Location : Home > Contemporary Files > 2004 Title : Virtual revison of constitution |
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天皇が外出することを行幸(ぎょうこう;みゆき)とか巡行(じゅんこう;複数の箇所に行く場合)という。「行幸」と言ってお出かけになられたなら、当然、復幸があってしかるべき。もしお出かけされたまま帰ってこないなら、一般人で言えば引越ししたことになり、天皇の場合は玉座を動かすことになるので遷都を宣言することになる。で、古来、時の天皇は都を移す際には「遷都の詔勅」を出してきた。が、江戸幕府が倒れ、明治時代になる際に、天皇による遷都の詔勅も、明治政府による遷都令も出ていない。であるならば、単に東京の「奠都」(てんと;都に定めること)がなされただけで遷都はされていない。と、いうことは法手続き上は、現在の日本の首都は京都のままのはずだ。…が、だれもそんなことまともに取り合わないだろう。
まあ、いわゆる明治憲法は改正の手続きをとって現在の憲法になってるけど、それまでの日本におけるいろんな憲法だの律令だのって、きっちり詔勅かなんかで廃止されてるんだろうか。(←誰か暇な人は調べてくれい) ひょっとしたら、法手続き的には聖徳太子の17条憲法とか大宝律令とか御成敗式目とか、廃止されてなかったりして。
でも、仮にそうだとして、どうしてみんなは騒がないのだろう。
話は簡単、時代が変わった、と思ってるからだ。当時の政治体制が破れ、その法律の有効性がなくなったと認識されているからではないだろうか。じゃあ、どういうときにその有効性は破棄されるのか。それは必ずしも法的手続きによって廃止されたことを意味しないってことは、みんな知ってしまってる。
第1次世界大戦後のドイツに対する法的な拘束事項が、ドイツ軍によるラインラント進駐ならびにそのことが手続きに従った制裁を伴わなかったときに蹂躙された時に事実上向こうになった。それ以降はヒトラーのやりたい放題だった。(最後にはケジメつけさせられたけど)
要するにね、憲法だの法律だのってのは、その条文を無視する行動がなされたことに対し復旧の措置が取られなかった時点で、事実上死文化してしまうのよねぇ。自衛隊があるだけでも十分死文化してると思われる第9条は、今回の小泉首相の多国籍軍参加の表明及び、閣議決定(の予定)により完璧に死文化させられた。事実上の改憲宣言(というか、9条の廃棄だけど)だね。
憲法の条文なんてものは、その時代の主権者によって変えられるべしと思っている私にとっては、改憲そのものには反対しない。それが有権者の多数の意見であるならば、ね。けれども条文をないがしろにしてなし崩し的に死文化するのは、現在及び将来の日本にとってよくない。改憲するなら、解釈で逃げるんではなくて、国民に信を問うべきだと思う。
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Updated : 2004/06/15
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