Location : Home > Contemporary Files > 2002
Title : Didactic fiction
Site:Felix Logo
Contemporary Files #20020902
勧善懲悪
/ BBSへGo! /

 どこで読んだのか忘れたけれど、「必殺仕事人と桃太郎侍とではどちらが『悪』か」というような意味の文章があった。
 さて、あなたはどう思うのだろう。必殺仕事人は、金をもらって人を殺す(というより金をもらわないと殺さない)、「殺し屋」であるのに対し、桃太郎侍は悪人の館に堂々と入っていってばっさばっさと退治していく。そんなの桃太郎侍のほうが善に決まってる! と思ったあなたは特に考え直して欲しい。
 仕事人のほうは、いわばビジネスとしての殺しである。もちろんそのことは肯定されるべきでないが、晴らせぬ恨みを代行して晴らすというビジネスとしてやっていること、しかもそれが決して公認され得ないことを、当の本人たち(中村主水とか)は自覚している。そして実際の殺しの現場でも、調査を徹底的に行い、本当に殺すべき対象を特定し、その対象の行動パターンをつきとめ、人目につかないところで、依頼された対象以外に被害が及ばないよう−もちろんそれは自分たちが発見されないようにという自衛的な意図もあるだろうが−に執行する。
 けれど桃太郎侍の方は、殺す対象は桃太郎侍本人の判断による。そして殺すときは相手の屋敷に真正面から現れ、行く手を阻むものはすべて切り捨てる。…これって結構ヤバイ行為なんだな。
 もちろん殺し屋というビジネスは社会通念上よろしくない。でも仕事人たちは自分たちのやっていることを、お天道さんに顔向けできないことだと−つまり自分たちは悪行を働いている−という認識がある。それを「恨みを晴らせない人の理不尽な苦しみをお金を受け取って代行するのだ」という、若干の免罪符(になってるのか?)のもとで決行してる。ところが、桃太郎侍の方は自分を「善」だと、相手を「悪」だと思って疑わない。そして「悪」の側の仲間はすべて「悪」だという認識だ。本当に倒すべき「悪」(と桃太郎侍が認識している者)の館に住む者、「出会え!」と言われて出てきただけの、たぶん雇われの用心棒であってもことごとく切り捨てる。いったい全シリーズで何人殺したのかは知らないが、かなりの大虐殺を毎週行ってることになるはずだ。しかも、「善」の名の許に、だぞ。そこが怖いのだ。これには歯止めがかからないのだ。桃太郎侍が悪と認定する者及びそれに味方する者はすべて虐殺の対象となる。

 「悪いやつにはどんなにひどい目にあわせたっていいんだ!」というのは心情的にはわからないことはないが、それを実行してしまっては自分もその「悪いやつ」と同類になってしまう。
 実は今、タリバン兵に対する虐殺が起こっていたことが報道されはじめているが、あなたはそれをどう思っているのだろうか。いい気味だと思ったのだろうか。それとも?


[Previous] : 2002/08/26 : Identify
[Next] : 2002/09/10 : 海の向こうで戦争が始まる
[Theme index] : 国際
Site:Felix Logo
Updated : 2002/09/02