Location : Home > Humanisphere > Eyes Title : Trio on the stage |
![]() |
『ザ・ワールド・イズ・マイン』の第8巻が出たので、早速読んだ。
秋田県大館市にヒグマドンが現れ、甚大な被害を与えていく。
大館市にはトシ&モンと、彼らを発見し人質となったマリア、そしてヒグマドンを撃ちに来たマタギ・飯島と彼を取材する星野がいた。彼らがいる交差点に向かってヒグマドンがやってくる。
画面では人が次々と殺されていく…というか、つぶされていく。もちろんヒグマドンにはその意識はない。私たちが蟻や微生物のことなど考えずに歩いているのと、おそらく同等だ。
大惨事の渦中にいたはずの彼らは生き残る。トシ&モンとマリアは移動を始める。拳銃を持っていたトシが、崩れた家屋の屋根を踏み抜いて足を取られ、拳銃はマリアの手元に転ぶ。立場は逆転した。マリアは拳銃をトシに向ける。
トシは叫ぶ。
「なんでボクだけに 銃口向けるんや
駆け出しの殺人鬼差別か。
殺意の差別は命の差別やで マリアちゃん。」
マリアは自分に命じる。
……撃で!!
撃って100人の命…助けれ!!
オモチャさ引っかがった指…動げ!!
「ポーズや、どうせ撃てへん
撃てないに3万点!」
理由ねが?……さがせ!
だどもっ、おそらぐ正しべなって…だどもっ、理由なんかっ
「ううっ 撃つ気か!?
撃てや!!」
「…だ、誰だって…生きてべ。
しぇば殺せね…殺しちゃなんね。」
☆ ☆ ☆
まるで『罪と罰』のラスコーリニコフだ。きわめて単純化すれば、1000の善行は1の悪行を償えるかということ。これから殺されるかもしれない(どこまで本気かわからないが、これまで100人殺しているトシ&モンが「これから100人殺す」と言っている)100人を救うために、いま、目の前のトシを殺してよいか? ということである。ラスコーリニコフはこの問いにイエス(ロシアだから「ダー」か)という解答を出した。マリアは「殺しちゃなんね」とつぶやいた。
さて、マリアに喝采を送るのは簡単だ。
けれども、TVの『必殺仕事人』見て、面白がっている自分も否定できない。
おそらく通常の意識のもとでは人を殺すことはできない。
おそらくキレてしまった状態か、もしくはそれなりの訓練を受けた者でないと殺せない。まだ、後者は許せはしないが、ある程度、理由なり背景なりを「読む」ことができる。しかし前者はそうはいかない。
キレやすい時代。この時代の恐ろしさは根が深い。
←Flowers for Algernon : Previous | Next : 死亡通知→ |
![]() |
Updated : 1999/07/12
|