999/08/09