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Title : Les Damnes de la Terre
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地に呪われたる者

 中世のヨーロッパの劇には、よく「機械仕掛けの神 Deus ex machina」が登場する。物語の最終部分になって、主人公の置かれている状況が極めて深刻になってにっちもさっちもいかなくなったとき、天上から神が現れて全てを解決し、大団円を迎えるという趣向なのだ。当然、その神は大きな舞台装置であるので機械で作られていて、それが困ったときに全てを解決してくれるので、「機械仕掛けの神」と呼ばれるわけだ。
 もちろん、それは当時の人にとっては「ありがたい」ものであり、正しい信仰をする者への当然の恩寵であったのだろう。でも、現在どんなに困った状況に置かれた者であっても、その「機械仕掛けの神」を待ち望んだりはしない…と思っている人が多いだろう。いや、それは違う。自分の置かれている困難な状況を、どこからか誰かがやってきてバッサリと解決してくれるように期待をしているのであれば、その心理は、「機械仕掛けの神」を待ち望んだ中世の人々と同じだろう。

 アルジェリア独立運動で活躍したフランツ・ファノンはその著書『地に呪われたる者』(邦訳はみすず書房から)で次のように語っている。

“ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し舟に乗るかして、川を渡っていればよい。橋は空から降って涌くものであってはならない。社会の全景にデウス・エクス・マキーナ〔救いの神〕によって押しつけられるものであってはならない。そうではなくて、市民の筋肉と頭脳から生まれるべきものだ。”

 仮に「機械仕掛けの神」が問題を解決してくれたとしても、そのことによってその問題を解決する力を持ち得なかったということで、同じ問題に直面した時に同じように「機械仕掛けの神」の出現を希うことになる。つまり、その問題だけでなく「機械仕掛けの神」にまで束縛されてしまうのだ。

“市民は橋をわがものにせねばならない。このときはじめて、いっさいが可能になるのである。”


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Updated : 2001/03/26