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Title : Transfer of Power
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Contemporary Files #20021117
権力委譲
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 今、ニュースと言えば、新聞もテレビも「北朝鮮拉致問題」「イラク武器査察問題」「デフレ対策」の3題噺の繰り返しで、それぞれ何度か書いてきたので、今回もまた書くのもなぁ、、、と思ってたので、別のネタで。
 今週、中国共産党は新たな総書記として胡錦濤氏を選出した。…って、一般ピープルには全然馴染みがない名前なので大抜擢されたかのように思ってる人もいるみたいなんだけど、中国ウォッチャーに言わせれば、ごくごく真っ当な−党の規定とおりの順当な−選出らしい。
 中国共産党での執行部にあたる政治局の中でさらに意志決定機関となる常務委員会があるが、旧執行部(第15期)におけるこの構成員(常務委員)のうち、2002年時点で党の定年である70歳を超えないという条件をみたすのは胡錦濤氏と李瑞環氏の2人しかいなくて、しかも李瑞環氏は江沢民氏と積年のライバルであり、自らの後継に指名するとは考えにくいとされていたからだ。事実、今回の人事で第15期の常務委員7人のうち胡錦濤氏以外の全員が引退となった。ま、要するに、序列がはっきりしている組織の中で、定年が来た人が辞めて、次の人を指名したのに伴って、その後継者よりも序列が上だった人も退任するという、ごくごくわかりやすい権力委譲だったというわけだ。

 一方、日本でも合衆国でもどこでもいいが、ともかく「民主的」と銘打っている国−ここでの文脈では、多党制でかつ党執行部を選挙により選出を行う国といえばいいのか−では、「次」というのはある程度類推はできても、「確実にこの人」というのはなかなか確定できない。
 月刊誌『サイゾー』−んー、この雑誌(?)はなんと言えば説明できるかよくわからないジャンルの雑誌(?)なので、敢えて説明しない。書店で見かけたら読んでみて自分で判断して。私は毎号買ってるけど。−の最新号(2002年11月号)の「山形道場」のコーナーで山形浩生氏が言ってるけど、個々の行動から自発的に・自然に全体の秩序が生成してくる「自己創発的なシステム」が必ずしも「よい」結果をもたらすものであるとか、「民主的」であるとか、そうとは限らない。
 中国の次期指導者の選出方法を見てて、「劇的な変化が望めない」と言うのは必ずしも的を射た−またまた脱線するが、的は「射る」ものであって、「的を得た」ってのはオカシい表現なのだな、ほんとは。−指摘ではなくて、意志決定の主体の分散と創発的であるが故にその結果を規定し得ないという性質のために自己創発的システムのほうが、変化させにくい、「保守的」な仕組みとなってしまう危険性があるわけだ。

 Site;Felix 内には私の興味にしたがって実にいろんなことが書かれているんだけれど、プロジェクト杉田玄白で『群集心理』の翻訳に首をつっこみ、他方では複雑系とかマルチ・エージェントシステムとかについていろいろ調べたりしてるのは、そういう、社会の性質を説明したり、記述したり、場合によってはその変革を企図したときにどのような作用を行えばどのように作動するかをシミュレートしたりできるのかを考えたいためなのだな、実は。ま、それはここの本題ではないので、こっちに\(‥\)おいといて(/‥)/、「次」と言うのは、序列にしたがって順繰りに上がるのがいいのか、「実力」で奪い取るのがいいのかって一度考えてみるといいよ。もしあなたが人間は何から何まで平等だと主張してやまないなら、くじ引きで決めるのもありだと思うよ。無茶言うなって? いやいや、2000年くらい前に地中海で都市国家文化が華やかだったころの歴史を調べてごらん。特に、ソクラテスがなぜアテネの法廷に立たねばならなかったかを。いろいろ理由と背景はあるんだけど、訴因の1つに「政治を行う者をくじでひくなんてバカなことはやめろと主張したから」というのがある。「能力のある者に委ねよ」と主張したんだけど、それが旧来のアテネの「民主的」な方法に異議を唱えた、というわけだ。へへ。オカシイのはどっちだろうねぇ。
 ん? そんなの今どこでもやってないって?
 ははぁん。じゃあ、陪審員制度って何? まあ、これもあれこれ逃れる方法はあるけど、まずは無作為に選ばれるんだよ。 え? 日本にはそういう制度はないって? ふふふ。裁判結果に不服があった場合の再審査請求が行われた場合の手続きをちょっと調べてごらん。一般有権者から無作為に選出された人にその判断の一部に協力を要請される場合があるよ。(私の住んでる町では成人式の時にお祝いの品と一緒に、そういうことを書いた資料を渡されたぞ。)

 人々の代表として何かを決定しなければならない立場の人をどう選出するのかというのは、実は奥深いものなんだな。その社会の構成原理が導かれるもののはずだ。
 民主集中制を是とするなら、指導部の序列に従えばよい。
 社会の全ての構成員には等しく社会を運営する能力が備わっているとするならば、逆に誰を選んでもいいわけだから、くじ引きで決めればよい。
 社会が複雑化し運営に高度の専門性を要すると考えるのであれば、訓練を経たエリートを登用すればよい。
 さて、これらは、どれが「よい」かどうかというのは問題ではない。
 その社会の構成員がどれを選ぶかが問題である。
 ただ、そういうことが問題にされたことはあまりない。それはそれで問題なのである。


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Updated : 2002/11/17