Location : Home > Contemporary Files > 2004 Title : Imagination to death |
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仕事の関係でだいたい一月に1度ないし2度新幹線で東京に行く。そのための資料はたいてい前日までに作ってあることが多く、車内で慌しく資料を作成するだの見るだのと言ったことはしなくて済むので、本を読んだり眠ったりすることが多かったのだが、最近はレンタルしてきたDVDを見てすごすことが多い。私の職場とか住居から言うと京都駅から乗ることが圧倒的に多く、たいていの映画なら東京に着くちょっと前くらいでちょうど見終わる長さなのだ。ちなみに先週も東京へ往復してきて、行きは『攻殻機動隊』、帰りは『シックス・センス』を見た。
小さいころは、親(特に母親)がテレビドラマを見てて涙を浮かべてるのをみて、「これ、ドラマじゃないかよ〜」とか思ってたもんだが、不覚にも、『シックス・センス』を見て、そのラストで涙を浮かべてしまった。ストーリーそのものもなかなか秀逸なんだが−もし見たことないなら見ても損しないと思う−、映画の登場人物の行動が、「もしこれが自分のことだったら」と想像してしまったからだ。
映画の最後の方で、ブルース・ウィルス扮する主人公の妻が、結婚式の時のビデオを見ながら「どうして私をおいていってしまったの?」とつぶやくシーンがあるんだけど(実はかなりストーリー上とっても重要な場面なんだが)、ここで「もし」と思ってしまったわけね。もし私がそうなったら、妻はこういう風に結婚式のときのビデオとか私が映ってる映像を見て悲しむんだろうかとか。逆だったらとても見ることはできないだろうなとか考えてしまってね。いやぁ、この手の感情は独身の時には決して持たなかった感情だな。親戚が亡くなろうと、我が家のペットが死のうと、そのときしばらくは悲しくとも、胸が締め付けられるような感覚というのは持ったことがない。近親者の死の恐怖…というか、「これが我が家であったら」という想像を、無意識のうちにリアルに持ってしまっている、そのこと自体に自分でも驚いた。
世間でいろいろと恐ろしい事件が起こった際に、「これがわが子の身に起こったら」と想像してしまう親御さんは多いだろう。精神的に「親」足りうるか否かは、そのような感情が無意識に働くか否かという点にあるのかも知れないな、と感じ始めている。
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Updated : 2004/06/07
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