Location : Home > Contemporary Files > 2005
Title : Where are powerful staffs?
Site:Felix Logo
Contemporary Files #20050107
「人材はどこに?」
/ BBSへGo! /

 新年になって初めての出社日というのは、まあ、企業によって違うだろうが、「始業式」というか、午前中に社長(もしくは会長)の「ありがたい」訓示を社員全員で聞いて、それで終わり、という場合もままあるだろう。私の職場もよく似たもんだ。
 社長の訓示の後、まだ終わっていない、机の上の年末の片付けをしていると、昔のファイルがいろいろと見つかった。「ファイル」と言っても紙のものではなくて、FDである。しかも今の 1.44MB ではなく、DOS/V互換機…っていう言い方ももう死語か…がはびこる前には主流だった、98用の 1.2MB のフロッピーディスクだ。最近のPCにはFDドライブなんて標準ではついてこなくなった。付いてあっても1.2MBなんて読めるドライブは多くはないだろう。私の場合はわざわざ3モード(720KB/1.2MB/1.44MB のFDを認識できるもの)ドライブを自宅に用意してあるので、持って帰って中身を確かめてみた。
 なんと、そのFDは1994年に前の職場で書いた文書が入っていた。いくつか読んでみると、なかなか今でも面白いのがあったので、ちょっとここで公開してみる。ではその第1弾。教育について。なお、この文章が書かれたのは1994年10月末、ということを念頭に読んでたもれ。それではどうぞ。

◆天高く馬肥ゆる秋

 馬といえば秋のG1シリーズが始まった。先週末は天皇賞でビワハヤヒデが負けたらしい。今週末には東京や香川からわざわざ菊花賞を見にはるばる阪神競馬場に結集する友人までいる。筆者の周囲には非常に競馬好きが多く、この手の話題に事欠かない。しかしとんと興味のない私は彼らと話をしても1人浮いてしまうのであった。
 ・・しかし本稿で扱いたいのは「天」の方である。「天」といっても頭の上にある「空」ではない。SKYである。
 SKYとは大学受験生の頭上に燦然と輝く予備校の御三家、駿台予備校・河合塾・代々木ゼミナールの頭文字である。この3者は同じ形態の模擬試験を同日にあてて受験生を奪いあったり、それぞれの名物講師の手による互いによく似た参考書を出したり、し烈な競争を展開していた。受験生もこれらの模擬試験や講習のスケジュールを基本に、他の試験や講習で補充するという形態がとられていた。しかし受験生数が多かった時代では非常に巾を聞かせた受験産業であるが、2010年には10万人を割ると予測されている浪人生数に危機意識を持ち始めたのか、生涯教育を視野に入れた多角化への模索が始まった。

◆生き残りを賭けた戦い

 1980年代に改革が必要とされるものとして4つのKがあげられていた。(90年代では国会議員・官僚・国際貢献の 3K、といったところか?)
 最初に手を付けられたのは国債(特に赤字国債)の発行についてである。長くはなかったが発行されない時期もあった。次に改革されたのは国鉄である。民営化による安全性の低下について危惧する声があったが、特に事故が増加したとも思われないし、着実にサービスは向上している。3番目にあげられるのはである。昨年度のウルグライラウンドの決着により、部分輸入化が決定された。(農政全体が改革されたわけではないので問題は残ったままではあるが。)
 そして最後に残され、未だ着手されていないのが教育である。

 当初は教員の質・授業で扱う内容が扱われており、どちらかと言えば教育界内部の問題であった。しかし近い将来訪れようとしている18歳人口の着実な減少は、人材の供給という面で大きな社会問題となりうることがらである。
 すでに小中学校では団塊ジュニアの世代のピーク時から見て2割ほど在学者数が減少しているが、公立学校が多いためか深刻な問題となってはいない。しかし4年制大学・短期大学・専門学校・予備校など18歳を対象にした教育機関、特に私立機関を中心に大学の名称を変更したり、新しい時代に即した学部・学科を新設したり、生き残るための努力が始まっている。

◆教育産業の競争激化の後

 この問題を対岸の火事のように見ているわけにはいかない。

 教育機関や教育産業(+受験産業)が競争を激化させ、充実したプログラムを提供しようと努力するであろう。
 受験生にしてみればバラエティに富んだ複数の選択肢の中から自分にあった学校を選ぶことができる。しかしこれで学生が自己実現に一歩近づいて、めでたしめでたし・・・となるのだろうか?
 この動きの行方に2つ考えられる。
 1つは充実した教育システムの中で優秀な大学生が育ち、これまでにない個性的な人材が社会に輩出されるようになるというバラ色の未来(A)。
 1つは果てしない学生争奪戦が展開され、ネコも杓子も大学生になってしまうという未来(B)である。

 Aはこれまでの「地獄」と形容されるような受験の呪縛から解放された学生が本当に自分の目指すものを、偏差値という尺度以外で選択し取り組んで行く−という姿である。これは社会全体にとっても喜ばしいことである。
 しかしながらBに至った場合、その大学の卒業生を受け入れる企業は果たして安穏としていられるだろうか?
 相対的に優秀な学生はいくらでも探すことはできるであろう。しかし通時的に見た場合、絶対的なレベルが維持されつづけるとは考えにくい。切磋琢磨の機会が少なくなるからだ。

◆Jリーグ型人材育成?

 優秀な人材を確保するために企業が本格的に取り組むのであれば大きく2つの方法がある。1つは外部から引き抜くこと、もう1つは内部で育てることである。前者を進めるためには賃金体系や業務評価の方法の改善、プロパー以外の社員を受け入れる社内文化の育成などの問題に取り組む必要がある。しかし後者に取り組むには、これまでにない、いわばJリーグ型の人材育成方法を採る必要があるのではないかと思われる。
 第一線で働く「トップチーム」と研修を受けている「サテライトチーム」を正社員とし、その予備群としてユースチームを確保しておくのである。具体的にいえば高卒や中卒で準採用し、大学並みの一般教育と職務に関する技能教育を行うのである。勉強しているとは限らない大学生を採用してのち、更に数年かけて研修してようやく「トップ」に上げるよりは、相当早くしかも速戦力となる人材が育成できるのではないだろうか。もちろん1企業でこれを行うには資金的にも体制的にも困難を伴うので、企業グループや地域による「産業立パブリックスクール」が設立される日がいずれ来るのかも知れない。そして文部省がそのスクールに対して大卒の資格(学士)を与えることを認める時が・・・。

◆教育は誰が行うのか

 前節で述べたことは6・3・3・4制の崩壊を意味する。このことは新たな序列化を引き起こし、少なからぬ社会問題となるであろう。しかしながら産業側が学生の「囲いこみ」を行って自分の集団にあった人材を育成するという考えに固執するかぎり、このような図式は程度の差こそあれ進んで行くように思われてならない。そのとき進路決定の低年齢化が極端に進み、つまるところは受験地獄をさらに苛烈なものにしてしまうのではないだろうか。

 教育制度が改革され、個人の才能を伸ばす自由な教育システムが定着するのが早いのか、それが待ち切れずに企業が学生の囲いこみを開始するのが早いのか−この数年、真剣に問われることとなるであろう。


[Previous] : 2005/01/03 : 奈良女児誘拐殺害犯人逮捕の周辺
[Next] : 2005/02/21 : 余裕の無くなった社会
[Theme index] : 日本社会関連
Site:Felix Logo
Updated : 2005/01/07